第 四十三 難

第四十三難




四十三難に曰く。人が食飲せずに七日経過すると死ぬのはどうしてなのでしょうか。


天地万物は皆な数を基本にして成立していますので、人の生死もまた数の中にあります。五と六とは天地の中位に並べられるものであり総括の要とします。五は陽であり用、六は陰であり体ですから、天地の体は皆な六という数によって年月日辰します。各々が六という数の位を離れないのが自然の道です。六六三百六十日を一年とする理由は六が自ら六を含んでいるものです、二六を十二月とするのは六を偶〔訳注:ふたつ〕にしているものです、五六三十日を一月とするのは六が中数の五を得ているものです、甲子を配偶させた積もまた六十になります、このように一日一時といった小さい単位のものであっても皆な甲子の神・六位の分に総括されています。《易経》ではいわゆる三才を兼ねてこれを両〔訳注:ふたつ〕にし、六という位で易の章を構成してますが、それがこれです。


また《易》とは変易・交易のことです。天地万物はこの変と交とを遁れることはできません。たとえば縦の変は古今であり横の交は遠近です、一歩進めるということは変であり、一言発するということは変です、一念動ずるということは変であり、人が私に相い対するということは交です、耳目比附する〔訳注:耳や目が左右対象的についている〕ということは交であり、一毫〔訳注:一本の毛〕が生ずるということを皮と交わっていることから見れば交であり、一毫が生ずるということを生ずるということから見ればすなわち変です、仏教では刹那不住〔訳注:一瞬も安住することがない〕と言いますが、これに基づけば交もまた変であるということになります。このように「変」の一字は、《易》の理を述べ尽しているものです。このような変化して休むことがない中に六位の紀〔訳注:基本法則〕があることを考えると、変もまた常であると言うことができるでしょう。これによって聖者は常法を立てて万世不易の典〔訳注:永遠に変わることがない基本的な法則〕としていますから、まさに鬼神もその数を遁れることができないものとなるわけです。いわゆる君子が不易の法を立てるということは、このような恒久の象を観て万世不易の法を立てるということなのです。このように変を常とするということもまた、すなわち変です。易は天地万物の情〔訳注:本性〕であるということを確認しておいてください。


人が飲食して、一日に納めることができる量もこの六紀の数によって六日分の蓄積があります。ここに七日間食べなければ死ぬということは一日分の余食があるためです。日々この余食がなければ、旧と新とが接続する際に疲れます。これはたとえば瓦を作るようなものです。瓦は齦齶(ぎんがく)〔訳注:瓦と瓦の継ぎ目にあたる部分〕によって互いに接続しています、齦齶は瓦にとっては余分な部分ですが、このような余分な部分がなければ互いに接続することができません。天もまた気が充実することによって年々経過していきます、その他のものがどうしてこのように接続していかないわけがありましょうか。《易》に、七月に来復するとあります。これは六という位を環り尽して復するものです。七という数を環っているのではありません。






然なり。人はその胃の中に常に穀二斗・水一斗五升を留めています。ですから平人は一日に二回圊に行きます。一回に二升半、一日で五升、七日で五七三斗五升を出して水穀が尽きます。。


胃の中に常に三斗五升を容れているときは飽〔訳注:満腹〕の状態です。もし三斗五升に充たないときは飢〔訳注:空腹〕の状態です。また平生無病の人は、この水穀の化するということにも常道があり、三斗五升を留め一日に二回圊〔訳注:便所〕に行くということを言っています。


問いて曰く。今、平人を見ると、多くは一日の間に大便一回、小水は三四回です。ここに二回圊に行くと語っているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。これは健人について語っています。今、官守して〔訳注:節制して〕湯水を省くことによって二回圊に行くものがわずかにいます。かの放飲太飽のもの〔訳注:ほしいままに飲食するもの〕は、二便ともに頻数となりますから、このような常度とは合わなくなります。






ですから平人が飲食せずに七日経過すると死ぬのは、水穀・津液ともに尽きて死ぬのです。


水穀と津液とを化生することによって、血気を養い臓腑を潤します。今、水穀と津液とが尽きているのですから、どうして死を逃れることができるでしょうか。


問いて曰く。七日水穀を断っても死なないものがいるのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。勇壮の人は勇気がその人を養っていますので、数十日を経ても死にません。怯弱の人は七日を待たずに死にますが、これは気が不足しているためです。また水穀は地気によって人を養うものであり、呼吸は天気によって人を養うものですから、天気を餐する人は粒食を断っても生き続けることができます。道士には服気の法があり、仏教徒には禅悦法喜の食がある理由がこれです。また静心養気の人や発狂し気実の人や忿激・怨憤・憂鬱の徒などの気を凝らせている人々は長期にわたって飢えることがありません。これは皆な天気が人身に留滞するためにこのようになるものです。発憤して食を忘れ、三月肉の味を知らないといった類のように、聖人もまた気が留まるとこのような状態になります。どうして他の人にそのような変が現われないことがありましょうか。曽子の哀〔訳注:曽子の書とされている《孝経》〔喪親章〕に、父母の死に際して、哀しみのあまり三日の間は食べず、とある記事のことか〕や包胥(ほうしょ)の泣〔訳注:春秋戦国時代、呉の国に攻められ、楚の国が滅びかけた時があった。その時、申包胥は、わずかの食物を携えて、秦に助けを求めに走ること七日七夜。ようやく秦の朝庭にたどり着いた。彼はそこで、ただ直立不動の姿勢をとり、昼夜となく号泣し食事をとることも忘れていた。ついに彼の表情は死人のようになり、鼻水と涙で顔がぼとぼとになるほどであった。という故事による。秦王はこれを哀れみ、援軍七万を出し楚の国を滅亡から救った。【淮南子:修務訓】〕などもまた、食を忘れて死ぬことがなかった例です。また程子は、獄に下って数日穀を絶つものを推問し、鼻を塞ぐことを用いるように言いましたが、この囚人もまた気を服することを知る者でした。このような種々の場合は日数に拘ることはできません。ただ平人だけが七日間飲食せずに経過すると死亡するのです。



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