中国医学の流派:総論





中国医学の流派に対する考え方をまだご存知ではない方のために、この訳文を捧げます。原論文は、《上海中医薬雑誌・1979年:5期》《学派争鳴在祖国医学発展中的貢献》というもので、著者は任応秋になっています。

ご存知の方も多いかと思いますが、私もこの論文をある先生の図書室で見つけてびっくりしたのでした。あの任応秋が、このような医学史的なものにも首を突っ込んでいたのかと。で、読み進んでみると、真に失礼な話しではありますが、たぶん、これは任応秋本人が書かれたものではないだろうと思いました。構文が雑ですからね。ということで、かの任応秋が書いたものであるというような、名前に頼って中味を無条件に受け容れるということはできなくなりました。

しかし、このような中医学の各派の特長をつかんでおくと、中医学の書物を読んでいく上で便利だろうと思いますので、ここにかかげておきます。









中国では歴史的に、さまざまな学術流派による百家争鳴によって、中国文化の発展が促進されてきました。これと同じように、さまざまな医学流派による百家争鳴によって、中国医薬文化の発展が促進されてきたことが、歴史的な事実として残されています。

中国医学の長期にわたる歴史的な発展過程の中でもっとも古いものは、漢代以前にまで溯ります。当時の経済的な生産力の発展にともなって、医経派と経方派という二種類の流派ができました。医経派は、基礎理論を研究するグループであり、現存する《黄帝内経》は、この医経学派の中の大家のひとつであると考えられます。経方派とは当然、経験方を指して言っているものです【原注:この時期にはまだ経によって方を論ずるまでにななっていませんでした】。《漢書・芸文志》の記載によると、医経派には七家あり、経方派には十二家あったということです。中国医学では早くも数千年前に、臓腑・経絡・病理・診法・弁証・治則・鍼灸・方薬・摂生といった基本的な問題が、理論的な基礎として体系的に構成されていました。この説に本づいて各学派各医家は徐々にそれぞれ独自の論を構成していくことになります。

中国医学の歴史は非常に長く、医学流派も非常に多岐にわたり数多くあります。その中で代表的なものは、「河間学派」「易水学派」「傷寒学派」「温熱学派」の四大学派です。以下にそれぞれの学派の特徴について個別に述べていきます。









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