八、渇を問う





口渇の有無を問うのは裏証の寒熱を弁別するためである。

さらに虚実の弁別もこれによって見ることができる。

内熱がきつければ、口渇が非常にきつく冷飲を喜び、常時氷水を欲する。

また腹は堅く・便は結し・脉は実で・全体の気が盛になる。

これは陽証である。









一、口渇して熱いものを喜び冷たいものを喜ばない場合は、火証ではなく中寒である。

では火証ではないにも関わらず、なぜ口渇が起こるのだろうか。それは、内に水分が虚しているためである。






一、病人に口渇があるかどうかを聞くと、「渇する」と言い、湯水が欲しいかと聞くと、「いらない」と言う。

それは内に邪火が無いために湯水を欲しがらないのであり、真陰が内に虚しているために口中に津液が無くなり渇しているのである。

これは口は乾いているけれども口渇ではない。

乾きがあるからといって口渇としてこれを治療してはいけない。






一、たとえ陽邪が盛でも、真陰が非常に虚していることが真因としてあって火がますます盛になり冷飲を喜ぶ場合は、実熱として治療してはならない。

内に水が足りないために、外から水を補給して助けようとしているからである。水が涸れ精も虚して真陰が枯れているのである。

脉と症状とをともによく観察し、やや癒えてくるようであれば、その死生はすぐに判断できる。

私は前々からこのような状態の非常に重症な傷寒病の患者を、峻補の剤を冷水に浸して服用させたり、また氷水と人参や熟地黄等の薬剤とをすこし時間をおいて交互に服用させて、回復させた経験を多数持っている。

普通の人がこれを見ると、非常に不思議がるが、ただこの理論を知らないだけのことである。なぜこの程度のことで不思議がる必要があるのだろうか。

このような状態での口乾・口渇・便の燥結のきついものには、人参・附子と冷えた水とを一緒に服用させるとよい。もし実結が無い場合は水を与えるのは控えるほうがよいだろう。








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