東洞翁書翰


一、扁鵲が病の在る位置と述べているものは、毒のある位置を視る事です。病の反応は大表に現れるということを、合わせ考えます。上衝とは気が上っているということです。叉手して〔訳注:叉手冒心の略:手を交差させて心胸を覆うこと〕頭汗し衝逆していると語るのは臆見です。ただ叉手して頭汗していると語るべきです。その処以〔訳注:理由〕を語ることは臆見なのです。

一、眼目芒刺云々を上衝の証と定めることはできません。上衝は上衝、眼目芒刺は眼目芒刺です。

一、頭上の毒を桂苓朮甘湯が主るとすることはできません。悪寒を桂枝湯が主るとすることはできません。悪寒は麻黄附子が主ります。

一、麻黄は喘を主ります。喘は呼吸の際にゼリゼリと音が出るものです。また音が聞こえなくともその勢いがあるものです。

一、農吉とは喘息のことです。喝を兼ねるものには大青龍湯、喝がないものには小青龍湯。二方とも南呂丸を毎日六七分づつ兼用します。

一、感冒 風邪と言う治療法はありません。

一、発散の剤というのは臆見です。処方は初めて用いる時が大切です。この病にはこの処方で始めから終わりまで治療するということを理解して用います。ですから死ぬと言っても処方を替えません。

一、咳喘して痰を吐く云々。これに諸病を兼ねることがあります。喘すれば麻黄〔訳注:を用います〕。また、世に青ふく病と言って、常に浮腫があるものがありますが、これは鉄砂〔訳注:砂鉄〕の病です。

一、太陽病六経の名前は、我が党では用いません。気鬱し気★鬱していなくとも、必ず毒があります。毒の形状を言うべきです。外証〔訳注:に対して〕腹状は治療の根本です。葛根湯の場合もまたそうです。

一、産前産後に拘らず、ただ常人のように〔訳注:治療して〕よいのです。薬は瞑眩すれば病が盛んになるものです。その時の状態に従って、丸散の類で解します。

一、胸脇という言葉で指している場処は、胸腹においては中行以外の左右すべてが脇です。京門 章門に拘りません。小柴胡 大承気は病人の腹で疑問がなくなるまで学びましょう。中行の左右はすべて脇です。膨張のことは、わが党では拘りません。まさにその時の問題ですから、病人で学ばなければ理解し難いものなのです。

一、竹葉石膏湯 麦門冬湯が枯燥を治すと言っているのは、わが党では臆説とします。 一、附子の瞑眩は、毒が解けるか解けないか〔訳注:の分かれ目になります〕。〔訳注:その他の〕諸薬も、瞑眩しなければ効果はありません。先に小剤〔訳注:を処方し、〕後に大剤〔訳注:を処方するのは、〕よくありません。方意〔訳注:処方の意味〕を得られないためです。

一、水気の毒でしょうかという問いはよくありません。水気があれば、水気を言わず、水気を見ずにこれは水気の毒であるというのは臆説です。ただ、この処方がこの病を治療するということを理解した上で、処方を与えると言うべきです。

一、胸痺とは、病人が胸がふさがると言うものがこれです。

一、呉茱萸 枳実 厚朴云々のことに関しては、この処方を病人に施して治るのをみた後に、書物を見て会得するようにします。この処方は、六十年来病人に試みて会得したことを書いたものなので、何もなしに見ても理解し難いためです。

一、食べると刺痛し吐逆する婦人がいるとしても、その病人を見なければ、枳実湯か紫円かわかり難いものです。

一、会津噎膈病のこと。紫円を用いて毒が尽きないため、用い尽すうちに死ぬものは、扁鵲もこれを救うことができません。

一、結胸は胸中のことです。心下が満ちて鞕痛するものは胸中の毒が及んだものです。人参 黄芩 甘遂 芒硝の軽重はありません。薬に軽重はありません。毒の主治によって用います。

一、懊悩は、世にいうところの食傷で吐く前の、胸中の状態から理解します。

一、心下痞は、これを按じて濡のものです。心下で手に感じるものは鞕です。

一、山下氏の瘂は、心中が煩悸する毒です。ですから大黄黄連湯を用いて治します。

一、拘急拘攣のことですが、攣は引くということで、急は急迫です。東都の友人の説はよくありません。

一、拘攣拘急の説は、まだ理解されていません。病人に学んでください。拘攣拘急と鞕とは混同しやすく分け難いものです。よく勉強してください。

一、動とは、脉動ではありません、ただ動ずる気です。

一、怔忡と悸とは同じ証です。

一、泄瀉も痢疾もわが党では区別していません。ただ毒の所在だけを視ます。

一、急結とは、一事の急逆です。

一、腹鳴は、按じても按じなくても腹鳴です。腹鳴には、柴胡湯もあり 半夏瀉心湯もあり 附子粳米湯もあります。よく考えてください。

一、小結胸 大結胸は後世の人が名づけたものです。小陥胸 大陥胸湯の処方で用いるべき毒を理解します。足下〔訳注:あなた〕は小柴胡湯を用いる病が明確になってはないと思います。勉強してください。

一、小青竜湯の症で小青竜湯が効かないのは、薬が病毒に勝つことができないためです。薬力が不足しているのか、処方が誤っているのかは、病人を診なければわかりません。

一、死ぬまではすべてに主る処方があります。

一、腹状が詳かでなければ、処方しません。

一、石膏黄連甘草湯を用いて白虎湯を用いないのは、黄連が主る毒があるためです。

一、痘毒は、紫円がよく治します。死はただ死です。扁鵲もなにもできません。紫円十載未満は三分斗、日々毒が尽きるまで用います。危症の病人を好んで治すべきではありません。病家から死を委ねられた場合に行います。そうでなければ道に害をなします。

一、倒壁円の事は、だいたい世の中に伝わっているとおりです。七宝丸を始めて用いる所もすべてこの処方のとおりで、用い方も同じです。その後、七宝丸は朝一銭目、夕に一銭目とは違い、朝五分夕五分と、朝夕で一銭目です。現在用いている七宝丸は昔とは異なります。

一、近年、祖父の百年祥忌にあたります。そのため来年は二月下旬より芸州へ罷(まか)り下り、祭祀を執行させていただこうと思っております。。帰京は如月〔訳注:二月〕下旬になりますので、それからの道中は暑くなってきますので、秋八月には関東に向って下ろうと思っておりますが、なにせ七十歳ですから、何事も難しいことでしょう。


        頓首     東洞老人







右は翁の門人の某という者が、迷ったことや、翁が治した難症について、道が遠いため、書翰で聞いたものを、翁が書いて解き明かしたものです。書は草書体で国語を交えており、文章も簡易でわかりやすく、その情の深さを感じさせます。その子孫が翁の自筆であるため巻き軸として、珠宝として蔵していたものです。私の友が、ひそかに借りることができ、写したものを、私もまた写して蔵しました。



一元流
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