産後の便秘の歴代の考え方




産後大便難についての歴代の記載の中では、《金匱要略》における [婦人産後病脉証并治]におけるものが始めてのものです。そこには、 『出産後の婦人には三種類の病がある。そのひとつは痙病であり、ふたつ は郁冒であり、みっつは大便難である。』と記されており、その原因は、 『津液を亡ぼしたために胃が燥いたのである』とされています。

次に記載されているものは、《諸病源候論》の[産後大便不通候] です。そこには、『腸胃にもともと熱がこもっているものが、出産によっ て水も血も降るため、津液が竭して燥き、腸胃が渋り、熱が腸胃に結した ものである。』と記されています。大便燥結の原因が熱にあると考えてい るわけです。







北宋の《産育宝慶集》では、『腸胃が虚弱となり、津液が不足した ものである』と産後大便難がおこる原因が述べられており、さらに『もし 五六日を越えて腹中が悶痛するようなものは、』麻子仁丸を服用すると宜 しいと、本病に対する治療法を始めて確立しています。

《三因極一病証方論》ではその論をさらに進め、『産後便通がつか ないのは』『血が漏れすぎたためであり』『大黄の証に似てはいるが、軽 々しく大黄を用いるべきではない』として、『葱涎(月昔)茶を丸剤にして、 ふたたび葱茶でこれを下す。』と記されています。

薛立齊が校注した《婦人良方》では、用薬の時期について念がおさ れています。『もしその日数や、飲食の回数を計算しただけて、薬を用て これを通じさせようとすれば、掌を返す間にも禍いがおこるであろう』と し、ただ『自覚的な腹満感や脹感がおこる』時期を待ち、『これを出そう としてもでき』ないような時期になってから始めて、すでに『結は直腸に ある。猪胆汁を用いてこれを潤すと宜しい。』と論じています。また彼は これを弁別して、『もし血が出過ぎているものであれば十全大補湯を用い、 血虚によって火を生じて燥いているものであれば四物湯加味を用い、気血 ともに虚しているものであれば八珍湯を用いる。』と論じ、さらに、『数 日便通がないとしても、飲食が平常通りであり、腹中ももとの通りであれ ば、八珍湯に桃仁と杏仁とを加えて治療する。』と述べています。このよ うに彼の用いた薬物には、潤燥滋液・養血行気という意思が非常に明確に 現われています。







《女科経綸》ではこれらの説を帰納して、『内に津液が亡ぼされ』 『血が虚したために火が生じ、それによって燥かされているのであるから』 『当然、これは元気が傷られているものである。ゆえに苦寒の峻剤を用い ることを戒められているのである。苦寒の峻剤を用いれば、さらに気血を 傷り、徐々に救いようのない事態となるからである。』と論じています。

《医宗金鑑》の[婦科心法要訣]では、薛氏の弁証の要点に賛同し ている以外にさらに、『その虚実をよく考えて便通をつけていかなければ ならない。血が盛んになり津液が回復してくれば、自然に反応が出てくる ものである。』と、本病の治療法を総括しています。







以上見てきたように、産後大便難に対する治法は、《金匱要略》か ら始まり、清代に至って完成されています。そのすべてが、この病因は、 出産による血や液の消耗によるものであるか、あるいは陰虚によって腸胃 の熱が盛んになったためであるとしています。またその弁証においても、 腹部に脹満があるのかないのかということに焦点がおかれており、血や液 を滋養して腸を潤し便通をつけることに重点がおかれ、攻下の薬剤を用い ることで元気をさらに傷らないようにと戒めています。さらにこの治法に おいても、内服と外治とを連携させることに注意を払われています。この ような理論と実践経験とは皆な、現在の臨床においても参考にされている ものです。









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