雑病論:葉天士





人には気の交わりがあり、天地に法っています。病むということはこれ以外のものが身体に起こるということです。診察するということの大法は、まず体質の強弱、形色や脉象、さらに起居などの生活状況からその病因を明らかにすることです。そもそも病というものには見証があり、変証があります。そしてそこには必ず始まりと終わりそして転変があるものです。診る者は胸中に明確な確信を得て後、これに処方を施さねばなりません。気血陰陽は診察する上での要旨となります。初めは気が結して経にあり、それが長期にわたると血が傷られて絡に入ります。ここにおいて臓腑経絡気血を明確に分析し弁じ分けていくわけです。新しい邪であれば急いでこれを散じるべきですし、古い邪であればじっくりとこれを攻めるべきです。

薬を考えるときには、まずその気味を考えます。陽が傷られているときには薬の気を取り、陰が傷られているときには薬の味を取ります。上焦の薬としては辛涼を用い、中焦の薬としては苦辛寒を用い、下焦の薬としては鹹寒を用います。肺の位置は最も高く、辛によって通じ、微苦によって降ります。脾は昇らせれば健かとなり、胃は降らせれば和します。脾は剛燥を喜び、胃は柔潤を喜びます。脾腎は柔臓ですので、剛薬を受け取ります。心肝は剛臓ですので、柔薬を受け取ります。肝は剛を悪み涼を喜び、腎は燥を悪み暖を喜びます。大きく言えば、上焦は降し通じさせるべきですし、中焦は守り循らせるべきですし、下焦は潜め固めるべきです。用薬における大旨は以上のとおりとなります。







ただ三焦を分けるだけでなく、気にあるのか血にあるのかを明確にしなければなりません。そもそも人には臓腑の外に必ず脉絡があります。絡中とはすなわち血が集まる場所です。気分の治療で効果が上がらなければ、血絡を治療するべきです。そもそも長期にわたる病は必ず絡に入ります。絡は血を主ります。剛薬はよくありません。内傷に属する病ですので、膩補(じほ)してもいけません。佐として辛香を用いることが絡病の大旨となります。

脉絡に病がある場合に、辛香を用いずにどうしてその郁を開くことができるでしょうか!気血を宣通させる方法を考えなければならないのです。もし長期にわたる病で、邪正がその間に混在している場合は、草木では駆逐できません。虫や蟻を用いて陽分に向かって疏通させ邪を追い払います。虫や蟻の血中を捜逐〔訳注:そうちく:探し出して追い払うこと〕する力を借りて、邪結を攻め通じさせるわけです。







臓腑の絡が傷られることによって、奇経に及びます。奇経は肝腎に司られることが多いものです。けれども衝脉は陽明に隷属し、八脉は全身を綱維します。医において八脉の理に明らかでなければ、ただその虚を指して、剛薬としては桂枝・附子を用い、柔薬としては地黄・五味子を用いますが、これらはすべて奇経の治法とはなりませんので、長期にわたる損傷は回復することができません。味が厚く質の静かなものや、血肉有情のものを与えて、その精隧(せいすい)を充実させることによって、奇経を通じさせ補っていくわけです。

奇経が結実しているものには、苦辛と芳香とを必ず用いて脉絡を通じさせます。虚するものには、辛甘温補し、佐として脉絡を通行させます。これによって気血の調和が取れれば、病は必ず癒えていきます。



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