《存存齊医話稿》の営衛






《存存齊医話稿》趙晴初:清代


営衛論を臨床にどのように応用していくのかという明確な示唆がここには書かれています。ここに引用されている王肯堂の旧積新積の論は、物となって停滞しているものを排泄した後には営衛を調えるが吉ということを述べているもので、まさに鍼灸師が治療に臨む上での心構えを正してくれるものであると言えるでしょう。ちなみに、王肯堂は、明代の医家です。



営衛の気は、臓腑に出入りし、経絡に流布します。もともとは食物から生じますが、その食物をまた消化する力となります。営衛は食物によることがなければ充実することはありません。食物は営衛がなければ消化されることがありません。ですから、営衛は生きている人間にとって大いなる関鍵となるわけです。

《内経》に、『五臓の道はすべて経隧(けいすい)に出、血気を流します。血気が和さなければ百病の変化が生じます。ですから経隧を守るのです。』とあります。この経隧とは、まさに営衛が流れる道のことを指しています。経隧に出て血気を流すとは、内から外に出て、営衛を流すという意味です。血気が和さなければ百病が生ずるとは、内から外への血気の流れについてのことです。もしこの流れが足りなければ、内に化せず〔伴注:消化不良となり〕外に充たせず〔伴注:身体を充実させることができなくなり〕、もしこの流れが太過であれば、枝は丈夫ですけれども幹が弱いという状態となります。営に偏れば陰が勝ち、衛に偏れば陽が勝つわけですから、百病が生ずるのは自然の理です。営衛というものはまさに日々を生きる人間にとって大いなる関鍵となるわけです。

医者は病を治療する際に《内経》のこの経隧の教えを守り、営衛に思いを置くべきです。《金匱要略》には、『営衛が不利であれば、腹満・腸鳴があいつぎ、気が膀胱に転じて営衛ともに消耗します。』『三焦が御することができなくなれば、四属〔注:四肢〕断絶して。身体が羸痩します。』とあり、営衛を重視すべきことが述べられています。

たとえば痢疾について考えると、寒熱の表証があればこれは営衛に関係があるとわかります。また、病が軽ければ腑にあり病が重ければ臓にあるとするわけですから、これは内の病です。







王肯堂はその《証治準縄》で、痢疾について古い積と新しい積とに分けて論じ、その原因として営衛を重視しています。これは、《内経》にある経隧を守るという言葉をしっかり守っている姿を示しているものです。非常に理解しやすいので、その言葉をここに記しておきます。その言葉とは、


積には新旧の違いがあります。旧積は、気血が痰に化したものです。新積は旧積がすでになくなり、まだ生命力が回復していない状態です。旧積は下すべきですけれども新積は下してはいけません。その理由は何なのでしょうか。

腸胃が水穀を腐熟させて糟粕として押し出していくのは、すべて営衛の新陳代謝によるものであり、六腑の力によります。もし腸胃に邪があり、営衛の運行が順調に行かなくなって阻まれると、水穀を消化することができなくなります。そうすると衛気が欝滞し、営気が渋滞しますので、飲食が痰となって胃に停滞し、糟粕も腸に留まり、気欝血渋の積となり、互いに影響しあいながら帯下を形成します。このようなものは必ず下し、壅塞を通じさせるべきです。

すでに下した後、昇降がまだ不調で、清濁の区別がまだしっかりとできないときは、衛気はまた欝滞し、営気もまた渋滞して、ふたたび新しい積を形成することとなります。ふたたびこれを下すことはどうしていけないのでしょうか?その衛気を理し、その営気を調和させれば、昇降が順調に行われるようになって、積も滞ることなく自然に化していくためです。







2005年 4月24日 日曜   BY 伴 尚志


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