陰維脉の病




二九難に曰く。陰維の病は心痛に苦しみます。



【原注: 陰維は営を主ります。営は陰血とし裏とします。陰維の病は、邪気が営血にあります。血は心の主るところですので心痛に苦しみます。

そもそも陽維の病は寒熱して表にあり、陰維の病は心痛して裏にあります。

張潔古が曰く。営は陰であり、裏を主ります。陰維が邪を受けた病は、裏にあるため、心痛に苦しみます。

滑伯仁が曰く。陰維は諸陰をめぐって営を主ります。営は血とし、血は心に属しますので、心痛に苦しみます。

王文潔が曰く。陰維は血で内を流れます。もし病を受けると、血が心を営することができなくなって心痛に苦しみます。病が裏にあって表にはないものはこのような状態となります。 】




また曰く。陰陽が自ら相い維ぐことができなくなると、悵然として志を失い、云々



【原注: これは陰維の病です。悵然とは、恍惚として志を失うことで、内の精神の病です。

陰維は諸陰の脉を維絡します。そもそも陽は外を主り、陰は内を主ります。ですから、陰維が病んで諸陰の脉を維持(つなぎたもつ)することができなくなると、内に精神が怯し、悵然恍惚として志を失います。

志を失うとは、精神が恍々(ホレボレ)として、正気を失うことをいいます。 】







《刺腰痛論》に曰く。飛陽の脉は人に腰痛をおこさせます。痛む場所が怫々とし、甚だしいときは、悲しみ恐れます。



【原注: 飛陽は、足の太陽の絡穴です。外踝の上七寸にあり、別れて足の少陰に走ります。飛陽の脉とは、陰維脉の発するところで築賓の穴です。

そもそも陰維は足の少陰に並びます。築賓も少陰の穴です。そこで、足の太陽の絡穴が別れて足の少陰に走る場所を飛陽の脉といいます。これはすなわち陰維の脉です。

この腰痛は、怫然として痛み、症状が激しいときには、陰邪が陽を犯して神にせまるので、みだりに悲しみ、みだりに恐れることとなります。

「怫々」《類経》の注に、痛み方が瞋憤(いかる)しているような感じです。痛み方が急で荒々しいことをいいます。と述べられています。 】




飛陽の脉を刺します【原注:このような腰痛のものには飛陽の脉に鍼をします】。内踝の上五寸、少陰の前、陰維との会にあります。

【原注: これは、飛陽の脉の穴処を述べています。すなわち築賓穴です。築賓は、少陰と陰維との会する場所であり、陰維の郄です。

「少陰の前」築賓は、復溜・交信の前に位置するため。


ある人が聞いて言いました。陰維の脉はどうやって人に腰痛を起こさせるのでしょうか。

答えて曰く。諸々の腰痛は、少陰腎経に属します。陰維の脉はもっぱら、足の少陰の行路に並んでいるため、このように述べられています。 】







張潔古が曰く。陰維が病むと心痛に苦しみます。その治は三陰の交わりにあります。



【原注:交会の穴を用いて陰維の病を鍼治します】




太陰の証【原注:以下は内治について述べています】には理中湯。



【原注:陰維は諸陰の交わりに起こりますので、三陰の証は陰維に属します。もし太陰心痛の証であれば理中湯を用いるという意味です。下文はこれにならて考えます】




少陰の証には四逆湯、厥陰の証には当帰四逆湯・呉茱萸湯。



【原注: 李時珍が曰く。

張潔古は、三陰を治療する際に温裏の薬だけを用いていますが、これは、寒が三陰にあたったものには、よいでしょう。けれども三陰が熱厥して痛むものに対する備えは不充分ではないかと思います。

そもそも陰維の脉は三陰に交わって流れるとはいっても、じつは任脉と同じく帰します。ですから、心痛の多くは少陰・厥陰に属し、任脉の気が上衝するために起こります。

急な痛みには熱がなく、長期にわたる痛みには寒がありません。

これを按じて少しやわらぐものは虚であり、按じようと近付くこともできないものは実です。

寒痛に、少陰および任脉を兼ねるものは、四逆湯。厥陰を兼ねるものは、当帰四逆湯。太陰を兼ねるものは理中湯がこれを主ります。

熱痛に、少陰および任脉を兼ねるものは、金鈴散延胡索丸。厥陰を兼ねるものは、失笑散。太陰を兼ねるものは承気湯がこれを主ります。

もし営血が内に傷られ、任・衝・手の厥陰を兼ねるものには、四物養営湯・妙香散がよろしいでしょう。

病因によってこのように薬するならば、陰陽虚実の病を自在に治療することができます。 】







王叔和の曰く。陰維の脉【原注:下文に述べられている、寸口の脉が少陽から起こり云々というのが陰維の脉です】が現われて、沈大にして実のものは胸中痛み【原注:陰維脉は、期門から胸をめぐって天突にいくため】、胸下支満し【原注:陰維の腹哀・期門に行く流れは脇下に近いため】、心痛に苦しみます。

その脉状が貫珠のようなものは、男子は両脇下実して腰中が痛み【原注:陰維は足の少陰に並び、足の少陰は腰痛を主るため】、女子は陰中が(かさ)ができたかのように痛みます。【原注:陰維は少陰に並んで陰股に上り、会陰を侠んで小腹に行きますので、陰中がこのように痛みます。】




また曰く。寸口の脉が少陽から厥陰に至るものは陰維の脉です【原注:これも陰維の病脉です。診法については後に図示します】。ややもすれば癲癇・僵仆・羊鳴に苦しみ、また僵仆・失音・肌肉痺癢に苦しみ、時に応じて自汗し悪風してその身体が洗々とした感じとなります。【原注:洗々は音です。皮毛が悽愴悪寒すること。】



【原注: 李瀕湖が曰く。

王叔和は、癲癇を陰維・陽維に属させています。《霊枢経》では、癲癇を陰蹻・陽蹻に属させています。この二説は、述べていることは異なりますがその意味は同じです。

そもそも、
陽維は、外踝から上って陽分をめぐり、肩肘に至り、耳額をまとい、最後に衛分・諸陽の会に流れます。
陰維は、内踝から上って陰分をめぐり、脇に上り、咽に至り、営分の諸陰の交に流れます。
陽蹻は、跟中に起こり、外踝をめぐって股外を上行し、脇肋・肩体に至り、全身の左右を流れて、目の内眥に終わります。
陰蹻は跟中に起こり、内踝をめぐり、股内陰器を流れ、全身の左右を流れて、咽喉に至り、任脉に会して、目の内眥で終わります。

邪が陰維・陰蹻にあるときは癲を発し、邪が陽維・陽蹻にあるときは癇を発します。癇は動きますので陽に属し、陽脉がこれを主ります。癲は静かで陰に属し、陰脉がこれを主ります。この二種類の疾患は、この四脉の穴の陰陽を分けて取ることによって治療します。

と。


ここでいう四脉とは、陰維・陽維・陰蹻・陽蹻のことを指しています。癲癇の病はすべて逆厥によって生じます。この四脉はすべて上行するものなので、癲癇の症状のものはこの四脉に属します。

李瀕湖が、癲を陰とし癇を陽としている説は、経旨に合わないのではないかと思います。癲は静かで癇は動くと分けるならば、癲は和名でいう「クツチ」であり、癇は狂症と分けているように思えます。しかし《霊枢・癲狂篇》で論じられているところをみると、癲癇はもともとは一つの症状であって、和名でいう「クツチ」にあたります。その動静によって分けてはいないのです。これ〔伴注:李瀕湖の、癲を陰とし癇を陽として分ける説〕は、知者の一失と言わねばなりません。 】










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