神道史チャートby《神道の本》学研




吉川神道



江戸時代、官学とされた朱子学。この儒学思想と結びつき、吉川神道が登場しました。この流派は、幕府の寺社奉行、神道方として発展しました。





江戸時代の始めには、幕府公認の神道の家元として、全国の多くの神職の免許の許認可権を吉田神道がもっていました。これに対して朝廷ゆかりの神社は、白川家の伯家神道が管轄していました。その一方、比叡山系の山王一実神道や高野山系の両部神道、伊勢神道なども併存しているという状態でした。

そのような状況の中、徳川幕府が朱子学を官学とするのに従い、吉田神道の道統を継いだ吉川惟足これたる(1619~1694)は、吉田神道をベースに儒教思想を取り入れた神道を提唱しました。これが吉川神道です。





吉川神道の特色は、神道を行法神道と理学神道とに分けたところにあります。神主が祭りや日常の奉仕活動を行うことを行法神道とし、天下を治め政治を行うことを理学神道として、理学神道に重点を置きました。

また、天地万物を主宰する神の神性がすべての人間の心に内在するという神人合一説を唱えたのも、吉川神道です。

天地の運行は万物の母である土と万物の父である金との調和によっている。これは人間にあっては敬つつしみと義であると、日々の生活における倫理の大切さを吉川神道では強調されました。

これをさらに敷衍する形で、人倫の中核としての君臣の道を第一義の問題であると考えました。このことから、国体の護持と君臣の道の遵守というものが神道の本質であるという考え方が導き出されるわけです。

吉川神道では、この理念を広めることになりました。





この考え方は後に山崎闇斎の垂加神道に継承され、さらには本居宣長や平田篤胤の復古神道にも影響を与えることとなります。




吉川神道の思想



然らば惟足これたるの神道思想はいかなる内容のものであったか。これ を次に要約してみよう。





一、先ず神道の位置について、彼は吉田神道の精神を受げつぎ、神道を万法の宗源と考えた。その根拠は我国は世界の東 方にあって万州に先立って創造された国であり、我国の神は天地創成の初発において、天地に先立つて出現した神だから である。万州はこの神によって創成され、万法はこの神の道を道として形成される。


二、神道と異教との関係は、漢土の儒教、天竺の仏教も、その土地とその人情に応じて形成された教法で、宗源の神道の 分脈派生したものである。故に異教にも神道と合致する部分があるが、神道は宗源としての道その物の継承であるから、 異教と同列の存在ではなく、この意味で、三教一致的、習合的な見解は誤りである。


三、宗源としての神道の本義を明らかにするため、習合附会の見解の誤りであることは明瞭であるが、仏教などの見解で、 神道の解明に役立つ思想や語句を引証するのは正当な方法である。この際惟足は仏教に対しては批判的排撃的態度を取っ たが、儒教、とくに宋学の理論については、全面的にこれを採用して説明の合理化に役立てた。これは兼倶かねともの儒仏神三教 包摂的な思想に対し、その後の吉田家において発生した新しい思想的傾向、すなわち儒学とくに宋学理論の重視という傾 向の継承発展である。これは惟足の神道の特色であり、自ら自家の神道を理学神道と称した理由もそこに存する。


四、惟足の神道におげる中心の神は国常立尊くにとこたちのみことである。「此国常立尊と申すは、常の神には非ざる也、天地に先立て天地を 定め、陰陽に起さきだって陰陽になる全体をかりに名付て神と云、其神の御名をあらはさぱ、国常立尊と申すなり」神道大意講談 とあり、本来この神は無形無名で、有形有名を無窮に生成させる根元であり、虚無大元尊神とはそうした神格について附 与された名称である。虚無とか大元とかは道教の言葉であるが、神道ではこれを混沌未分と表現し、儒教では無極而太極 太極図説と表現されたものが国常立尊である。


五、神と人との関係については、混沌すなわち太極は動いて一動一静五行の発生となり万物が化生する。人間もこの原理 にしたがい、太極の理と陰陽の気を受けて成立し、肉体の人間の中には必ず根元の理が内在する。これが性であり心であ る。神は物にあっては霊、人にあっては心といい、心と性は同じで、つまり心は神明の舎、混沌の宮で、神・混沌・理の 宿る所である。全ての人間の心には国常立尊が内在しているわけであるから、この意味で神人合一の道が開かれている。 人間は心に神を宿しているが、肉体の気習、欲望によって神明の明哲がくもり勝ちである。人間が本来の人間に帰るため には神人合一、天人一体の境地を実現して、心の神明をよびおこし、未生の根元に立帰り、道体の誠より発する明智を以 て理非曲直を判断しなげればならない。


六、しからば、神人合一はいかにして可能であるかというに、神の働きは正直で一点の陰影もない。すなわち誠である。 誠に達する道は「つつしみ」即敬で、誠こそ神の道、天地生成の原理であり、「つつしみ」は人の道である。惟足はつつし みを天地形成の根本要素たる土金にかけて説明し、つつしみが天地の理、人の道たる所以を根本的に解明しようとした。


七、「つつしみ」を具体的に実現する方法は、神道においては祓はらえである。祓には内外清浄があり、外清浄で身体に附着し た汚穢、罪障を洗い落し、内清浄で邪念妄想を除いて精神の潔白を保持し、これによって誠心に到達し、一念未発の混沌 に立帰ることができる。


八、人間は神に従うものである。そのためには神の意を受け、神の判断を知らなげればならない。それは神と感応するこ とにより実現される。神に対する人の願いは祈祷であり、祈祷によって神の感応を得るのであるが、感応を得るには人間 の誠心が神に感通しなければならず、感応の原理は神人一体にあるが、感応を実現させるのは人間の誠意である。その誠 意の表現する作法が神道の儀礼事相で、神道では事理相応を尊ぶ故、行法が礼に叶わなければ、神明は感応しない。祭祝 行法の重要性はここにある。


九、人はつねに神明に祈って感応を得ることが大切であるが、その場合何を祈るかというと、人が人としての道を実践す る方途について祈るのである。人には人として行わなければならない道が神から与えられている。それは天地生成の原理 に根拠する五倫当為の道である。神道の特質は人の人たる五倫五常の大道のうち、とくに君臣道を以て中心的存在と考え た点にある。宇宙が天地によって立つ如く、人倫も君臣上下の分別によって初めて確立される。夫婦は人倫の始源として 重要ではあるが、人倫の秩序は君臣によって確定される。君臣を人倫の中心に置くのが神道の特色であり、そこに道とし ての神道の本質が示されている。吉川神道の最高奥秘、神籬磐境伝は、実に君臣道の秘奥を内容としているのもこの為で ある。






以上が惟足の神道思想の概略であり、骨組みである。その思想が吉田神道の正統を継承しながら、宋学の理論を充分活 用して解明を行なっていることは明白であり、理学神道と自称した所以でもある。その傾向は伊勢神道を儒教思想によっ て新しく解朋した度会延佳わたらいのぶよしと共通しており、提唱の内容にも一致する処が多い。



後半、阿部秋生 氏解説による
日本思想体系39近世神道論前期国学  岩波書店刊







2000年 4月16日 日曜   BY 六妖會


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