長沙腹診考

胸満


胸満には何種類かあります。凸だったり、凹だったり、円だったりしますが、手で按じて実しているものはすべて、胸中に毒があるために満ちているものです。

『東洞遺書』には、「呉茱萸 厚朴 枳実の胸満は、病人に処方を施して治療しているのをみて会得してください云々」と述べられています。

長年の私の経験からその概略を述べてみましょう。

呉茱萸〔訳注:を使う胸満〕は胸中が凸で、頭痛したり、目眩したり、嘔いたり、手足に厥冷があったりします。

枳実〔訳注:を使う胸満〕は胸中が凹で、実しています。

厚朴〔訳注:を使う胸満〕は胸中が平らでまるく充満している感じです。

胸中はすべて手の術を鍛練していなければ候い難いものです。よくよく気をつけてください。

中西惟忠〔訳注:深斎〕の『傷寒名数解』には「膈間は本人が自覚するもので、外からは候い知れないものです。」と述べられています。あまりの愚かさに笑うしかありません。膈間の病は外からは候い知れないものだから、病者が自覚するものだという。心煩 上衝 結胸 懊悩 胸満 胸脇苦満 胸痺、その他、胸間の諸症をどのようにして候い、どのようにして理解するのでしょうか。病者が教えてくれるのをただ待って、臆断によって推測するのでしょうか。

私はこのことから、中西は洞門の傑出であると言われているけれども、議論に強いだけで実地には暗く、腹診が下手だと理解しています。けれども世の狡児〔訳注:知識を偏重する人々〕は、『傷寒論弁正』こそが傷寒論註解では天下第一の書であるとしています。あぁ、注釈家の頼りにならないこと、よって知るべきでしょう。ですから私の門徒では注釈を利用せず、ただちに原文を読み、病者を注疏とし、実地について道を求めることにしているのです。

私はかつて『傷寒論考徴』を作ろうとしましたが、暇がなくてまだできてはおりません。


付言

私の同郷の故人で、青木の高田の四十歳ほどの妻が、一時ひどい胸痛を患ったことがありました。諸薬を試しても効果がありません。私が診てみると胸満して心下痞しています。そこで呉茱萸湯を与えたところすぐに治りました。

私の妻の母は、頭眩して嘔き、非常に強い胸満がありましたが、呉茱萸湯を服したところすぐに治りました。

希声翁はいつも項背が強急して〔訳注:ひどく引きつって〕胸満を兼ねているものに、葛根湯に呉茱萸湯と人参を加えて呉葛湯と名づけて用いていました。

嘔いて胸満する者には呉茱萸湯が主方であることは『傷寒論』に「吐利して厥冷し、煩躁して死にそうな者」として述べられています。世医はこれに呉茱萸湯を用いることを理解していません。疎漏〔訳注:そろう:勉強不足である〕と言わねばなりません。



一元流
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