この難があるために、《難経》の信頼性がガクッと下がるんだよねーーー、と個人的には思いますが、気を取り直して、古典として身構えて読んでみましょう。

それにしても扁鵲以外の人間がこんなことを言ったら、頭を叩かれますよねーーー。







こういうときは、徐霊胎をみてみましょう。

『遅数によって臓腑を別つことは、すべてに対して言えることではありません。腑病であっても遅脉を呈することがありますし、臓病であっても数脉を呈することがあります。これはその属するところの陰陽の大概を語っているだけのことです。そのため最後に病という語が置かれているのです。』

「常」としての大枠を示したものに過ぎないという解釈ですね。まさに穏当なところでしょう。他の難を見ても、このように単純に割り切れるものではないということは、明確にされておりますので、この難だけを読んで、わかったつもりになって誤診しないように注意する必要がありましょう。

脉の遅数に関しては、十四難に損〔注:遅脉〕至〔注:数脉〕の脉状の解説が詳細に述べられていますので、それを少し見てみるだけで、この難がいわば概論の概論、提綱の一つを述べたものであるということが理解できます。





2002年 5月26日 日曜   BY 六妖會




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