第 二十三 難

第二十三難




二十三難に曰く。手足の三陰三陽の経脉の度数〔訳注:定まった長さ〕を明確に示すことができるのでしょうかできないのでしょうか。


上難では経脉には是動病と所生病との二種類の病があるということを説明し、この難では経脉の終始に度数があるということを説明しています。そもそも天には度数があり、地には里数があり、人には脉数があります。あらゆるものはこの数によって分けられ成立しています。いわゆる鬼神というものであってもこの数を逃れることはできないのですから、人においてはなおさらのことです。この難では、一難と同じように人における度数について述べています。






然なり。手の三陽の脉は手から頭に至り、その長さは五尺、五六を合わせて三丈になります。手の三陰の脉は手から胸中に至り、その長さは三尺五寸、三六で一丈八尺、五六で三尺、合わせて二丈一尺になります。足の三陽の脉は足から頭に至り、その長さは八尺、六八で四丈八尺になります。足の三陰の脉は足から胸に至り、その長さは六尺五寸、六六で三丈六尺、五六で三尺、合わせて三丈九尺になります。人の両足の蹻脉は足から目に至り、その長さは七尺五寸、二七で一丈四尺、二五で一尺、合わせて一丈五尺になります。督脉・任脉はその各々の長さは四尺五寸、二四で八尺、二五で一尺、合わせて九尺になります。ですから脉の長さは一十六丈二尺になるわけです。


上行する脉は水が上に涌きだすようなものであり、下行する脉は霤〔訳注:雨だれ〕が下に流れるような状態です。上湧するか下流するかといった区別はありますが、これらもただひとつの気が往来しているだけのことです。脉が四肢末端にいくことを下に流れると考え、脉が頭や胸にいくことを上に涌きだすと考えます。陽脉は極陰の場所に至ることはありませんので、手足の心〔訳注:手掌・足底〕には陽脉はありません。陰脉は極陽の地に至ることはありませんので、頭頂部には陰脉はありません。師は語っています、「陰脉は胸に至って還ります。頭に至るものもありあすが、それはただ絡脉が交会しているだけのことです。頭には陰脉の専穴〔訳注:陰経の経脉に所属する穴〕がないということから理解すればよいのではないでしょうか。」と。また思うのですが、春夏は陽が升り陰が降りますので、手の脉は陽が升り陰が降ります、秋冬は陰が升り陽が降りますので、足の脉は陰が升り陽が降ります、このことは人の四肢の経脉の流注が四季の気の升降に対応していると考えることができるのではないでしょうか。


問いて曰く。四肢を下とする理由は何なのでしょうか。

答えて曰く。四肢は身体を提載する〔訳注:かかげ載せる〕器であり、婢僕〔訳注:奴隷〕のようにいつも労働し、その作用も最も卑しいので下としているのです。


問いて曰く。奇経のうち、両蹻脉・任脉・督脉だけをあげている理由は何なのでしょうか。

答えて曰く。奇経八脉のうち、両維脉は、全身を維絡しているだけで諸経に環流することはありません。帯脉は、身を周帀(しゅうそう)している〔訳注:ぐるっとめぐっている〕だけで諸経に関与することはありません。衝脉は、任督の傍支と言えるものであり、足の少陰と同じように循行します。そのためこれらは度数のうちに入っていません。任脉・督脉・両蹻脉は、その循行も直行していて他の諸経に並んでいますので度数のうちに入っています。


問いて曰く。この寸尺の法〔訳注:測定方法〕は、何を根拠としているのでしょうか。

答えて曰く。本文で頭から足に至るまでの長さを八尺と言っている場合は、身長を八尺としているのです。このように身長を八尺とする方法は古代の制度によるものです。一丈とは成人の身長のことなので、成人した男子のことを丈夫と呼びます。古代において八寸を一尺とするとき、八尺はすなわち一丈になります。ですから咫(し)〔訳注:周の尺で八寸〕・常〔訳注:二尋〕・尋(ひろ)〔訳注:中国の八尺〕等といった制度があるわけです。今、大指と頭指〔訳注:中指〕とを広げて一尺としそれによって身長を測って十数尺となるとき、それが身長の一丈を示すものであると考えます。この《難経》の経文で八尺としているものは、古代の制度に従ったものです。また、脉の長さもその人の身長を基準にして考えられていますから、もし三尺ほどの短身の人であってもそれを八尺として計測していきます。その人の実際の大小長短に拘泥する必要はないわけです。古代において度量〔訳注:長さの基準〕が制定されたのは、初めはこのように人の身体を基準としていました。現代においても俗に一拱〔訳注:ひとかかえ・両手をのばした長さ〕の長さのものを一尋〔訳注:日本の六尺〕としているのは、この古代の遺意〔訳注:残された教え〕です。






これがいわゆる十二経脉の長短の数です。


十二経の中に奇経が含まれているのは、一年十二月の中に閏の余りがあるようなものです。ですから結びとして十二経脉の数と述べ、そこに実は奇経を含めて語っているわけです。十二経左右で各々八十一尺となりますので、合計すると百六十二尺すなわち十六丈二尺となり、その左右各々に奇経の数が含まれています。八十一は太陽の積数〔訳注:太陽の数九に九をかけた積が八十一〕ですので、これもまた自然の妙であると言うことができるでしょう。また三百六十五穴は周天の度に対応しています。このように人身というものは法数に必ず合致しているものなので、指節を用いて天を測ったり、掌文によって地を察するといった機能があるのです。人の形質というものは軽視することのできないものなのです。《易》に、『遠くは諸物に取り、近くは諸身に取る』とあります。世の中の人に馬獣亀文の図書〔訳注:河図洛書〕を理解しながら人身の度数を知らないものがあるということは、どういうことでしょうか。思い違いも甚だしいと言わなければなりません。十二経には各々に度数があります。ですから後人が取穴をする際に骨度法を用いることは、最も誤ったことであると考えなければなりません。






経脉十二、絡脉十五、これらはどこから始まり、どこで窮まるのでしょうか。


個々の経脉が始めて気を受ける場所を「始まり」と言い、その気が一周した終わりを「窮まる」と言います。






然なり。経脉は血気を循らし、陰陽を通じさせて、身体を栄養するものです。


経脉は血気の隧道〔訳注:通り道〕です。もし経脉がなければどうして血気が循ることができるでしょうか。経脉は臓腑を絡い腠理を充実させますが、これは表裏の陰陽を通じさせているということを意味しています。経脉は手足から頭胸まで循行していますが、これは上下の陰陽を通じさせているということを意味しています。さらに経脉は、臓腑の陰陽を通じさせ、腹背の陰陽を通じさせ、三陰三陽の経脉も自ら互いに貫きあうことによって大きな場所も小さな場所もあらゆる部分にわたって通じています。草木の分理〔訳注:細管〕が気津〔訳注:気や津液〕を運搬し全体を栄養していることに例えることができます。






その始めは、中焦から手の太陰・陽明に注ぎ、手の陽明から足の陽明・太陰に注ぎ、足の太陰から手の少陰・太陽に注ぎ、手の太陽から足の太陽・少陰に注ぎ、足の少陰から手の心主・少陽に注ぎ、手の少陽から足の少陰・厥陰に注ぎ、厥陰からまた手の太陰に還って注ぎます。


経脉が寅の時刻〔訳注:午前三時~五時〕に始めて起こるのは、人の気というものが寅の時刻に生ずるからです。天地の気もまた人の気の和によって成立するので、寅の時刻を生気が始まる時と考えるのです。そもそも経脉の根本は腎間の動気にあります。この腎間の動気は先天的に稟けたものであって、経脉が終始する場所ではありません。経脉が終始する理由は、中焦の穀気が先天の気を誘引して循るということですから、後天の気の問題になります。経脉は穀気によって日々新しく生じ、中焦に起こり中焦に終わりそしてまた中焦に始まります。まさに先天を主とし後天を使としているものなのです。また、天の気が子の時〔訳注:二十三時~一時〕に始まるのは、その当日の先天です。人の気が寅の時に始まるのは、その当月〔訳注:当日の誤りか〕の後天です。そもそも始めて生ずるものを先天と呼び、その生を継ぐものを後天と呼びます。


肺は諸臓の上に位置しますので、手の太陰肺経も手の上廉〔訳注:上側、すなわち流注する場所である腕の掌面拇指側〕に位置しています。肺の下には心包がありますので、手の厥陰経も手の太陰経の下にあります。心包の中には心がありますので、手の少陰経は手の厥陰経の下にあります、ここがつまり手の下廉〔訳注:下側、腕の掌面小指側〕です。心主には形はないと言いますが、心主の気は〔訳注:厥陰心包の気に〕包含されています。ですから心は心包の内にあると言うのです。


脾は肝腎の上に位置しますので、足の太陰脾経は足の上廉に位置しています。脾の下には肝がありますので、足の厥陰経は足の太陰経の下にあります。肝の下には腎がありますので、足の少陰経は足の厥陰経の下にあります、ここがつまり足の下廉です。思うのですが、陰は退くことによって陰が極まっていきます、退くということは数が少なくなるということです。また進むことによって陽に近くなります、進むということは数が多くなるということです。太陰は三陰とします、その数は多く進む状態ですので、陽位に位置しています、この陽位とは上廉のことです。少陰は二陰とします、その数は少なく退く状態ですので、陰位に位置します、この陰位とは下廉のことです。厥陰は一陰とします、その数はもっとも少なく退く状態で極陰です、ですから厥陰経は両陰の間に陥入しているのです。


陽は進むことによって陽が極まっていきます、進むということは数が多くなるということです。また退くことによって陰に近くなります、退くということは数が少なくなるということです。少陽は一陽とします、その数は少なく退く状態ですので、両陽の間に伏しています。陽明は二陽とします、その数は多く進む状態ですので、陽位に位置しています、この陽位とは上廉のことです。太陽は三陽とします、その数はもっとも多く進む状態で極陽です、ですから太陽は背後に位置して陽が多く、その場所ももっとも広大となります。陽明は前面にあり、他の二陽の明るさを合わせてもっとも尊い場所に位置しています。このように陽明の陽は尊く太陽の陽は多いので、陽明の気は太陽よりも高く上廉に通じ、太陽の気はかえって下廉に位置しているわけです。


経脉の順序は、陰経は太陰・少陰・厥陰であり、陽経は陽明・太陽・少陽となります。そしてこの陰陽は表裏をなし、それぞれ互いに属しあいます。手の経脉は陰経が先で陽経が後であり、陽の中〔訳注:全身の中での陽の部位〕を陰〔訳注:陰経〕が降ってから陽〔訳注:陽経〕が升るという意味があります。足の経脉は陽経が先で陰経が後であり、陰の中〔訳注:全身の中での陰の部位〕を陽が降ってから陰が升るという意味があります。






別絡十五も全てその原に因り、環に端がないように転転と互いに潅漑しあい、寸口・人迎に朝して百病に対処し死生を決しています。


「原」とは三焦の原気のことで、十二経の根となるものであり、十二経は原気の道路です。十二原は原気の行在する場所〔訳注:往来し住まいする場所〕であり、十二経を巡狩する〔訳注:循りさまざまの働きをなす〕ものは原気です。十二経も十五絡も全てこの原気に従って周行しています。まさに天界の星が北極星を中心として回転しているような感じです。この原気は寸口・人迎といった要路〔訳注:重要な場所〕に出、あらゆる政事を主り、その場所を死生を断ずる場所としています。


問いて曰く。一難では寸口だけを取るということを語っていますが、ここでは寸口と人迎の両方をあげているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。これは、経脉が寸口だけに朝しているわけではなく人迎にも朝しているのだということを語っているものです。けれども寸口と人迎とをともに診察するべきであると語っているわけではなく、人迎もまた百病に対処し死生を決する要処であるということを示しているものです。指先を使って人迎を診察しない理由について師は、「人迎は咽喉の傍らにあるので、手でこれを按ずるということは非常に不敬なことであり、戦国の時代にあっては非常に嫌われたので、越人はこの診察法を採用しなかったのでしょう。」と語っています。後人に、人迎を寸口の中に移して診察する方法が見られますが、当を得たものであると言うことができるでしょう。経脉は下焦を本とし上焦を標とします。穀気が中焦に入るとその標本に満ち、弓を引き絞るような勢いをもちます。ですから中焦を生気の始めとしているのです。手の太陰経はこの中焦の穀気を受けてまっすぐに寸口に至るので、寸口を主とます。この穀気は陽明にも入り人迎に至りますが、直接正経から入るのではなく絡脉を上ってここに現われます。正経から至るものは、手の太陰を経て手の陽明に伝わり、その後に人迎に至っています。ですから、中焦の穀気が直接現われている寸口には及ばないということになります。






経に、明らかに終始を知れば、陰陽が定まるとあるのは、どういう意味なのでしょうか。


終は死であり、始は生です。死生を知るには三陰三陽の定紀〔訳注:定まった法則〕があります。






然なり。終始は脉の紀です。


これは総答です。終始死生は経脉が綱維〔訳注:根本的な法則〕となってこれを主っているのだということを言っています。






寸口・人迎に、陰陽の気が朝使を通じて環の端がないような状態のものを始と言います。終とは三陰三陽の脉が絶することで、絶するときは死にます。死ぬにもそれぞれの形がありますので終と言います。


別釈として答えています。人身における陰陽は手足の三陰三陽となり、その気は寸口・人迎に通じ、朝使をなして〔訳注:互いに強く影響しあって〕一毫の間断もないような状態であれば、生気は日々に新しくなります、これが「始」です。人身における陰陽が衰えるときは、三陰三陽の脉が朝使をなして通じ合うことができなくなります。朝使をなして通じ合うことができなくなると、その弊害として結局は陰陽が隔絶することになります、これを死と言います。このようにして死ぬ場合に、三陰三陽が各々の形状を表わします、これが人の「終」です。この難では脉の「始」を説明しています、次の難では脉の「終」を説明しています。



一元流
難経研究室 前ページ 次ページ 文字鏡のお部屋へ