《内経》の三焦



■《黄帝内経》には、三焦に関して、六腑の一つとして記載されています。《難経》の三焦論を見ていくにあたって、もう一度《黄帝内経》において、どのように三焦論が展開されているのかということを押さえておこうと思います。


■まず、経絡を主として述べられている部分です。これには、《霊枢・経脉》と《霊枢・本輸》の二種類がありまして、かなり詳細に書かれています。そして、少し違いがあるのですね。ことに《霊枢・本輸》に述べられている下合穴の記載と、それに伴う膀胱、ひいては腎や胆との関係などは腑の機能としての三焦についての洞察がその奥に垣間見られて興味深い所です。双方とも、総合的に三焦を語っていますので、細かく分けることなくその全体を掲示しておきます。

『三焦は手の少陽の脉、小指の次の指の端におこり、上って両指の間に出、手背をめぐって前腕の外の両骨の間に出、上って肘を貫き、上腕の外をめぐり、肩に上り、交わって足の少陽の後ろに出、缺盆に入り、膻中に布き、散じて心包を絡い、膈を下り、めぐって三焦に属します。その枝は、膻中から上って缺盆に出、項を上って、耳の後ろを挟み、耳の上角にまっすぐ出て、曲がって額を下り、眼窩の下に至ります。その枝は、耳の後ろから耳の中に入り、耳の前に走り出、客主人の前を過ぎ、頬で交わり、目の鋭眥に至ります。これが動ずれば、耳聾や難聴になり、咽が腫れて通りが悪くなります。この主る所の、気によって生ずる病は、汗が出、目の鋭眥が痛み、頬が腫れ、耳の後ろから肩や上腕・肘・前腕などの外側がみな痛み、小指の次指が動きにくくなります。これらの病に対しては、盛んであればこれを瀉し、虚していればこれを補い、熱していればこれを速くし、冷えていればこれを留め、陥下しているものにはこれに灸し、盛んでもなく虚してもいなければ経をもってこれを取って対処します。盛んなものは人迎の大きさが寸口に一倍となり、虚しているものは人迎の大きさが寸口よりも小さくなります。』《霊枢・経脉》


『三焦は上に手の少陽に合し、関衝に出ます。関衝は手の小指の次の指の端にあり、井金穴です。液門に溜ります。液門は小指と次指との間にあり、栄穴です。中渚に注ぎます。中渚は本節の後の陥凹にあり、兪穴です。陽池を過ぎます。陽池は腕上の陥凹にあり、原穴です。支溝に行きます。支溝は腕を上ること三寸両骨の間の陥凹にあり、経穴です。天井に入ります。天井は肘の外、大骨の上の陥凹にあり、合穴です。肘を屈してこれを取ります。三焦の下兪は、足の太陽の前、少陽の後ろ、膕中の外廉に出ます。名づけて委陽といい、足の太陽の絡です。三焦は、足の少陽と少陰と関係し、足の太陽に別れます。外踝を上ること五寸の光明穴から別れて腓腹筋に入り、委陽に出、太陽の正経と合流して入って膀胱下焦を絡います。実すれば癃閉し〔伴注:尿の出が悪くなり〕、虚すれば遺溺します〔伴注:尿が泄れやすくなります〕。遺溺する場合にはこれを補い、癃閉する場合にはこれを瀉します。』『三焦は中瀆の腑であり、水道が出るところです。膀胱に属し、孤の腑です。』《霊枢・本輸》






■次に、《難経・三一難》に直接関連する、上中下の三焦の機能について述べられている部分です。これは、基本的に営衛の運行との関連として述べられています。経絡というものを外れて、営衛が運行されている。《霊枢・営衛生会》は、人身の一気を営衛に分けて語っている篇ですから、ことに営衛の運行に着目して三焦の問題が語られていると見ることもできます。しかしそれとともに、三焦の問題を考えていくと、営気の流れである経絡の流注を離れて、もっとダイナミックな気の運行というものも想定されているのだということが理解されるでしょう。このあたりのことを整理して張景岳は《類経》で『臓腑筋骨は内にあるので営気によって養われ経脉によって通じさせなければなりません。皮毛分肉は外にあるので、経脉はここまでは通じず営気が及ぶことができないので、衛気によってこれを温煦し孫絡によって養われなければなりません。』と述べています。

んーーー、でも考えてみると、経脉の流れという本道を外れていて、営気に養われにくいものは、内外の別なく衛気によって養われていると考えたほうが納得できますね。景岳も同じ箇所で『ただ内を行くものを営と言い、外を行くものを衛と言うことによって、ここに人身における陰陽交感の道があるわけです。これを分ければ二となり、これを合すれば一となるだけのことなのです。』と述べています。

『 黄帝は言われました。営衛の運行についてお聞きしたいのですが。これらはどこから来ているのでしょうか?

岐伯は答えて言いました。営は中焦から出ており、衛は下焦から出ています。


黄帝は言われました。上焦はどのように運行しているのかお聞きしたいのですが?

岐伯は答えて言いました。上焦は胃の上口から出て食道を上行し、隔膜を貫いて上り、胸中に散布し、横に腋下に走り、手の太陰肺経をめぐって下り、手の陽明大腸経にいたって返り、上って舌に至り、足の陽明胃経に下ります。常に営とともにめぐります。


黄帝は言われました。熱のある人は、飲食が胃に入ってまだ消化されていないうちに汗が先に出てきます。それは、顔に出たり、背に出たり、半身に出たりします。これは衛気の運行する通路に沿うことなく出てきますが、どうしてなのでしょうか?

岐伯は答えて言いました。これは外に風に傷られ、内に腠理を開き、皮毛が風熱の邪によって蒸され、腠理がこれによって開いてしまって泄れたものです。衛気がここに走るのはもとよりその通路を通っているわけではありませんが、これは衛気がもともと慓悍滑疾の性質を持っているため開いている所から出てしまうのです。正常な通路によらずに出てしまうのでこれを、漏泄と読んでいます。


黄帝は言われました。中焦はどのように運行しているのかお聞きしたいのですが?

岐伯は答えて言いました。中焦もまた胃中に合してあり、上焦の後ろに位置します。胃が受けた水穀は、糟粕をさり、津液を受け、その精微を化して、上に肺に注ぎます。そこで化して血となり、全身を養います。これはとても貴いものです。そのため血だけが経脉の中を流れることができるのです。名づけて営気といいます。


黄帝は言われました。血と気とは名は異なりますが同じ類であるというのは、どのような意味なのでしょうか?

岐伯は答えて言いました。衛は水穀の精気が化してできたもので、営は水穀の精微が変化してできたものです。このため、血と気とは名前は異なりますが同じ類に属するとされるのです。このゆえに脱血した場合には発汗させてはいけませんし、気を傷った時には血を消耗させてはいけないのです。ゆえに人の生命は一回死ぬと再び生き返ることのできないものなのです。


黄帝は言われました。下焦はどのように運行しているのかお聞きしたいのですが?

岐伯は答えて言いました。下焦は胃の下管からおこり、糟粕を大腸にわかち、水液を膀胱に注いで滲み入らせます。ゆえに水穀は胃の中に貯えられますが、消化されるに従って糟粕ができ、それが下に大腸に運ばれます。これが下焦の主要な機能となります。水液はすべて下に滲み、その水を去り清液を留め、その中の汚れた部分が下焦をめぐって膀胱に入ります。


黄帝は言われました。人が酒を飲んだ時も酒は胃の中に入ります。しかし穀物がまだ消化されないうちに酒の液だけが先に小便となって出ていきますが、これはどうしてなのでしょうか?

岐伯は答えて言いました。酒は穀類を発酵させ醸成して液汁となったものです。その気は剽悍で清純です。そのため、食物より後に入っても食物より先に小便として排出されるのです。


黄帝は言われました。そうなのですか。私がかねて聞いていた、上焦は霧のようであり、中焦は漚

〔伴注:《黄帝内経霊枢校注語訳》によると、この「漚」は「枢」の誤りではないか、とあります。これによって、中焦は、清濁の枢機であると考えているわけで、これはかなり説得力があるわねと思っているのでした。〕

〔伴注:勉強会での意見:三焦を漠としたひとくくりの気として把握するという前回の三焦形質論の流れからみると、このように中焦を枢として脾胃の臓腑機能を特別視するような発想はいかがなものか、という意見が出ました。ふむふむぅ・・・。〕

のようであり、下焦は瀆のようであるというのは、このような意味だったのですか。

』《霊枢・営衛生会》






■以上のような営衛と三焦との関係をおさえておくと、次の三焦と全身状態ことに腠理との関連がよく理解されると思います。


『上焦は開き発することによって五谷の味を宣し、皮膚を薫蒸して全身を充実させ、毛にツヤを与えます。これは霧露が注がれるような状態であり、これを気と言います。』『中焦は気を受けて汁を取り、変化させて赤くします。これを血と言います』《霊枢・決気》

〔伴注:この篇は、人身はただ一つの気であると聞き知ってるのに、これを精気津液血脉のという六種類に分ける場合があるのはどうしてなのか、という黄帝の問いに岐伯が答えたという体裁のものです。ですから、ここで語られている気血という言葉もおのずと、陰陽に分けた気血ではなく、「一気を六種類に分けたうちの気と血である」という認識が必要となります。このあたり気をつけて読む必要があります。六気の本は五谷でありそれは胃によって運化されるのであるから、胃の気がこれら六気の大本であるとする考え方もここに述べられています。〕


『三焦は気を出して肌肉を温め、皮膚を充実させてその津〔伴注:汗〕となり、その流れてめぐらないものが液となります。』《霊枢・五癃津液別》


『腎は三焦膀胱に合し、三焦膀胱は腠理毫毛をその応とします。』『腎は骨に応じます。肌理(きめ)が密で皮膚が厚いものは三焦膀胱も厚く、肌理(きめ)が粗で皮膚が薄いものは三焦膀胱も薄く、腠理が〔伴注:皮膚も肌理も〕疏の〔伴注:まばらな〕ものは三焦膀胱も緩み、皮膚が急でひきつれた感じで毫毛がないものは三焦膀胱も急で、毫毛が美しく粗のものは三焦膀胱もきちんと機能しているものであり、毫毛が稀なものは三焦膀胱が結しているものです。』《霊枢・本臓》

〔伴注:三焦膀胱とひとくくりに述べられている二腑と腎との関連が明確にされています。さらに、三焦膀胱を通じて、腎の応が腠理毫毛に出ているということが示されています。〕






■《黄帝内経》と総称される《素問》と《霊枢》ですが、《霊枢》の方が、詳細で解説的あることがわかります。


『三焦は決瀆の官、水道出づ』《素問・霊蘭秘典論》


『脾胃大腸小腸三焦膀胱は、倉廩の本、営の居する場所です。名づけて器といい、よく糟粕を化し、味を転じて、入れて出します。』《素問・六節蔵象論》


『長期にわたる咳がとれない場合には三焦がこれを受けます。三焦の咳の状態は、咳して腹満し、飲食したがらないものです。』《素問・咳論》

〔伴注:これ、三焦の咳ということなんですけど、脾胃の問題が表面に出ていますよねぇ。これに引っかかる人がけっこういました。なんで脾胃の症状でもって三焦の咳とするのか。これ、よく考えて見る必要がありそうですね。〕







2001年 1月21日 日曜   BY 六妖會




一元流
難経研究室 前ページ 次ページ 文字鏡のお部屋へ