第 六十七 難

第六十七難




六十七難に曰く。五臓の募は皆な陰に位置し、兪が陽に位置するのはどうしてなのでしょうか。


募穴は臓の気が進み募る場所であり、兪穴は臓の気が輸出される場所です。ここで聞いているのは、臓は陰ですので募穴が陰に位置するのは理解できますが、兪穴が反って陽に位置するのはどうしてなのかということです。考えてみると、臓の気は腹背に出て陰陽を通行します、また臓は背裏に位置していますから、その兪穴も皆なその高さに位置しています。肺兪は三椎に位置し、心兪は五椎に位置し、肝兪は九椎に位置し、脾兪は十一椎に位置し、腎兪は十四椎に位置しているというのがこれです。兪穴が皆な脊中にあるのではなくその傍らに位置しているのは、脊骨が脊柱を蔽っているためにその気が傍らに出ているからであると言われています。けれども、気は無形のものですから、実は堅い骨が間を蔽っていたとしてもその通行が妨げられることはありません、ただ大骨には鍼を下し難いために兪穴を傍らに置いているのです。ですから、臓腑の気が傍らに出ているというのは、実は、正しい見解とは言えません。


問いて曰く。募穴で傍らに出ているものがあるのでしょうか。

答えて曰く。腹部は六腑が位置する場所です、ですから臓気はその腹部の傍らに出ます。そのため肺の募穴は中府に位置し、心の募穴は巨闕に位置し、肝の募穴は期門に位置し、脾の募穴は章門に位置し、腎の募穴は京門に位置しています。肺が中府に出ているのは、胸骨がこれを蔽っているために胸の側に傍出しているのです。心が巨闕に出ているのは、心が肺によって蔽われてるために、その気が傍出することもできずに心下に出ているものです。期門と平行に位置するのは、心が肝位に出ているものです、これもまた火が木を体として麗(つ)いているということを意味しています。脾が章門に出ているのは、脇骨によって蔽われているからです、そのためにその気が傍出することもできずに脇下に出ているものです。京門の隣に位置するのは、脾が腎位に親しんでいるからです、これはつまり水と土とが互いに基づいているという象です。また土には崇〔訳注:尊く気高いもの〕と卑〔訳注:卑しく低いもの〕とがあります。卑とは薮や沢であり、水湿の潤気がいつも沈下している場所です、これは水と土とが融和している場所ですので、穀物や野菜等の物を生育させて人をよく養う場所となります。崇とは山嶽です、これは陰である地の中に峙立している陽です、ですから陰中の陽であると言え、少陽の木が旺する場所となります、いわゆる牛山の木の美しさがこれです。金石は、陰が変じて陽となったものです、これはいわゆる柔の中の剛です、ですからまた峻高の場所〔訳注:山嶽〕に旺します。


問いて曰く。五臓の募位が、参差している〔訳注:不揃いな〕のはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。天は上にありますので、肺の募は胸上にあります。水と土とは下にありますので、脾募と腎募とは脇肋の下にあります。風と太陽とは中間に旺しますので、肝募は胠にあり、心募は臆〔訳注:胸〕の前にあります。また火の精は明るさを受け継いで四方を照らすものですので、正中線上の心口に出ます。暗くなって宴が終わるとこの気は臍下に入ります、その場所は少関・下肓・命門・次門・気原・髄府・胞門・子戸・陰関と名づけられています。


問いて曰く。六腑の募穴と兪穴とをあげていないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。臓をあげているときは、腑はこの反対の見方をすると理解しておいてください。つまり六腑の兪穴は皆な陽に位置していますが、募穴が皆な陰に位置しているのはどうしてなのでしょうか、という問いを設定するのです。六腑のうち、胆の募穴は肝の下にあり、胃は紆曲して脊に至ります、ですからその兪穴はそれぞれ肝脾の下に位置しています、心主と三焦とが心腎の上に位置し、大腸小腸膀胱が下部に位置している理由は、それぞれその位に位置しているからです。


問いて曰く。大腸兪は十六椎にあり、小腸兪は十八椎にあります。小腸が上にあるのに兪穴ではかえって大腸の下に出ているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。これは経脉の表裏関係と同じ意味です。大腸は肺に通じて気は上に出、小腸は心に通じて気は下に出るわけです。《内経》に、大腸は巨虚の上廉に出、小腸は巨虚の下廉に出るとありますが、これはその意味です。


問いて曰く。胆の募穴は日月にあり、胃の募穴は中脘にあり、大腸の募穴は天枢にあり、三焦の募穴は石門にあり、小腸の募穴は関元にあり、膀胱の募穴は中極にあります。腹部は六腑が位置する場所ですが、胆と大腸の募穴だけは正中線上ではなく傍に出ているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。胆は腑に属しますけれども肝葉の間にあります、ですからその気は肝の募穴の下に出ます。大腸は臍の正中にあたります。臍は神闕であり禁鍼の場所ですから、これを避けて傍に出ているわけです。


問いて曰く。三焦の募穴が臍下にあるのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。三焦は上下表裏に通じていますけれども、その根は腎にあり、その経は大小腸の中に行きます。ですからその募穴は臍下の丹田にあり、大小腸の募穴の間に出ているのです。


問いて曰く。天枢は大腸の募穴です。三十一難に、中焦を治療する場所は臍の傍らにあるとありますが、これはどのように考えればよいのでしょうか。

答えて曰く。天枢を大腸の募穴とするのは、大腸が臍にあたる場所に位置しているからです。中焦を治療すると言っているのは、臍より上は中焦が主る場所だからです。また高い所にあるものは低い所にあるものを基にしています、ですから中焦の下際に位置する臍をその治療場所としているのです。大腸は胃の下際に位置しています、土は金を生じ金は土の下際に位置するようなものです。


問いて曰く。小腸の募が関元にあるのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。関元は石門の下に位置します、ここは胞宮の下際であり、心包の脉が下に通ずる場所です、小腸と心とは表裏関係にありますのでその気がここに出ているのです。膀胱の募穴は中極にあり中極は膀胱の下際にあたります、ここにもまた下を基にするという意味があります。


問いて曰く。臍は腎兪と同じ高さにあり、さらに大腸の募穴とも同じ高さにあります、ここにはどのような意味があるのでしょうか。

答えて曰く。臍と腎兪の高さが同じなのは、人身を平行に分けたときの真ん中に位置するということを意味しています。人が南面すると〔訳注:南の方を向いて立つと〕、腹部は前に垂れ背は後ろに隆起します、これは山勢が北に盛り上がり水沢が南に流れる象です。ですから腎兪は高く臍は低いというのが自然の形となります。このように考えていくと、臍と平行に位置するのは十六椎であるということになります、ですから天枢と十六椎とがともに大腸の募穴と兪穴になるわけです。また放尿は腹部の前からなされ、排便は背後からなされるということも、北に盛り上がり南に流れるということを表わしています。






然なり。陰病は陽に行き、陽病は陰に行きます。ですから募穴は陰に位置し兪穴は陽に位置しているのです。


陰が病むときはその気は陰に集まります、ですからその陰を取ります。陽が病むときはその気は陽に集まります、ですからその陽を取ります。これは邪を除く方法です、いわゆる陰陽に従ってこれを調えるという治療法がこれです。陰が病むときはその気は陽に行きます、ですから兪穴を取って治療します、陽が病むときはその気は陰に行きます、ですから募穴を取って治療します。これはその気がある場所を取るということであり、正気を回復させる治療法です。ですから募穴と兪穴を腹背に分けて置いているのは、五臓六腑共に、陰陽を通じさせるためです。鍼を行なう際、この陽を取るか陰を取るかということを間違えずに治療するよう、よく注意してください。


問いて曰く。経文に募穴兪穴の名前をあげていないのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。募穴・兪穴・井栄兪経合は医家にとっては常識ですから、古経に当時は詳しく書かれていたのでしょう、そのため扁鵲公は贅述しなかったのだと思われます。現存している《霊枢》や《甲乙経》等の書物は、おそらくその古経の残篇なのでしょう。また五臓の募穴と兪穴とは七神の出入する場所です。ですから跌撲打踢〔訳注:打撲傷〕等の危険を避けなければいけません。もしこのような外傷によって神気の通行を失うと、昏倒する危険があります。もしそのようなことが起こった場合は、陽から陰を引き陰から陽を引くという方法を用いて気を導かなければなりません。どうしてかというと、陽が閉塞するとその気は陰に行き、陰が閉塞するとその気は陽に行くからです、ですからその気がある場所を取るわけです。陰陽をともに通じさせることもまたよいでしょう。《内経》には、陽から陰に引き、陰から陽に引くとあります。これは真に医術の妙諦であると言わなければなりません。



一元流
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