総論





切診は、実際に患者さんに触れて、その状態を診るということです。

切診する際には、診る位置がどのような意味を持っているのかということを、整理し評価する作業が必要です。また、人によってその体内の状態が現れやすい場所、現れにくい場所があります。

よく使う部位には現れやすく、あまり使わない部位には現れにくい。これは、よく使う部位は生命力が強くなっているため、その変化の状態がよく現れるためです。

気の集まりやすいところはよく現れ、集まりにくいところは現れにくい。よく使うということは気が集まるということと同義です。ただ、こちらの方が少し範囲が広くなります。なぜかというと、意識して使わなくとも気が集まる場所があるためです。







切診としてみる診察部位は、気一元として存在している全身の縮図がその場所にあると考え、その部位を小さな気一元の場として診ているものです。

診察部位の特性によって診えたものの評価方法は異なります。またこれは、全身を診ることの一部であり、それを補強するものとなります。

ホログラムを思い浮かべるとよく理解できると思いますが、全身の縮図としてその場所に現れてても、それは全身をそのまま診るよりもぼやけた図象となります。切診とは、そのぼやけた全身の縮図を通して、身体内部に現在存在する一元の気の状態を診ていこうとするものです。

ですから、見えないものを無理に診ようとするのではなく、確実に見えているものを積み重ね、自身の診察能力を弁証論治としっかりと結び付けられるようにすることが大切です。







また、切診で注意すべきことは、診えていないものが必ずしも存在しないものではないということです。弁証論治を通じて考てみると必ず反応が出ているべきなのに出ていないという場合が往々にしてあるためです。

その理由には、自身の診察能力が問題である場合。
反応が陳旧化していて診えにくくなっている場合。
生命力が弱っていて反応が現れにくくなっている場合。
怪我や手術などで診えにくくなっている場合などがあります。

自分には診ることができないなどといたずらに自身を矮小化することなく、また逆にすべてが診えていると尊大に構えるのでもなく、ただ謙虚に、研究し探求し続ける者として、古典を書き換えるほどの志を持ちながら、体表観察に向っていきたいものです。











一元流