難経全体を俯瞰してみますと、一難から二十一難までが脉診、ことに寸口の脉診について集中的に触れられている部分であるわけです。

一難では、寸口の部位で脉診をするのであるということが、脉と呼吸との関係を踏まえながら語られてきました。二難では、その寸口の部位をどのように見るのかということについての陰陽の分類が語られています。

三難から以降は、さらに詳細に寸口の部位で見られる脉状の意味について解釈されていくわけですが、部位として何を見るのかということに関して二難では一つの飛躍がなされていることに注意しなければならないでしょう。


一難で触れましたように、難経が書かれる時点ですでに、全身に現れている臓腑の状態を見るということに関して、《黄帝内経》における、人迎気口診と、全身における代表的な拍動部位を見るという三部九候診を、踏まえながらさらに、その臓腑の生命力の状態を見る簡便な方法、ただ寸口だけを見ることによって全身の状態を見ることができるのであると断じられました。この飛躍は、しかし、そこに全身の状態が集約されていると前提として考えていきなさいという、伝統医学の指示として考えることができます。







考えてみると、腹診であれ背候診であれ尺膚診であれ顔面診であれ、あるいは手背や手掌、足底を見て診断する立場のものであれ、そこにホログラムとして、全身の宇宙が集約されて表現されているのだと前提されることによって初めて、診察場所としての意味が与えられることになるわけです。寸口の部位もその一種として考えていいのだというのが古典の指示であるわけです。

二難で指示されていることは、この寸口の部位を関で分け、寸の部位と尺の部位と呼ぶのであるということでした。

関より手首側が寸の部位で陽が治める場所あり肘側が尺の部位であり陰が治める場所であると。

末端側が陽であり体幹側が陰であると考えているのですね。

以前、ある勉強会で、その運営の役をしている方が、「鍼というのはどこに刺してもそれなりに効果が上がるものなんだよ。だって、経脉を流れているのはただ一つの気なんだから。それが全身をめぐるわけでしょ。気一元なんだから」ということを言われたことがあります。難経の二難はその説と意見を異にしているわけです。

同じ一つの気が流れているには違いないけれども、その表情は流れる場所によって異なるのであると、寸口の部位の解釈だけで二難は語っているわけです。一寸九分という微細な場所の違いであってさえ、全身における陰が治める場所、陽が治める場所として、その表情が異なるのであるということを、すでに難経はこの二難で示しているわけです。

これは、山から水が流れてきて、その水が変化して氷になったり、作物を作ったり、動物を作ったり、さらにはさまざまな町を作っていくということにつながる考え方であろうと私は思います。生命それ自体はただ一つの生命力というものの現われなわけですけれども、それはさまざまな姿をとるのであると考えているわけです。気一元という観点を押さえながらも、それは、さまざまな表情をもってそれぞれの場所に現われているということが理解されなければならないということです。





さて、二難で注目すべき点としてさらにあげられることは、橈骨茎状突起を関として、寸尺に分けるという提言をしているところです。人間が手をあげて立つと、寸口の部位の肺経の経脉の流れは尺から寸へと流れていきます。その間に山脈(橈骨茎状突起)があってさえぎられているわけです。川の流れというものを考えてみるとよく理解できると思うのですが、流れをさえぎるものがあるとその前後に大きな表情が生まれます。渦を巻いてみたり淀んでみたり、流れが急に速くなったりするのですね。生命力というものも同じように考えると、寸口の動脉という大きな流れの中に橈骨茎状突起という大きな山があり、乗り越える前の表情と、乗り越えた後の表情とが大きく異なっているということは容易に想像できるでしょう。生命の流れが現わすその表情を寸口の脉で把握しようとしたという古人のこの着眼は、非常に興味深いものであると思えます。

腰を沈めて力をためて山に登る(尺位は沈めて脉を見る)。登りきった時のその生命力の状態(胃の気を関上で見る)。そしてふわっと下っていく時のまとまりかた(寸口は浮かべてこれを見る)。そのような観察の仕方ができるということをこの二難は内包していると思います。





私は思うのですが、この同じ発想が経穴の診方にも応用できるのではないでしょうか。

流れがあって、その間に障害物がある。障害物の前後でその表情の表し方が一定の法則で異なっているという、同じような問題がここに見て取ることができるのではないかと考えているのです。

寸口の脉診と経穴の診方との基本的な違いがどこにあるのかというと、寸口の部位はそこに全身の状態が現れているとして、全身の集約点としてそれを見ていくわけですが、経穴の場合にはそれぞれに位置、すなわちどの経絡に属するとか、体幹部の経穴であるか四肢末端の経穴であるかといったことによって、また別の意味が与えられているということです。

ただ、陰陽の位置の置き方や、その観察の深さなどに関しては、寸口の脉診の解説をよく考えながら経穴を見ていくと、また新たなより深い経穴に対する考え方が生まれてくるのではないかと思います。






江戸時代末期の丹波元胤は、尺沢から魚際までを一尺一寸とし、寸尺を分ける説を提供しています。唐代の孫思邈と元代の滑伯仁とは、これを一尺として解説を試みています。魚際といっても、魚際の手前の腕関節の横紋を意味していますが、これらの説は《難経鉄鑑》では批判されているものですね。





2000年 9月17日 日曜   BY 六妖會




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