人間は感情の生き物でもありまして、豊かな感情を上手に表現することでその人生に美しい花を咲かせることができます。
けれどもそれが表現を逸脱して暴発したとき、いわゆる感情に支配される状態となり、その感情の暴発によって痛めつけられる臓がこれであると配当されているわけです。
五志 | 損する五臓 | 気の方向 | 発病メカニズム |
---|---|---|---|
怒 | 肝 | 上 | 肝気が過度に昇発し、気が逆す。 |
喜 | 心 | 緩 | 血脉が弛緩し心気が緩む。 |
思 | 脾 | 結 | 運化無力となり、気の流れが沈滞する。 |
悲憂 | 肺 | 消 | 肺気が弱る。意気消沈。 |
恐 | 腎 | 下 | 腎気弱り、気が下陥する。 |
驚 | 腎 | 乱 | 腎に蔵される「志」を見失い、神のよりどころが弱くなる。 |
これは、その感情を発する臓でもあって、その臓が病むと、配当されている感情を発しやすくなるということもまた考えられました。感情の過剰は気を直接動かしますので、火を生じやすいとも言われています。
古典にはこの他にもさまざまな七情に対する記載がありますが、事実はどうなのでしょうか。
大いなる感情の暴発は全身の生命で受け止められることになりますので、弱っている部分に出ることの方が多いでしょう。
また、偏った感情を持ち続けることは身心のバランスを自身ではとれなくしてしまいます。より大きな自己認識(精神の方面でいう器)を獲得するチャンスとなるとも言えます。
すべての状況を臍下丹田に納めて、今生かされていることに感謝し、喜びを表現していくということが、現状を打開するもっとも建設的な方法となります。
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