絡を通じさせることは
奇経に入ることでもある





葉天士は奇経八脉の理論的な運用を非常に重視し、奇経と絡脉との 間に密接な関係があるということを認識していました。

『通絡兼入奇経』 という言葉は、まさにこの奇経と絡脉との密接な関係について述べている 言葉です。

では、どうしてこのような関係が成り立っているのでしょうか?

その答えは、奇経八脉に関するいくつかの問題を理解していく中から得る ことができます。







奇経八脉(督脉・任脉・衝脉・帯脉・陰維脉・陽維脉・陰蹻脉 ・陽蹻脉)は、そもそも《難経》の中で総合的に論じられています。

そこでは奇経八脉が十二経脉を調節しているさまは、湖が川の流れを調節 しているようなものである、とされています。

このような機能、奇経八脉 がそれぞれと関係する経脉を連絡している様子は、絡脉の特徴を奇経が兼 ねているものであると考えることができます。

たとえば陰維脉と陽維脉と はそれぞれ陰経・陽経と連絡していますが、《難経》ではこのことを、全 身を維絡していると把えています。

また、陰蹻脉と陽蹻脉とはそ れぞれ足の少陰と足の太陽の経脉から分かれて出ているものですから、こ れもまたその絡脉であるとみることができます。







では、葉天士の医案の中でこの概念がどのように活用されているの か見てみましょう。

医案には、『右後ろの脇が痛み腰胯に連なるもので必 ず悪寒し逆冷するものは・・・(中略)・・・脉絡の痺証であり、陽維・ 陰維によってその病を論ずる。』【原注:処方:鹿角霜・小茴香・当帰・ 川桂枝・沙苑・茯苓】とあり、

また、『顔色が赤く痰が多く、大便がすっ きりでないものは、過労や怒りによって肝が傷られ、陽気が陰に交わらな くなったもので、陽維と陰蹻の二脉が血によって栄養されなくなった ものです。・・・(後略)・・・』【原注:処方:金斛・晩蚕沙・漢防已 ・黄柏・半夏・萆薢・大檳榔汁】とあります。


前者の例は、右 後ろ脇から腰胯に連なって痛み、悪寒を兼ねているということに基づいて、 陽維脉で論治し、温養を主とした用薬をしています。

また後者の例は、陽 が浮いて陰と交わらなくなっているという診断に基づいて、陽維脉と陽 蹻脉とで論治し、養陰を主とした用薬をしています。

前者の処方のう ち鹿角には、温陽・活血・化瘀の功能があり、『通絡兼入奇経』 の代表的な薬物であるとされています。

また小茴香・当帰・桂枝・沙苑し つ藜はみな、絡を通じさせるために葉天士が常用している薬物です。

後者 の処方のうち蚕沙・萆薢は、風湿を取り去りながら絡を通じさ せる薬物です。

陰陽の維脉と蹻脉とはともに下肢を循っています。

で すから、肢体に病があり痛むものは、この両脉を用いて常に論治している のです。







衝脉・任脉・督脉・帯脉は主として体幹部を循っています。

そして、 衝脉は十二経を通行させ・任脉は陰経を任受し・督脉は陽経を督率し・帯 脉は各経を約束するというように、それぞれが皆な経脉と連係しています。

葉天士は奇経のこのような特徴を把えることによって、絡を通じさせる作 用と奇経を通じさせる作用とを結合させて考えていったわけです。







たとえば、産後に浮腫や冷痛が現われるという病症に対して、『衝 脉・任脉が先に虚したことによって、蹻脉・維脉がその用〔訳注:機 能〕を発揮できなくなったものである。このような場合に下元を温陽させ るには、絡脉を通じさせる。』と語っています。

衝脉も任脉も胞中からお こります、ここで言われている下元【原注:下焦】とはすなわちこの胞中 のことを指しています。

処方としては、まず蓯蓉・鹿角・肉桂とい った下元を温陽する薬物を用い、さらに当帰で衝脉・任脉・帯脉を調え補 い、牛膝・茯苓で寒湿を利し、小茴香で理気し、酒蜜丸を用いて絡脉を宣 通させる作用をさらに増強させています。







また、産後の脉状が濡で悪露が紫黒色の患者に対して、『これは絡 脉が虚したものであり、衝脉・任脉を治療しなければならない。辛甘の薬 を用いて理陽する。』と述べ、上段の例と同じような治療を葉天士はして います。







『瘕聚が左に結し、肢節が寒冷』な患者に対しては、 『奇経に病がある、辛香の薬を用いて治療する』と同じように述べ、さら に、『奇経の脉が結実しているものに対しては苦辛と芳香の薬物を用いて 絡を通じさせようと古人はした。また虚しているものに対しては辛甘温補 の薬物を佐として必ず用いて脉絡を流行させようとした。このようにして 気血を調和させようとしたのである。』と述べています。

つまり、実証の ものには苦辛芳香の薬物を用いて絡脉を通じさせ、虚証のものには辛甘温 補の薬物を用いて絡脉を和させ、これによって奇経を通理させることがで きると考えていたわけです。

虚証のものに対して葉天士は、通陽法の代表 としては鹿茸を用い、通陰法の代表としては亀板を用い、填陰潜陽法とし てまた両者を同時に用いました。







『経漏三年』〔訳注:崩漏となって三年経過しているものという意 味〕と頭書された医案には、これらの事柄がよく整理されて述べられてい ます。

すなわち『月経とは、諸絡の血が血海【原注:衝脉】に貯められて 下ったものであり、崩漏や淋漓にはならなかったもののことである。』と し、

その背景には、『任脉がこれを担任し、帯脉がこれを約束し、維脉と 蹻脉とのしっかりした擁護があり、督脉がそのそれぞれの統摂作用を 総督している。』ことがあると述べています。

そしてこの症例の場合は、 『衝脉が動じて血が下り、諸脉が皆なその作用を失調しているのであるか ら、当然その証は虚である。』『陰を通じさせることによって奇経を調節 するべきである』と考え、通陰潜陽の方法を用いて『奇絡を徐々にしっか りさせなければならない』と語っています。

この論の中で葉天士は〔訳注 :奇経と絡脉とを一語にして〕奇絡という言葉を使っています。これは彼 が好んで用いている言葉です。

ここにも、奇経八脉を経脉でありかつ絡脉 であるとみなしている、彼の姿勢がよく表われています。







奇経八脉を絡脉として把える見方はそもそも《難経・二十七難》の、 『このようにして絡脉が満ち溢れます。』という言葉から出ています。

こ の言葉に対する滑伯仁の注には、『奇経は絡脉が満ち溢れることによて形 成されているものなのだろうか?ある人は、「このようにして絡脉が」と いう字句は、まさに奇経八脉を指して越人が語ったものであると言ってい る。また「正経に拘わらない」とあるのであるから、これをそのまま絡脉 を指すものと考えることもまたできるであろう。』とあります。

ですから葉天士の、『年数を経た宿病は、その病位は必ず絡にある』『長期にわたる病やたびたびおこる病は、その傷が必ず絡におよんでいる。』という言 葉の中で使われている「絡」も、主として奇経八脉を指しているものであ ると考えられるわけです。







このようにして、『長期にわたる病やたびたびおこる』いわゆる慢 性病を葉天士は、「八脉の失調」「奇脉の不固」「八脉の空虚」であると 診断し、その治法として「宣通奇脉」「鎮固奇脉」「填補奇脉」をあげて いるのです。









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