十一難の検討



この難は、《難経鉄鑑》によりますと、病脉を解説した十難と、死脉を解説しているこの難の後者として把握されています。この《難経鉄鑑》の解釈の仕方は、歴代の《難経》解釈を見てみると、非常に個性的なものです。ことに、十難を縦軸とし、十一難を横軸とするという発想は、おもしろいですね。《難経》という書物を権威あるものと見立てて、たいせつに解釈しようとしている姿勢がありありとうかがえます。《難経鉄鑑》に純粋に従おうとするのであれば、十難をも俎上にあげなければならないところなのですが、十難は、五行論を多用しておりますので、後々、時間があればとりおこなうということで、十一難だけをとりあげていきます。インターネットをご覧の皆さまは、十難にもさっと目を通しておかれるとよろしいでしょう。







さて、十一難は、一般的には、《霊枢・根結》の、

『経脉の気は一昼夜で五十回人の全身をめぐり、これによって五臓の精気を全身に行き渡らせます。もしこの数が多過ぎたり少な過ぎたりするときは、これを「狂生」と名付けます。また、全身を五十周することによって、五臓はその気を受けとることとなります。寸口の脉をとって、その数を数えることによって、その人の強弱を知ることができます。五十動を数えて一代もない場合には、五臓の精気は充実しているとみます。四十動に一代がある場合には、一臓に気がなくなっています。三十動に一代がある場合には、二臓に気がなくなっています。二十動に一代がある場合には、三臓に気がなくなっています。十動に一代がある場合には四臓に気がなくなっています。十動に満たずして一代がある場合には、五臓ともに気が不足しており、予後不良と考え、近いうちに他界すると考えます。五十動に一代もない場合には、正常であると考えます。予後不良で近いうちに他界する場合には、数脉でまばらな脉状を呈します。』


という部分を要約したものであると考えられています。また、気がなくなる順番が、腎肝脾心肺の順番であると隨の楊上善がさらに細かく解釈したため、これが後代に至って敷衍されることとなりました。

この楊上善の解釈にそのまま明確にしたがっている解説書には、明代張景岳の《類経》、清代黄元の《難経懸解》、本間詳白の《難経の研究》、南京中医学院の《難経訳釈》第二版1961年出版=東洋学術出版社の《難経解説》があります。

滑伯仁の《難経本義》では、《難経鉄鑑》と同じように《難経》の原文にしたがって、腎気が先ず尽きるのね、と語っており、これは、江戸後期の丹波元胤《難経疏証》、清代の葉霖《難経正義》、現代中医の凌耀星《難経校注》もそれを踏襲しています。ただ、《難経鉄鑑》では、臨床的なアプローチを感じさせるものとして、『今多くの脉を診察していますが、五十動に一止する人を見ることがないのはどうしてでしょうか』という問いかけがなされていまして、迫力がありますね。

まぁ、滑伯仁以下は、ただ、その精密な楊上善の解釈に触れていないだけで、実の思いとしてはこの解釈が根底に常識としてあるということかもしれません。





同じ南京中医学院のものでも、1979年版の《難経校釋》では、脉が止まる脉状のものを代脉・結脉・促脉に分類した上で、この難のものは代脉を指すものであると断じています〔伴注:分類の詳細に関しては、《脉学縦横談》より採用しました。別表参照(ここをクリックしてください)〕。さらに、『臨床的には、代脉にも虚実があり、気血が虚弱なものにもみられますが、気滞血瘀のものにもみられ、(たまには正常人にもみることがあります)。どの臓の疾病に属するのかということに関しては、まさにその他の症状を分析する中から総合的に考えていかなければいけません』として、次に引用する徐霊胎の考察を、引用しています。

『《霊枢・根結篇》には、四十動に一代する場合は一臓に気がなくなっており、十動に満たずして一代がある場合には、五臓ともに気が不足している云々とありますが、どの臓が先に絶するのかということについては明確に指し示されていません。どの臓が病を受けたかを明確にする中から、どの臓が先ず絶したかを判断することは理屈にあっていると思いますが、ここで言われるように、一番目が腎、二番目が肝、三番目が脾、四番目が心、五番目が肺というように病を受けた臓を断ずることは、理屈にあわないことであると思います』(徐霊胎《難経経釋》)


と。

しかしです。徐霊胎は《難経》の批判を行っているように見えますけれども、実は、十一難の原文には、腎肝脾心肺という順序などは述べられておらず、ただ、『脉が五十動に満たないうちに一止するものは、一臓に気がなくなっている状態であるとありますが、これはどの臓のことなのでしょうか。 』という問いに対して、それは腎であるということを述べているだけでありまして、それ以上でも以下でもないのですね。

ということは、徐霊胎の言葉は、《難経》原文に対する批判ではなく、後代の《難経》解釈〔注:隨の楊上善以降に行われてきた難経解釈〕に対するものであると考えなければなりません。







また、《霊枢・根結》を要約したものであるという説が主流なのですが、《霊枢・根結》では、四十動に一代がある場合というところから始まっているのに比し、《難経》では、五十動に一止する場合が主題です。この大きな違いを閑却してしまうということは、《難経》の作者の古典に対する姿勢を馬鹿にしているとしか思えません。数をたいせつに考え、古典をたいせつに考えている時代の人間がこのような基本的な事柄をいいかげんに捨て置くなどということは私にはとうてい考えられません。

ということから考えてみると、私は、《難経》で、『五十動』と述べているところに、もっと注目を与えるべきであろうと思えるのですね。







つまり、《霊枢・根結》にいう『経脉の気は一昼夜で五十回人の全身をめぐり、これによって五臓の精気を全身に行き渡らせます』という、この五十。そして、それをなぜか脈拍の数として置き換えて、いわゆる『天地の数を満たす』五十としている点。これはつまり、それで、全身を満たす気の充実というものを、天地の数と対応させているということを意味しています。その五十の中で、一気が欠ける場合はどこから始まるのかということが《難経》では問いかけられているわけです。そしてそれは、腎からであると。腎気の衰えによって、呼吸の深さを支えられなくなっているためであるとしている。

これはいわゆる、病気の場合、その深刻な状態を示すものが腎であると考えているとみることもできますし、またさらには、老化現象によって腎が傷られて呼吸が浅くなっていくということを提示しているのであると考えることもできます。ついでに言うならばこれは、呼吸を深くすることによって、さまざまな病気を防止することのできる可能性があるのであると指し示しているということもできるでしょう。このような味方は歴史的にはいまだ存在していにものですが、非常に重要な観点であろうと思われます。







2001年9月16日 日曜   BY 六妖會




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