人身は一小天地である。
天地の気は陰陽を越えることなく、陰陽 和すれば後に天地はその清寧を得る。淵や岳がその停と峙を得れ ば、草木鳥獣全てが若々しくなる。
《易》に「山沢気を通じ、水 火相い射らず」とあるのは、陰陽がここに和すことを言っている のである。ゆえに《易》を天地になぞらえ、天地の道を彌綸する ものとするのである。
先に私も医を《易》になぞらえて、神明の 開闢する原とした。
人の身体は五臓六腑と四肢百骸とを備えてい る。気がなければ生きることがなく、血がなければ行くことがな い、気血は陰陽の類である。
医は、陰中に陽を求め陽中に陰を求 め、循環して終ることがない。逆に従えば順を得、消に従えば長 を得、虚に従えば満を得る。先天と後天とを分ち、燥湿の宜しき を審にし、剛柔の用を察する。
二気を説明するなら、表裏と虚実 であり、中庸を良しとして洞察していくのである。ここに古を斟 酌し今に剤することができるのである。
いわゆる神にしてここに 明らかなるものは、人にそれが備わっているのである。
《易》を 善くするものは必ずよき医者である。
営衛が調い、その後に経絡も順となり、陰陽が錯綜し、その後に 疾病が発生する。
軒岐は造化の神功を挽回することに具え、《霊 枢》《素問》の一書をなす。
しかし日月が天を経て江河が地を流 れること長きにわたった後の人は、幽を窮め渺を極めたとしても 明確にはこの書を理解できず、その術を誤って用いることになる 恐れがある。
その中でただ張仲景・薛立齊・朱丹渓・李東垣の各 氏だけは、明らかに悟り神に通じよくその蘊奥を窺ってそれぞれ に著述がある。この医家の指南となるものは越人と淳于の後にそ の名を連ねる。
《医宗》《医録》《医統》《抜粋》《宝鏡》の諸 篇は《内経》の羽翼とするに足るものである。この《六経》の外 の諸子百家もまた廃することはできない。
しかしあまりに多岐に わたっているため、若い頃からこれを学んでも、年老いてさえ医の 根源をつかむことができない。
ただよくその精華を把え、 多岐にならず漏らすことなく、燦くこと銀河のごとく、明らかな ること列星のごとくならねばならない。そして人の滞りを散じて 五臓を漱滌し、精を練り形を治めるところに、宗旨とするところがある。
これもまた《易》簡の蘊奥を伺い、参賛の功を具えるものである。
わが郡の張会卿先生は、介賓と名乗り、自ら通一子と号す。
書に 窺わざる所なく、壮年にして兵を談じ剣を撃つことを好み、思い は世に用いられんとするところあるも、《易》を筮して天山の遯 を得たため遂に意を決して帰りて林泉に隠れ、世を避けて仙境に 住す。
彼は軒岐の道に精しく、生死の境界・呼吸の毫芒を審にし ・浮沈の影響を弁じ・君臣佐使の源流を分析し・望聞問切の蘊奥 を深く窮め、類を集めて《景岳全書》の一著をものにしたのであ る。
列して八陣とし、中は九宮とし、前に門を分ち、後に方剤を ならべ、陳旧なる言葉は削り去って前哲の心思を開き、合うもの はこれを参考にし、疑わしきものはこれを断ち、略するものはこ れを補う。
これ誠に世の津梁、衛生の丹訣であると言える。
この書が海内に膾炙してからすでに久しいが、私は一目も見るこ とができず残念に思っていた。
しかし林汝暉の姪の倩が広東に来 たため、やっとこの書と巡り合うことができた。私は彼女に語っ た、「この書は広く人々を救うためのものであり、特別な人の下 にあるだけではいけない。一身や一家が私することがあってよか ろうか。」と。ここに翻刻し、もって諸世に公にせん。
作者の苦 心を裏切ることなく、長桑の禁方と同様これをここに授けるもの である。
会卿 魯 超 序
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