4、営衛の動き






営衛の動き方に関する古典の記載をここに列挙しておきます。




《霊枢・営気》



◇黄帝は言われました

営気の道は谷を納めることを宝とします。谷が胃に入ると、これを肺に伝え、中を流溢し、外に布散し、精専なるものは経隧を行きます。常にめぐって止むことなく、終わってまた始まります。これを天地の紀といいます。

この気は太陰から出て、手の陽明に注ぎ、上行して足の陽明に注ぎ、下行して跗上に至り、大指の間に注ぎ、太陰と合し、上行して脾にいたり、脾から心中に注ぎ、手の少陰をめぐり、腋に出て臂を下り小指に注ぎ、手の太陽に合し、上って腋に乗じて(出頁)〔注:せつ:眼窩下縁の骨〕内に出、目の内眥に注ぎ、巓〔注:頭頂〕に上って項を下り、足の太陽に合し、脊をめぐって尻に下り、下行して小趾の端に注ぎ、足心をめぐって足の少陰に注ぎ、上行して腎に注ぎ、腎から心に注ぎ、外に胸中に散じます。

心主の脉をめぐり、腋に出て臂を下り、両筋の間に出、掌中に入り、中指の端に出、めぐって小指の次の指の端に注ぎ、手の少陽に合し、上行して膻中に注ぎ、三焦に散じ、三焦から胆に注ぎ、脇に出て足の少陽に注ぎ、下行して跗上に至り、ふたたび跗に出て大趾の間に注ぎ、足の厥陰に合し、上行して肝に至り、肝から上って肺に注ぎ、上って喉嚨をめぐり、頏顙(こうそう)〔注:食道の上鼻腔の後ろ〕の穴に入り、畜門〔注:鼻腔〕に究まります。

その支別は、額を上り、巓をめぐり、項中に下り、脊をめぐって骶にも入ります。これが督脉です。陰器を絡い、上って毛中を過ぎ、臍中に入り、上って腹裏をめぐり、缺盆に入り、下って肺中に注ぎ、ふたたび太陰に出ます。

これが営気の流れるところであり、逆順の常です。




《霊枢・衛気行》



陽は昼を主り、陰は夜を主ります。このため、衛気は、昼夜で全身を五十周します。昼間は陽を二十五周流れ、夜は陰を二十五周流れて五臓をめぐります。このため平旦に陰が尽きると陽気が目に出て目が覚め気が上に頭に流れます。項の下の足の太陽をめぐり、背の下をめぐり、小指の端に至ります。その散ずるものは、目の鋭眥の下手の太陽で別れ、下って手の小指の間の外側に至ります。その散ずるものは、目の鋭眥で別れ、足の少陽を下り、小指の次の指の間に注ぎ、上って手の少陽の分の側をめぐり、下って小指の間に至ります。別れるものは上って耳の前に至り、頷脉〔注:がんみゃく:下顎おとがいの部分〕に合し、足の陽明に注いで下り、流れて跗上に至り、五指の間に入ります。その散ずるものは、耳の下から手の陽明を下り、大指の間に入り、掌中に入ります。その足に至るものは、足心に入り、内踝を出て、下に陰分を流れ、ふたたび目に合しますので、一周することとなります。




《霊枢:衛気》



◇黄帝は言われました

五臓は精神魂魄を蔵するところのものであり、六腑は水穀を受け取り物を化するところのものです。その気は五臓を内とし、外に肢節を絡います。その浮気の経をめぐらないものを衛気とし、その精気の経を流れるものを営気とします。陰陽互いに随いあって、内外互いに貫きあい、環の端がなく渾渾と流れ続けています。




《霊枢:経脉》



『酒を飲むと、衛気が先ず皮膚に行き、先に絡脉を充たします。絡脉が先に盛んになり、衛気のバランスが取れ、営気が満ちて経脉が大いに盛んになります。』


張景岳《類経:注》


衛気は水穀の悍気です。その気は慓疾滑利で経に入りません。酒もまた水穀の悍気であり、その慓疾の性質も同じです。そのため酒を飲むと、衛気にしたがって先に皮膚に到達してまず絡脉を充たします。絡脉が先に盛んになって衛気がそのバランスを回復すると、その後に営気が満ち経脉が盛んになります。バランスが取れるとは、潮の状態が安定するようなもので、充実して盛んに充ちるということをいいます。

私〔注:張景岳〕の考察。

脉には経絡があります。経は内にあり、絡は外にあります。気には営衛があります。営は内にあり、衛は外にあります。今、酒を飲むことによって、その気が内から外に集まるわけですから、経が先に満ちて絡が後になるように思えます。ところがここで絡が先に満ちて経が後になるとあるのはどうしてなのでしょうか?

営気は渾渾と湧き出る源泉のようなもので、地中を流れ、循環して止まることがないものです。このため営は脉中を行くといわれています。

衛気は雨や霧の充満する蒸気のようなもので、天地のすべてに到達し、その影響は遍く万物に及びます。このため衛は脉外を行くといわれています。

雨や霧が地から出るためには、まづ先に無数の流れに入りその後に河や海に帰する必要があります。衛気が胃から出るには、まづ先に絡脉を充たして後に諸経に到達する必要があります。このため経水編では十二経を十二水に配しているわけです。ですから、経とは大地を流れる江河のようなものであり、絡とは原野を流れる無数の流れのようなものなのです。これが経絡営衛の弁別となります。




《難経・三十難》



三十難に曰く。栄気の循環はいつも衛気に隨っているものなのでしょうか、そうではないのでしょうか。 然なり。経に、人は気を穀から受けます。穀が胃に入ると五臓六腑に伝与され、五臓六腑が皆な気を受けます、とあります。

その清なるものを栄とし、濁なるものを衛とします。栄は脉中を行き、衛は脉外を行きます。栄は周って息むことがなく、五十回してまた大会します。陰陽が互いに貫きあい、環の端がないような状態です。 ですから栄衛が互いに隨っているということが理解できます。







2005年 4月22日 金曜   BY 伴 尚志


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