誕生





人が生まれるという、おおもとの始まりは、男女の性の交わりによります。男性を父とし、女性を母とし、その一滴の精液と一粒の卵子が合体することによって、人はその原初の生命を得ます。

これはつまり、受胎こそが、気一元の生命体としての個人の誕生であることを意味しているものです。

このことを陰陽論で考えるならば、誕生以前は陰と陽とがまったく離間し、それぞれがまったく別個の気一元の生命としてそこに無関係に存在しているだけであったものが、さまざまな種類の縁を通じて出会い、男性と女性という陰陽関係を構成して結ばれ、その最も深い交流を通じて気一元の生命を産み出した、と言えます。

すなわちこの生命の創造は、まさに「結び」の奇跡と言えるものです。けれどもこの奇跡が、平然と日々営まれ続けることによって、この日常が脈々と流れていくわけです。まさにこの世界の不可思議そのもの、奇跡そのものであります。

それはさておき、ここで注意しておかなければならないのは、陰陽が一元の生命を作ったと読んではいけないということです。すでに創造された生命は、気一元の生命であって、陰と陽とが別々にその生命体の中に存在しているわけではないためです。あくまでも、一元の気を二つの角度から眺めなおす、という視点を忘れないようにしてください。






陰陽が合体したとはいえ、肉体として未だ独立して存立することはできないため、母の子宮の内部で直接的に栄養の補給を受け、十月を過ごして肉体としての体裁を整えます。

これがいわゆる、気血が外界に適応できる程度に充実する、すなわちもっとも基本的な器を調えるという段階です。この時を経て、母の子宮による保護を離脱して、産まれ出づることとなります。











一元流