気血





身体を気一元の観点から把えると、一元の気が動いているに過ぎないものであるということはすでに述べました。

ここでは、その一元の気を二つの対応する観点である気血から把えなおそうというのが、ここで語られようとしている気血の定義です。

古来、この「血」というものが具体的にイメージできるため、陰陽概念としての気血と、実際の生理的な物質としての気血とが混同して用いられ続け、現代に到っています。

ここではその違いを明確にし、一元の気として存在している身体の場を、陰陽概念としての気血という観点から把えなおしていきます。生理的な物質としての気血の問題についてより具体的に理解したい方は、後のファイルをお読みください。

全身を気血という陰陽概念で把えるということは何を意味するのかということに関して、《素問・陰陽応象大論》に、『黄帝は述べられました。陰陽は天地の道、万物の綱紀、変化の父母、生殺の本始、神明の府です。病を治療する際には必ずその大本を求めなければなりません。陽が積み重なって天となり、陰が積み重なって地となります。陰は静かで陽は躁がしいものです。陽が生まれれば陰が長じ、陽が滅びれば陰も蔵(かく)れます。陽は気に化し、陰は形を成します。』と述べられています。

ここで述べられている、気に化した陽を気と、形に化した陰を血と、このファイルでは呼んでいるわけです。別の言葉で言うと、身体の形をなす部分、すなわち骨格や臓腑や皮膚なども血という観点で代表され、それを動かすものが気という観点で代表されるものであるということになります。

なぜ、形という言葉を用いずに血という言葉で代替させているのかというと、そこに変化し続ける人体を見ていこうとしているためです。生命は気血の対応関係に従って流動的に変化し続けているものであると考えているため、形という固形的な概念ではなく血という流動的な概念を持ちやすい言葉を使っているわけです。

この場合の気血の関係は、本体とその機能の関係であり、体用関係と呼ばれるものにもっとも近いでしょうが、本体が主で機能が従というこわけではなく、本体を養う盛んな動きを気のほうが担っているとみることができます。



中医学の気血論




これらの関係に関して、現代中医学では以下のようにまとめています。その一々についてコメントを付しておきます。



◇気は血の帥である(気の血に対する優位的作用)血は気の母(血はたえず水穀の精微を気に与えることにより機能を持続させる)

これは、人が生きて存在してるということを考えた際、動きを主るものとしての気と、形を表すものとしての血との陰陽関係について述べているものです。一般的には、身体がなければ気はなく、気がなければ生きることはないわけですから、これは相互にどちらが優位であるとかどちらが基本的な要素であるとか考えること自体無意味なことです。一元の生命を、機能と本体という側面を陰陽の観点として把えてみているのであるということを忘れないようにしましょう。



◇気は血を生じる   生血

気血一元として身体が存在している以上、気と血とをこのように明確に分けて語ることはあまり意味のあることではないと感じられる方も多いと思います。

全身の気血は、臓腑を中心とした内臓の機能によって作られていきます。作られた気血は、一元のものであっても、相対的に気が多い場所や相対的に血が多い場所、気血ともに横溢している場所や気血ともに欠乏している場所、また、その身体の運動にしたがって、アンバランスになっている時期が存在します。

その際、気が多く集まっていれば血もそこに集まりやすいということはいえます。

そのあたりのことがこの気は血を生ずるということの意味です。



◇気は血をめぐらせる 行血

気血一元の身体の中で、構造物そのものである血をイメージすると、それを動かす風、動きを与えるエネルギーがそこに存在しているということが理解できますでしょう。その生命エネルギーの部分を気と呼んでいますので、気は血をめぐらせるという概念が生じるわけです。

鍼灸を行う場合、血に直接働きかけるわけではなく、より動きが速く変化しやすい気に対してアプローチすることになります。気は血をめぐらせるという概念は、鍼灸によって体質を変えることができるということを意味しているものです。



◇気は血を摂する   摂血

鼻血や出血性疾患などを治療する場合に、生命の守りとしての気を調整することによって治療が可能であるということを示しています。これはことに大量出血をした場合に人参湯で補気することによってその出血を止めたり、紫斑病などでおこる内出血に際して、脾気を補うことによってそれを治療するといった具体的な治療体験を基とした概念です。

ただ、これを、全身の気血の問題の中で語ってしまうと、動きやすく変化しやすい気の本質との矛盾が生じますので、適切ではありません。



◇気は陽に属し(推動、温煦作用)血は陰に属す(栄養、滋養作用)

一元の身体という観点からいうと、分けることのできない一元の身体を陰陽という観点から見直したときの、気と形の関係を、気と血という言葉を用いて表現しています。

ですから、この「属」するという言葉は適切ではなく、気一元の身体の機能の側面である陽を気と呼び、形態の側面である陰を血と呼ぶことにします。

気の作用として大きなものは、全身を運動させ、暖めることであり、血の作用として大きなものは、全身を栄養し潤すことであるということを述べているものです。











一元流