劉河間はその《原病式》で病機について語っているが、それは《内経・至真要大論》に基づいている。
しかしその《内経・至真要大論》の本論は、五運六気の盛衰勝復の理について述べたものであり、病機十九條は篇末に付け加えられているだけのものである。
そこでは、有るものはこれを求め・無いのはこれを求め・盛なものはこれを瀉し・虚したものはこれを補い・その血気を調達させることによって気血を調和させるのだと言っているのである。
この篇で見るべきところは、病機を語りながら運気の大綱を掲げているということであり、この中で気血の有無虚実の違いを語っているとは言っても、その中心はただ調和をもって貴しとしているだけのことである。
そのため、《五常政大論》には詳しく五運三気を弁じて、火の平気を升明と言い、火の大過を
《至真要大論》とはその趣が、全く異なっているのである。
《内経》が全く偏りなく非常にバランスよく構成されていることはすでに詳しく論証されているのに、劉河間はどうして《内経》の内容全てを通察することをしなかったのであろうか。
彼は結局、病機十九條中の百七十六字を二百七十七字で語り、虚実の弁証をせず、気血の盛衰を察せず、全ては実火によって病になるとして《原病式》を著したのである。
その影響力は現在にまで至っている。
実火による病は当然畏れるべきものであるが、虚火による病はさらに畏れるべきではないだろうか。
実火による病であれば寒涼薬を用いてその火を取り去るのもそんなに難しくはない。
虚火による病であれば寒涼薬を忌み嫌うこと甚だしい。
もし妄りに虚火の病に寒涼薬を用いれば、必ず病を悪化させることになる。
現代の人は虚火によって病になっている人が多く、実火によって病になっている人は少ない。
このような人々をも全て有余の病であるとして、火が原因であると言って治療してよいのであろうか。
唐宗以前の医学を見ると、このような歪んだ見方はされていなかった。
この《原病式》が出版され、
朱丹渓がこれに基づき、これを至宝として《局方発揮》を著して、陽は常に有余するといった論を述べ、
李東垣のような明敏な人物も、これに基づいて、火と元気とは両立しないと語り、
後の王節齊・戴原礼もこれを祖述し相伝としたため、
この説が一般に広まったのである。
このような次第であるから、現代の医学流派には劉河間・朱丹渓以外のものはすでにないのである。
動くものの原因をそのまま火としているために、治療効果をあげることができず、
反って人の生気を伐りその元陽を傷ることが多く、わけも判らずに人を傷つけてなお覚ることができないでいるのである。
悲しいことである。
時には一二の優秀な人物が出て、病の原因を全て火によるとすることの誤ちを知り、人の陽気を損なうことを惜しんではいるけれども、
その場合でも必ず劉河間の説を引用しこれに基づいて語っており、弁証に基づくものはどこにもない。
もとより《病機》は後学に対する指南とはなっているけれども、この門を一旦くぐってしまうと、もうそこから抜け出すことができなくなる者がこのように多いことは、真に畏るべきことである。
軒岐の医道に対する破壊は、ここに極まったと言わなければならない。
この大いなる誤謬の源をよく理解しておかなければならない。
そのためここに先ず記し、さらに下記のごとくその問題点を列記した。
一、劉河間が吐酸について語っている。
酸は肝木の味であり、火が盛となって金を制したために木が平らげられず、そのために肝木が自然に高ぶり酸を発するのである。
しかし俗医は脾胃を温和することを主として治療を施す。
経に、人が寒に傷られればすなわち熱を病むとあることを知らないのだろうか。云々。
私は思うのだが、吐酸や呑酸といった証は、総て飲食物が停積して消化することができないために起こり、停積して消化できない理由は脾胃が健全ではないためであろう。
脾土が弱っているのであるから、温脾健胃の法を用いるほかないではないか。
にもかかわらずこれを火盛を原因とした病であると考える必要があるのだろうか。
劉河間はここで妄りに経文を引いて証明しようとしているが、それこそ誤ちの甚だしいものとせねばならない。
本証についてはさらに詳しく弁証しなければならないところがあるので、詳しくは後の呑酸門に載せている。
相互に参照していただきたい。
一、劉河間が瀉痢について語っている。
白い瀉痢は寒であり、青紅黄赤黒の瀉痢は全て熱である。
大法:瀉痢し小便清白で渋らないものは寒であり、赤色のものは熱である 。
また消化不良の便で色は白で、腥穢な臭いはするけれども清冷で透明なものを吐痢し・小便は清白で渋らず・身は涼やかで渇せず・脉遅細で微のものは、寒証である。
消化不良の便であっても色は白ではなく・煩渇し・小便は赤黄であるいは渋るものは熱証である。
穀物を消化できるものは、色や他の症状を論ずることなく熱である。
寒性の下痢でありながら穀物を消化できているものに私は出会ったことがない。
また火というものは非常に速く動くため、熱が盛になって飲食物の伝化が失調し、消化しきれずに瘕泄という形で下痢するものもまたある。
劉河間はまたこのようにも言っている。
痢は熱である。熱が胃腸にこもり怫熱欝結してなるのである。
白色の下痢であるからといってすぐさま寒とすることは誤りである。
もし真に寒であれば、穀物を消化することができないのである。
どうして反って穀物を消化したことによってできる膿となることがあるだろうか。
市場にある穀物や肉類や果物や野菜を見ればよく判ると思うが、湿熱が非常に強い場合にそれらは自然に腐熟され腐っていくのである。
腹中に食物がある場合も同じことで、その人が湿熱の邪気に罹患すれば、自然に発酵して化して膿血となるのである。
劉河間のこの説は、正しいようで誤っており、人々に誤解を与えること甚だしいものがある。
白色の下痢をすればその原因が寒であるということは誰でも知っていることである。
しかし青色の下痢で肝邪を挟むものは脾虚が根本原因であるのに、それを熱証であるとすることはできない。
紅色の下痢をするものには臓が損なわれた場合・陰絡が傷られた場合になるものもあるのに、これをひっくるめて熱証としてもいいものだろうか。
黄色便でも消化不良の場合があるが、これも熱証とするのであろうか。
黒は水の色である、黒色便には元陽が衰えることによって出るものがある。
このようなものを熱証とすることには非常に問題があるのではないだろうか。
またおよそ瀉痢するものは、水が大腸に走るため、尿は渋ることが多い。
水が枯れ液が涸れるために尿の色が黄色くなることが多いのである。
であるから尿の色が黄色であるからといって、それを熱証であるとすることはできない。
液が少なければ渇し陰が亡べば煩す、煩渇の症状があるからといってそれによって必ず全てを熱証とすることはできない。
消化不良の便で清冷で透明なものは、大寒の証である。
しかしたまたま寒邪に臓を傷られたり、たまたま清冷な飲食物を摂ったために脾を侵され、少し温和を失うものもこのようなタイプの下痢をする。
これも寒を受けているのだが、大寒の証まではいっていないものである。
脾胃が傷られていてもその初期で陽気がまだ残っている場合は、清冷の消化不良便を瀉痢することはない。
もし清冷で消化不良の便を排泄するまで寒証と判断することを待っていれば、その人の陽気はもう大いに傷られているではないか。
それとも徐々に寒邪に侵されるのではなく、急にこのような状態になるとでも言うのであろうか。
徐々に寒に侵されることも寒証の一つである。
このような寒証こそ多いのではないだろうか。
もしこのような状態のものに対して熱証と判断し、寒涼剤を用いて治療すれば、生冷によって最初に傷られさらに寒涼剤によって傷られることになる。
氷を霜によってさらに固めたためにさらに冷えによる害を受けるようなものである。
多くの人々はこのような論をなすが、これによってたくさんの人々を傷つけているのである。
条文の初めの方を見ると白色の下痢をすることをまだ寒としているが、条文の後の方ではただ白色の下痢であるということから寒とすることは誤りであると言っている。
それでは下痢を治療する場合、清涼な下痢以外は全て熱証として治療するのであろうか。
これは真に非常な誤ちといわねばなるまい。
「もし真に寒であれば、穀物を消化することができないのである」と言い、
「どうして反って穀物を消化したことによってできる膿となることがあるだろうか」と言っている部分は、
最も妥当性を欠く部分である。
そもそも飲食物を丁度良い時期に摂取できれば、当然すぐに消化できるものである。
これが胃気の常態であり、人間は皆なこれによって生きているのである。
もし消化することが少し遅れるならば、これはもうすでに陽虚の病である。
穀物が消化されなくなるところまで待って後にやっとこれを寒であるとする必要はないのである。
また下痢に混ざった膿垢は飲食物が消化されたものではない。
そもそも飲食物が胃に入って後、そのうちの神に化し営衛となるものは膏血となり、消化することができないものは腸胃に留まって糟粕となるのである。
口より入った飲食物が精微となるか穢物となるかということは、そのルートからして異なっているのである。
だから、糟粕から膿に変化するということは最初からありえないことなのである。
垢は膿ではなく腸に蔵されている脂膏である。
どうしてこのように考えているのかというと、ついこの間、病人に大黄・芒硝などの瀉法の薬を用いて下したのだが、その時に排泄されたものも膿のような垢であった、
また、たまたま泄瀉をし始め一二日の間のものにも、この垢が見られることがあった。
熱によって化されて膿となるには、もっと時間がかかるものである。
また、長期間にわたって下痢が止まらず、何年にもわたって癒えることがないものでも、毎日この膿垢が見られることがあるが、
これら全てを、熱によって化さた膿が長期間にわたって出ているものとしてよいのだろうか。
そうではない。
これらがいわゆる膿ではないことは明白なのである。
膿ではないのであるから、どうして全てを熱ということができるだろうか。
この垢は腸に蔵されているのであるが、腸が傷られ膏脂が緩み剥げ落ちてきてこのようなものを排泄するに至っているのである。
このような膿垢が出ているのに臓気を安養させることを考えずに、寒涼剤を用いてその熱をとっていけば、
蔵せられずにいる気がますます傷られ、死に至ることにもなる畏れがある。
このように、現在においては下痢を治療したために反って危険な状態を招くことが多いのは、全てこの劉河間の説の害によるものなのである。
よく考えなければならない。
一、劉河間が語っている。
赤白の下痢をする場合、一般には寒熱を兼ねていると言われているが、この説は非常な誤りである。
水火・陰陽・寒熱は全てバランスよく存在しているものである。
一方が高ければ一方が低く、一方が盛であれば一方が衰えるという具合に。
にもかかわらず、寒熱の邪が同時に胃腸に存在してそれが混在して下痢をするということがあるのだろうか。
たとえば熱が瘡瘍を生じて白膿を出すこともあるから、ただ白いからという理由で寒とすることはできないだろう。
その熱が皮膚の分にあり、肺金に属するために白いのである。
脉の分にあれば、心火に属し血(疒+節)となる。
肌肉にあれば、脾土に属し黄膿となる。
筋部にあれば、肝木に属し膿色が蒼色を帯びる。
深く骨にあるものは、腎水に属し紫黒血が出るのである。
それぞれの五臓の部位に隨って五色が現われる。
これは標について言っているのである。
しかしその本は一つであり、熱によって全ての症状が発生し、そこに深浅の区別があるだけのことである。
大法:下に迫り詰まったように痛み・裏急後重し・小便が赤く渋るものは全て燥熱に属する。
白色の下痢をするものには必ずこれらの症状が揃っているので、白色の下痢であっても、これを熱として判断していくことは当然である。
この説にあるとおり、五色によって五臓を分けることは、だいたい理屈が通っていると言える。
しかしその根本的な原因が一つであり、それが熱であるとすることには、非常に問題がある。
五臓を五色に分類することには、もっと深い意味があるのだ。
ここに紹介してみよう。
そもそも五臓の弱りが原因で下痢する場合は、必ず脾胃に基づくものである。
脾胃が傷られれば五気全てが脾胃を侵すようになる。
赤色の下痢をするものは脾心の証であり、
青色を兼ねるものは脾肝の証であり、
白色を兼ねるものは脾肺の証であり、
黒色を兼ねるものは脾腎の証であり、
黄色のものはまさに脾の証である。
脾に心を兼ねたものは、火が土に乗じたものであり、その土は熱することが多く火証のようである。
脾に肝を兼ねたものは、土が剋を受けたものであり、その土は傷られることが多く火証ではない。
脾に腎を兼ねるものは水が反剋しているものであり、その土は冷えることが多く火証ではない。
脾に肺を兼ねるものは母気が泄れているものであり、その土は虚していることが多く火証ではない。
本臓そのものが病む場合は脾が傷られているのであり、その土は湿が多く火証ではない。
このように兼証にも盛衰があり逆順があるのである。
また、脾腎の強いものには実熱となるものがいるけれども、
脾腎の弱いものは虚寒となるものが多い。
これが臓気において弁じなければならないところである。
火は当然熱であるが、虚火と実火の違いがある。
風は当然陽であるけれども、風熱風寒の違いがある。
土は当然中気だけれども、湿熱寒湿の違いがある。
金の寒・水の冷は、ともに西北の化生したものであり、寒が多く熱が少い。
これらは理の当然と言えるところである。
であるから、五臓の虚によって生じた下痢を語るのに、その根本は一つで熱であるなどと言うことはできないのである。
ここでは寒証の誤解を受け易いものについては触れていない。
また赤白痢の意味について詳しくは後の朱丹渓の條の中で述べている。
一、劉河間が語っている。
下痢の治療には辛苦寒薬を用いるのが最もよい。
また少し辛熱薬を加えてこれの佐薬とするのもまたよい。
辛熱薬は欝結を発散開通し・苦薬は湿を燥かし・寒薬は熱に勝ち気を平らげるのによい。
銭氏の香連丸の類がこれである。
ゆえに下痢を治療するには黄連・黄蘗を君薬とし、苦大寒の剤を用いるのである。
湿熱の病を主として治療していくわけである。
劉河間のこの説のまま下痢を治療していくと、人々に大きな害を残すことになる。
またこの関連で彼が語った薬性によると、苦寒薬の多くは泄らす作用があるが、黄連・黄蘗だけは性は冷であるが燥かす作用があるとしている。
朱丹渓より以後の医者は皆なこの説に基づいて下痢の治療を行ない、現在も多くの医者が寒涼剤を用いて下痢の治療を行なっているが、それは全てこの説の誤りによるものである。
この説が孕んでいる問題は非常に多いが、とりあえず、苦薬が湿を燥かすことができるという劉河間の説が、大いに誤っているということをここに証明してみよう。
そもそも五味の意味は全て《内経》から出ている。
《内経》には、『苦をもってこれを燥とする意味は、苦の燥なるものについて言う。』とある。
劉河間は詳しくこれを理解することができず、苦薬は全て燥であると語ったのである。
また《内経》において苦薬を語る場合に、その性に二種類あり、その用に六種類あるということを知らないのである。
たとえば、『火は苦を生ず』
たとえば、『少陽在泉苦化をなす。少陰在泉苦化をなす。』とあり
また、『湿の内に淫するものを治療するには苦熱を用い、燥の内に淫するものを治療するには苦温を用いる。』とあるが、
これらは全て苦の性が陽であることを言っているのである。
また、『酸苦の湧泄するものは陰とする。』
『湿は地を司どる、熱が反ってこれに勝てば、苦冷を用いて治療する。』
『湿は天を化す、熱が反ってこれに勝てば、苦寒を用いて治療する。』とあるが、
これらは全て苦の性が陰であることを言っているのである。
《内経》にはこのように苦薬の性が二種類あることが述べられている。
また、『苦を用いてこれを発し、苦を用いてこれを燥し、苦を用いてこれを温め、苦を用いてこれを堅め、苦を用いてこれを泄らし、苦を用いてこれを下す』とあるのは、
その作用に六種類あるということを言っているのである。
そもそも苦で発するものというのは、麻黄・白し・升麻・柴胡の類である。
苦で燥するものとは、蒼朮・白朮・木香・補骨脂の類である。
苦で温めるものとは、人参・附子・乾姜・肉桂・呉茱萸・肉豆(蒄)・秦椒の類である。
苦で堅めるものとは、続断・地楡・五味・訶子の類である。
苦で泄するものとは、梔子・黄蘗・黄ごん・黄連・木通・竜胆草の類である。
苦で下すものとは、大黄・芒硝の類である。
気化の法則における、陽は燥し、陰は湿 すということは、変ることのない真理である。
にもかかわらす、沈陰下降の作用が黄連・黄蘗の類に有るとし、その性が苦大寒であるとしながら、燥す作用があるとすることは、はたして理屈が通ることだろうか。
また、苦燥という一言のみを知り、苦発・苦温・苦堅・苦泄・苦下をまったく理解していないのはなぜなのだろうか。
そもそも医を語る者が誤り易いところは、いつも自分で是とすることを語りながらその是とする理由を理解していないところである。
この劉河間がいい例である。
彼の言によって後世の人が下痢を治療しようとするときには、寒熱虚実を弁別しないで治療することが多く、劉河間の方法を用いることによって反って病状が悪化してしまうことが多くあるのである。
血色がこのようであるのにどうして温を用いるのか。
腹痛がこのようであるのにどうして補を用いないのか。
死んでも悟ることができない彼らを、深く哀れむ他ない。
これは誰の咎 なのだろうか。
一、劉河間が腫脹の条文の中で語っている。
腫脹とは、熱が勝ったために浮腫するものである。
たとえば六月は湿熱が非常に多く、多くのものが隆盛となる。
このことからも水腫の原因を明確に理解できるであろう。
果してこの説の通りなのだろうか。
腫脹の病も熱が原因でなるものはあるけれども、寒が原因でなるものも少なくない。
熱が原因でなるものには、湿熱が壅いだため尿道が通じ難くなってなるものがあり、
寒が原因でなるものには、寒湿が滞り陽気が化することができなくなってなるものがある。
ゆえに経に、『臓が冷えれば満の病を生じる』とあり、
また、『胃中が冷えれば脹満する』とあるのである。
これは全て軒岐による言葉である。
これから見ても、腫脹の病を全て熱病とすることはできまい。
また、「六月は湿熱が非常に多く、多くのものが隆盛となる」のは、
太和の気が陽気を化し形質が強壮になることを例えて言っているのであり、
これを浮腫の病と重ねて考えるのは、
例えとして用いること自体が非常に誤っている。
一、劉河間は語っている。
戦慓し動揺するのは火の象である。
慄を、寒慄あるいは寒戦と言い、その原因が脾寒によるとするのは、変化の道筋を明確に理解していないためである。
これは心火の熱が甚だしいため亢極し震えているのである。
また心火の熱が水化を阻んでいるために寒慄するのである。
であるから寒慄するものは火が甚だしいために水に似るようなものなのであって、寒気をそこに兼ねているために寒慄しているわけではないのだ。
この説では、寒慄が現われるもの全てを火証としている。
もしそれが正しいのなら、どうして経にこのように語られているのであろうか、
『陰が勝てばすなわち寒をなす。』
『陽が虚すれば外が冷えることを畏れる。』
『陽が虚して陰が盛であれば、外に気がなくなる。ゆえに寒慄する。』
『陽明が虚すれば寒慄し歯をガチガチいわせる。』と。
これらは全て経の言葉である。
にもかかわらず劉河間は、寒慄するものの全てを火によるものとしている。
その誤ちをよく理解していただきたい。
一、劉河間が語っている。
驚くとは心臓がドキドキして休まらないことである。
恐れて驚き易いのは、恐れたことによって腎が傷られ、水気が衰えて心火が相対的に盛になったために、驚き易くなるのである。
ここに語られている恐れれば驚き易くなり恐れることによって腎を傷るということは、経には、
『肝気虚すれば恐る』
『恐れればすなわち気下り、驚けばすなわち気乱れる。』
『肝気が虚すと腎気が傷られ、気が下って乱れる。』とある。
これは陽気が傷られたために起こる病である。
陽気が傷られているのに、甚しい心火が驚の原因になるなどと言うことができるだろうか。
恐れが腎を傷り、腎が肝木を滋養することができないために肝が虚して、驚き易くなることもあるだろう。
また、腎水が衰えたために驚き易くなるものもあるだろう。
しかし水が衰えれば必ず火が盛になるものなのだろうか。
一般的に見られる驚恐の人は、陽萎や遺溺をともなうことが多い。
虚証なのである。
もともとが虚であるために、火が心に入って驚き易くなるものも当然ある。
しかし恐れ易いということが原因となって驚き易くなるものを、すべて火証であると断ずることはできない。
まったくもって理にもとること甚だしいものがある。
一、劉河間が語っている。
虚妄な者は、心火の熱が甚だしいためになるのである。
腎水が衰えて志が定まらなくなったために、神志が常軌を逸し、鬼神を見たりするのである。
鬼神を陰とし、これを見る者は陰極陽脱に至って、陽気がなくなったためであるとするのは、誤ちである。
この説では、神魂がその守るところを失って妄見妄言するものは全て火証であるとしているのだが、そのようなことはない。
邪火が盛になったために陽気が狂い鬼を見るようになるものも確かにあるが、
陽気が非常に虚したために陰邪である鬼を見るようになるものもあるのである。
《難経》には、『陰が脱するものは目が盲くなり、陽が脱するものは鬼を見る。』とあるし、
華元化は、『その陽を得るものは生き、その陰を得るものは死す。』と言っているではないか。
これはでたらめなのだろうか。
どうして自信家というものは、このようなことを軽々しく語るのだろうか。
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