六九難の検討






◇六九難の劈頭言『虚するものはこれを補い、実するものはこれを瀉す、虚せず実してもいなければ経をもってこれを取る』という文言に似ているものは、《霊枢・経脉》と《霊枢・禁服》に見ることができます。

《霊枢・経脉》には、『盛んであればこれを瀉し、虚していればこれを補い、熱していればこれを疾くし、寒えていればこれを留め、陥下していればこれに灸し、盛んでも虚してもいなければその経をもってこれを取ります』と述べられています。これは、経脉の経路を述べた後に、これが変動すると起る病と、主るところに生ずる病は、何々、と病症名が挙げられ、最後に臓腑それぞれの項目の中で同じ文言で治療法が述べられる、という体裁をとっています。この治療法の部分が上に記した文言です。

また、《霊枢・禁服》には、寸口と人迎との脉の大きさの比較から病位を定め、『盛んであればこれを瀉し、虚していればこれを補い、緊痛していればこれを分肉の間に取り、代であれば血絡にとって服薬し、陥下していればこれに灸し、盛んでも虚してもいなければ経をもってこれを取ります。これを名づけて経刺といいます。』と述べられています。この経刺についての説明は《霊枢・官鍼》にあり、『大経の結絡経分を刺す』と解説されています。


◇この「経刺」という言葉の意味が子母補瀉とは関係ないことから徐霊胎は、《難経》の以下の文言が経旨と乖離しており、虚を補い実を瀉すという言葉の意味が、《霊枢》におけるものとは異なっていると注釈しています。


◇『正経が自ら病むもの』と『五邪によって傷られる所』の区別については、四九難に解説されています。

『憂愁思慮するときは心を傷ります。形が寒えているものが冷飲すれば肺を傷ります。 恚怒の気が逆上して下らないときは肝を傷ります。飲食労倦するときは脾を傷ります。湿地に久坐し、強力して水に入ると腎を傷ります。これは正経が自ら病んだものです』

『中風、傷暑、飲食労倦、傷寒、中湿による病を言います。これを五邪と言います。』


◇補瀉の方法について、『あるいは本経を取り、あるいはさまざまな他経を取り、あるいは先に瀉して後に補い、あるいは先に補って後に瀉し、あるいはもっぱら補うだけで瀉さず、あるいはもっぱら瀉すだけで補わず、あるいは一経だけを取り、あるいは3から4経を取るなど、その説としては〔注:《黄帝内経》に〕すべて存在しており、枚挙にいとまがありません。〔注:ですからこの六九難における〕母を補い子を瀉すという方法は、その中のひとつに過ぎないわけです。ですから、この難だけで補瀉の道を尽しているというのは、間違いです』と、《難経経釋》において徐霊胎は述べております。







◇その母を補うという意味。その子を瀉すという意味。つまりは、母子の関係は、どのような範囲で把えられるべきなのでしょうか。このことに関しては、大きく分けると二種類の説があります。


◇経脉の補瀉をする際に、その経脉の属する臓腑の五行に対して母子となる井栄兪経合の五兪穴を用いて補瀉を行うという説。

滑伯仁はその《難経本義》においてこの子母補瀉の具体的な例を挙げ、『たとえば肝が病んで虚した場合、厥陰の合を補います。曲泉がこれです。実した場合には厥陰の榮を刺します。行間がこれです。』と述べています。すなわち肝という木の母である水を、肝経の中で考えて、その合水穴である曲泉を刺すとし、木の子である火を、肝経の中で考えて、その榮火穴である行間を瀉すと考えて提示しているわけです。

江戸時代の丹波元胤は、その《難経疏証》で、この滑伯仁の文章を注釈として全文引用していますので、同じ考えであったと見るべきでしょう。


◇これに対して徐霊胎は、『母とは我れを生じた経のことです。たとえば肝が虚すれば腎経を補います。母の気が実すればこれを生ずる力も増加します。子とは我れが生じた経のことです。たとえば肝が実すれば心経を瀉します。子の気が衰えればその母を食することがますますはなはだしくなるためです』と述べています。すなわち木の母である水の腎、子である火の心を、本経の中ではなく全体の身体の中で補瀉していくのだと考えていたということになります。

清代末期の葉霖もこの文章だけをその解釈の中で引用しておりますので、この徐霊胎の説に同じ考えであったと見るべきでしょう。


◇さて、現代中医の凌耀星はその《難経校注》で、


『虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉す』という治療原則について、各家が具体的な応用として注釈している意見は異なっています。

1、経脉がその所属している臓腑の五行の属性を根拠とするもの。たとえば、徐霊胎は『母とは我れを生ずる経のことであり、たとえば肝実には心経を瀉すというものです。子の気が衰えればその母を食することがますますはなはだしくなるためです』と述べています。

2、本臓の経脉の五兪穴の五行の属性を根拠とするもの。たとえば丁徳用は、『この経では先に〔注:六八難を指す〕井栄兪経合を五行に配し、十二経の中でそれぞれが互いに生じ養いあっており、その後に〔注:六九難で〕補瀉の針刺方法が用いられています。たとえば、足の厥陰肝の絡中が虚していれば、その足の厥陰経の合を補います。これが母です。実していれば、足の厥陰経の榮を瀉します。これが子です。』と述べています。

この二つの説について考えてみると、一番の説のほうが正しいと思います。これは原文に、『自身の経【原注:の兪穴】を取る』のは、『外部からの邪にあたっているものでは』ない『正経が自ら病を生じているもの』に用いるとあるためです。つまりこれを逆に考えれば、『虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉します。』とあるものは、まさに『五邪に傷られたところの』病に用いられるものであるということです。そのため、虚するものはその母の経を補い、実するものはその子の経を瀉すこととなるわけです。 』

と述べています。

つまり、正経の自病には、子母補瀉を用いずに、その経の経穴を取るのであると本文に述べられているのだから、子母補瀉を用いる場合とは五邪に敗れられている場合のことであり〔注:これは《霊枢・禁服》における、『盛んでも虚してもいなければ経をもってこれを取る』「経刺」の場合であるといっていると解釈しているわけです。〕、これは他経との母子関係を用いるのであるといっているわけです。

そして、この治療方法についてはさまざまなものがすでに《黄帝内経》に掲載されているのだから、徐霊胎は子母補瀉だけですべてが語られていると考えることは間違いであると述べているわけです。非常に明確です。

非常に説得力のある考え方です。徐霊胎の説の根拠を明示しているわけですね。


◇ちなみに《難経の研究》では、凌耀星の説と同じように、正経の自病(内傷)と外邪によるものとを明確に分けた上で、『虚せず実してもいなければ経をもってこれを取るのは、正経が自ら病を生じているもので外部からの邪にあたっているものではありません。ですから自身の経を取るわけです。ですから経をもってこれを取ると言っているのです。』という《難経》の文章に対して次のように解説しています。

此れは五つの外邪ではなくて内傷性の病を指している。此の場合は他経に及ぼさないと難経で説く所である。

先に戻って他経他蔵の補瀉の場合に何れの穴を取るかについてはその術者の持前の理論であって一概に論じられないところであるが、難経本義の滑伯仁は肝経の虚の場合は其の経、即ち肝経の中の母穴曲泉を補し、実は肝経の中の子穴行間を使うよう書いてある。

此れに対して岡本一抱は和語抄に於いて之を誤として、肝虚には母経腎経の主穴陰谷を補し、肝実には子経心包経の主穴労宮を瀉すのが妥当と論じている。然らば両方を使えば尚有効とも考えられる。

と述べています。懐が広いというか、なんというか。ただ、効果の上がりそうな経穴を重ねて用いるとその効果が高まると信じているらしいところが、興味深いところであります。

ということはさておき、本間詳白においては凌耀星が明確にしたような区別があいまいなままであるということがわかります。

また、岡本一抱の説は、《黄帝内経》に説かれている鍼の運用の自在性を損なうものであると批判されなければなりますまい。しかし本間詳白はこの説をさらに深化(?)させて、《鍼灸補瀉要穴之図》なるものを作成しています。







「経刺」が出てきましたので。それにまつわる《霊枢・官鍼》を紹介しておきます。

この篇は、九鍼の実際の応用方法について述べてられています。

はじめに鍼の強さ深さと病気の重さ軽さとを合わせないとうまくいきませんよという基本的な注意が述べられています。

そして、疾病の種類とそれに応ずる九鍼の用い方が述べられています。

次に、同じ九という数ですが、九鍼から離れて九変すなわちさまざまな変化に対応する自在な鍼法として九種類紹介されています。これは刺鍼する場所について主に述べられているものです。ここに経刺が出てきます。

さらに、十二経に対応する刺鍼技術として十二節が述べられています。

ついで、脉所の深さに応じた刺鍼技術が述べられています。ここでは刺鍼時の注意として、年齢による気の盛衰や虚実を考慮に入れなければならないとあります。

最後に、主に五臓に応じた刺鍼技術として主として刺鍼の深さに応じた刺法が述べられています。

ここでは、経刺として紹介されている段を訳出しておきますので参考にしてください。

およそ刺法に九あり、九変に応じます。

一つ目は輸刺です。輸刺とは、諸経の栄輸〔注:井栄兪経合〕と臓輸〔注:背部兪穴〕を刺すものです。

二つ目は遠道刺です。遠道刺とは、病が上にあればこれを下に取り、腑輸〔注:足の太陽膀胱経・陽明胃経・少陽胆経〕を刺すものです。

三つ目は経刺です。経刺とは、大経〔注:深部の経脉〕の結絡経分〔注:体表で触れることのできる硬結や圧痛〕を刺すものです。

四つ目は絡刺です。絡刺とは、小絡の血脉を刺すものです。

五つ目は分刺です。分刺はとは、分肉の間を刺すものです。

六つ目は大瀉刺です。大瀉刺とは、大きな膿を鈹鍼で刺すものです。

七つ目は毛刺〔注:皮膚に浅く刺す〕です。毛刺とは、浮痺や皮膚を刺す〔注:皮膚表層の痺証を刺すこと。皮毛を浅く刺し、筋肉を傷つけないようにする〕ものです。

八つ目は巨刺です。巨刺とは、左には右を取り、右には左を取るものです。

九つ目は焠刺です。焠刺とは燔鍼〔注:焼き鍼〕を刺して痺を取るものです。







◇その母を補いその子を瀉すという内容については七五難にまた述べられています。

『東方が実し西方が虚した場合には、南方を瀉して北方を補う。』『東方は肝ですから、肝実であることがわかります。西方は肺ですから、肺虚であることがわかります。南方の火を瀉し、北方の水を補うとありますが、南方は火であり、火は木の子です、北方は水であり、水は木の母です。水は火に勝ちます。子は母を実させることができ、母は子を虚させることができます。ですから火を瀉して水を補うことによって、木を平らげることができない時に、金を補おうとしているのです。』

この七五難と六九難との関係について徐霊胎は、『詳細については下文七五難に見える』として、その詳細が七五難において述べられていると考えました。しかし七五難の解説では、『六九難では、虚すればその母を補い実すればその子を瀉すと述べられています。ところがここでは、実すればその子を瀉してその母を補い、虚すればその反対にその子を補うとあります。意味としてはともに通じますけれども、理論的には前後に相違があり、その理由は詳らかにされていません。』と述べています。

丹波元胤もその《難経疏証》で、徐霊胎の説を支持しています。


これに対して凌耀星は、六九難は五行の相生関係を用いた考え方であり七五難は主として五行の相剋関係を用いた考え方であるとしてこれを区別しています。


本間詳白はその《難経の研究》で、『此の六十九難は補瀉原則の最も基本的なものであって、一般通常の病は此の原則を十分理解し運用すれば鍼道終れりというべきであろう。所が此の難だけでは尚不足の場合がある事に気づいたのが扁鵲であって後の七十五難を追加したのである。此れは此の六十九難の型通りの病の外に又変則の型の病があるためである。』と述べています。つまり、六九難が常であり七五難が変であるという解釈なわけですね。本間詳白はこの六九難と七五難の解釈に特に力を入れておりまして、巻末に特に小論文を付しているほどですが、今はこれに触れません。






五行論と気一元




六九難を勉強するにあたり、気一元の観点から人体を見るということと、五行の相生相剋関係から人体を見るということとの違いを明確にしておきます。


◇五行の相生相剋の観点から人体を見るという場合にも全体性、胃の気というものの重要性は何にも増してあるものでありますけれども、《難経》においても、その全体性の重要さが多くの分量をもって説かれております。胃の気の大切さ・根としての腎気の大切さ・三焦の問題・奇経の問題などがそれです。

これらの問題を包含しながら人体そのものを気一元としてみていると、そこに《難経》の著者が大自然を観想していたのだとう姿勢が感じられます。大自然の縮図としての人間観が読み取れるわけです。

大自然。大いなる生命の恵み、生きとし生けるものがその中で存在し、その微細な生命を育むことを許されている壮大なドラマ。天地があり、その間に育まれている生命たち。この大いなる生命のドラマを、私は気一元という言葉で表現しています。

大いなる生命のドラマの中には、飢えがあったり農耕があったり共食いがあったり子孫ができることに対する本能的な歓喜があったりします。吾が小さな生命の中で、絶望や希望といった感情に揺れ動かされ、あるいは正義や礼儀という伝統に貫かれながら、通奏低音として、生命がある、ありつづけるという、この歓喜の中に生命の営みがあり続けています。

一元の気という観点とは、まずこの生命がありつづけているという所に視点を合わせて身体を見ていこうという、そういう位置のことを意味しています。


◇そこから五行の相生相剋を見ていくとそれはいかにもか細いひ弱な論理であると感じないわけにはいきません。まるで生命を剥ぎ取った骸骨がその大きくなった頭を振りながら青白い顔で悩んでいるといった図が眼前に浮かんでくるのです。

ひ弱な論理は複雑さによって自己を正当化しようとします。その行為が《鍼灸補瀉要穴の図》として結実し、また現代中医学として現われてきていると、私は考えています。論理は迷路を作り、迷路に迷って遊んでいるうちに生命そのものを見る、そこに歓喜するという、入り口でありかつ出口であるところのものを見失ってしまいます。

その自分自身で作り上げた迷妄の闇をさらに糊塗するために、さらなる論理の迷路を作り上げようとする。このはかなく愚かな営為を打ち破る観点が気一元の観点で身体を見るというところに存在していると私は思います。


◇言葉とはその中にそもそも論理性を含みます。そして一語一語はいつも不完全で未熟であって、言葉を発したときにすでにそれは自身の愚かさを露呈しているともいえます。

《黄帝内経》はしかし、百姓の困苦を救いたいという黄帝のやむなき思いに突き動かされて、多くの言葉を敢えて吐き出しました。慈悲が言葉を生み出し、言葉の海という愚かさに溺れながら、その奥にある真情・慈悲の道筋を開示してくれているわけです。

発せられた言葉をどう読むのか。吐き出された言葉の論理によって読むのか、黄帝の発せられた思いによって読むのか、そこに大きな分かれ目が存在します。私は黄帝の慈悲に感謝しながら、気一元の観点から読むということを選択しました。

言葉の森の迷妄に陥らないよう注意を喚起するために、この一文をしたためました。









2003年7月27日 日曜   BY 六妖會




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