長沙腹診考

胸脇苦満


胸脇苦満とは、胸脇を按ずるとなんとなく手ごたえを感じるものです。満ちて外に張り出る場合もあり、引きつまって内に実するものもあります。心を沈めて診ます。

傷寒論に言うところの、胸脇苦満 胸脇満 胸脇満痛 脇下満 脇下痞鞕などはすべてこの類症です。

脇下を指して苦満と云うのは部位をきちんと理解していないためです。

『東洞遺書』には「胸脇の指す処はすべて中行を去る左右で、これが脇です」述べられています。『薬徴』には「柴胡は胸脇苦満を主治し、寒熱往来 脇下痞鞕を傍治する」と述べられています。

苦満と拘攣とは、おうおうにして形状が異なるものです。

腹中が急に痛むものには先ず小建中湯を与え、治らない場合は小柴胡湯を与えます。苦満と拘攣との区別はありますけれども、前後〔訳注:の状況〕に従って活用します。

世医は寒熱往来を柴胡の主症としまが、これは末に拘わって本を理解していないものです。胸脇苦満して寒熱往来するものは、柴胡の症です。寒熱往来は他の諸症にも兼ねられていますから、これを柴胡の症としてはいけません。

大柴胡湯の腹状に少し似ていますけれども異なるものに、桂枝加芍薬大黄湯 真武湯 茯苓飲などがあります。よく理解してください。

また、瘧疾を患うものには、柴胡の症が多いものです。塊りがいつも胸脇に隠れ、時に脇下に出没するものは、いわゆる瘧牡(ぎゃくぼ)です。


付言

野州の宇都宮に、いわゆる鬱症を患う植木屋鶴吉という者がいました。腹部が強く拘攣し、時々盗汗や自汗等があります。小建中湯や黄耆建中湯を与えて五六日たちましたがまだ効果が出ていませんでした。ある日診てみると、胸脇に物がある感じがしましたので、大柴胡湯を与えました。強い瞑眩がおこり胸腹が刺痛して数回下痢し、数回服用しただけで完全に治りました。

武州の秩父郡の薄村の県令で山本大膳の宦吏の青木某は、傷寒を患い食べられなくなって数日、衆医はこれを必ず死ぬと考えていました。私の弟が深谷の駅におりましたので、人を馳せて治療を頼まれました。弟の太門が往って診ると、胸脇苦満して大便が通じておりません。そこで「大柴胡湯を与えましょう」と言うと、前医が進んで「私の薬で、大柴胡湯加芒硝を用いてみましたが、薬汁をすべて吐いてしまって反応しませんでした。ですから大柴胡湯の症ではありません。」と言います。けれども大門は「これはまさに大柴胡湯の症です。芒硝を加えてはいけません。」と言って用いました。三剤服しても大便が通じませんでしたので、衆医はこれを疑いました。さらに前方を用いたところ、大便がたくさん通じ、食欲が出、次第に快復していきました。

ある男子、陰嚢が潰爛して、痛みが強く、臭穢鼻を覆う〔訳注:非常に悪臭がする〕状態でした。前医は梅肉散や七宝丸等を用いましたが効果が上がりませんでした。私が診ると胸脇苦満して腹中に結毒があります。大柴胡湯を与えて一月余りで治りました。



一元流
東洞流腹診 前ページ 次ページ