医(石扁)の営衛






医(石扁)《気》:何夢瑤(1693年~1764年)1751年刊


何夢瑤は、清代の有名な医家の一人で、医(石扁)は、その医学論を述べた書物です。

『一昼夜に気が五十周必ず流れるというに至っては、これはまさに牽強付会の説というべきでしょう。』と、《霊枢》の記載をばっさりと切っているあたり、臨床家の覇気を感じさせます。

全体に、一元の気の解説が明確になされている文章であり、一元流鍼灸術にとってもたいへん参考になるものであると考えています。矛盾なく破綻もなく、臨床家の気概に満ちた名文であると思います。






営衛の流れ



気には形がなく、血には質があります。気は陽であり、外を護衛することを主りますので、これを名づけて衛といいます。血は陰であり、中を営運することを主りますので、これを名づけて営といいます。血は陰であり質がありますので、順序良く流れ、必ず経脉に従い脉道の中に入り、内を充たして後、外に達します。気は陽であり形がないので、その流れは非常に疾く、経脉に従わずに脉道の外に出、表を充実させて後、裏に返ります。この二者の流れは異なっているように思えます。経にも、衛気は昼間には陽を二十五回流れ、夜間には陰を二十五回流れると書かれている類がこれです。けれども、昼は陽動ですので気も表を流れるものが多く、夜は陰尽ですので気が内に収斂されるものが多くなるのであって、昼間には全く内を流れないとか、夜間には全く外を流れないというわけではありません。一昼夜に気が五十周必ず流れるというに至っては、これはまさに牽強付会の説というべきでしょう。




気は一つ。腎に根ざす



気は一つだけです。これが脉外に行けば衛気と呼ばれ、脉中に行けば営気と呼ばれ、胸中に集まれば宗気と呼ばれます。名前は三種類ありますけれども、気にはもともと区別などありません。気と血とはともに先天に基づいており、後天に養われます。

経に、営気は中焦に出るとあり、また心は血を生ずるとあります。これは、胃は谷気を受け取り薫蒸し血を化成するに過ぎず、血の色が赤いのは心火の影響であると述べているに過ぎません。要するに、血はすなわち天一の水であり、気はすなわち坎中の陽であり、ともに腎に根ざし別つことのできないものであるということです。




陰陽互根の妙:肺と腎



気は腎に根ざしまた腎に帰します。そのため、腎に気が納まるとその呼吸が深くなると言われているわけです。肺は呼吸を司り、気の出入を主ります。また気は上昇して肺に至って極まります。上昇が極まれば降り、肺によって降ることになります。そのため肺は気の主と呼ばれているのです。

腎は納気を主りますので、丹田を下気海とします。肺は気の主ですので、胸中を上気海とします。

腎水は坎中の陽に薫蒸されて気となり、上に昇って肺に至ります。これがいわゆる精が化して気となり、地気が昇って雲となるという意味です。気は肺に帰し、ふたたび化して水となります。肺は水精を散布して下に膀胱に運ばれ、経脉を流れていきます。いわゆる水は高源に出、天気は下って雨になるといわれているものがこれです。ここにおいて陰陽互根の妙を悟っていただきたいと思います。




五臓の相関



腎は閉臓であるということがその本来の役割です。子の時の半ばに陽は生じますけれども、その気は深い泉に発しているわけですから、まだ暢びやかに動いているわけではありません。このため、気の昇発は腎には属さず肝に属するとされているのです。

蔵は腎に属し、泄は肝に属するということは、肝と腎との区別となります。肝は昇を主り肺は降を主るというのは、肺と肝との区別となります。心は動を主り腎は静を主るというのは、心と腎との区別となります。静かに蔵していながら枯れ寂れてしまわず、動じて泄らしていながら耗散することなく、昇っていながら浮越することなく、降っていながら沈み込んでしまうことがないのは、脾に属する中和の徳の主るところによるものです。

ですから、気の昇降動静がその「中」(バランス)を失うということは、肝肺心腎がその機能を失調しているということであり、それはまたすなわち脾の機能が失調しているということを意味するものなのです。気が昇らないことや昇った気が降らないということをみて、それをそのまま肝木が脾土を尅していると断じてしまうことは、非常に浅薄な診方でしかありません。

それぞれの臓の病はすべて脾と関連しており、脾気の調和がとれるということはそのままそれぞれの臓の調和もとれているということを意味しています。ですから、「脾を補うためには腎を補うべきである」という言葉はその要を得ているとは言えますけれども、「腎を補うことができなければ脾を補うことはできない」という言葉の方が、十分な表現であるといえます。







2005年 4月24日 日曜   BY 伴 尚志


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