食物が胃の腑によって受容され
消化されるという道理について




人の脾胃は下部の陽気が通じるとよく動く。

呼吸の数は一日一夜で一万三千五百息瞬時も休むことなく行なわれ、これが淀みなく行なわれれば気も盛に循る。

この吐く息吸う息に従って脾の臓がよく働くために、胃の腑の内も動き揉まれ食物が腐熟されるのである。

人が睡眠をとっているときは食物が消化され難くなるが、このことについて考えてみよう。







そもそも、動くところを陽といい、人も眠っていないときは陽であり三焦の気の循りも盛んである。

身体を動かさなくとも、眠らなければ色々なことが耳に入り目に映るので、その心が動くのである。

その上に立居振舞をするのであるから、その身体も当然動いている。

しかし、人が眠るときは静かであり陰である。陰であるときは気の循りも遅く、その上に立居振舞もしないのであるから、水穀が通常より腐熟し難くなるのも当然である。

その逆に、遠路を走ったり足や手をよく働かすときは、食物は平生よりさらに早く腐熟されていくものである。







これはなぜかと考えるに、全て相火の道理によるものである。

相火とは、物が動き揉みあうことによって生ずる火である。

たとえば石を打ちあって生ずる火も相火であり、茂った山に風が吹くことによって火が生ずるのは、草木が互いに動き揉みあうことによって生ずるのである。

また水はもっぱら陰であるけれども、その水であっても動くことによって火が生ずるのである。

たとえば、海中に火が起こることがありこれを龍燈という。また、荒波で水の勢いが強いために波が立つ場合もあり、これも動くことによって生ずるもので、龍燈ではないが、水が動くことによって生じた火であると言えよう。

これらのことは朱丹渓が《格致余論》の〈相火論〉に論じていることである。

人もまた同じで、急いで走ったり足や手を動かしてよく働くと、汗が出、消化がよくなるものである。これらは皆な脾胃の火気が盛んになるためである。







木火土金水の五行でも、土は五行の中央にあるものである。《内経》に脾は四肢を主るとあるが、この四肢とは手二本足二本の四本のことである。

たとえば、春は木を主るけれども、春の末の土用によって初めてその木を成就し、夏は火を主るけれども夏の末の土用によって初めてその火を成就し、秋は金を主るけれども秋の末の土用によって初めてその金を成就し、冬は水を主るけれども冬の末の土用によって初めてそのその水を成就するのである。

このように、五行の木火土金水は全て土によって初めて成就するのである。

人の手足も全身の末であり、土を主るのである。これは四季の末に土用があることと同じことである。ゆえに脾は四肢を主るのであり、足や手が動くときは脾胃の火気が盛んになるという理がここに明らかになるのである。

このようにして火気が盛んになると、食物もよく消化され汗も出るのである。

これは全て相火によって起こることであるが、この相火は、ある一定の場所に生ずるというわけではなく、ただ動くところを本にして生ずるものなのである。







一元流
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