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【目的】
生命は言葉以前にそこに存在しているものであり、分けて考えることはできません。分けて考えることはできないということは、言葉にして表現するといつも的外れとなり、その一部しか表現していないということを意味しています。
この「表現できない」ということを自覚しつつ、それを表現することから、伝統医学の学問的伝統が発生していると、私は考えています。
ここには、言葉に言葉をつないだプラトン以来のギリシャ哲学や、戦国時代末期から漢代に発生した春秋学、そしてそれに続く「学問と呼ばれる言葉の群れ」に対する根源的な批判が存在することになります。
「言葉」に対する強い警戒があって初めて、「言葉を越えて存在している生命そのもの」が、古人によってあるいはそれを嗣ぐ人々によって描かれている状況が見えてきます。そこにおいて実は、東西の言葉の使用法の垣根が初めて乗り越えられることとなります。
東西の伝統医学を統合し、望聞問切という四診―人間観察方法を通じて、まるごと一つの生命の動きを捉え記述していく。ここにこそ次代の生命の医学を築いていくための基礎があります。この文章はその基礎を明確にすることを目的としています。
【方法】
生命そのものをみる方法として、東洋医学の四診法を基本とし、それをまとめあげて弁証論治を作成することを通じて、私は人間理解としての鍼灸治療を行ってきました。それを伝えるための勉強会を運営していく中から発生した、基本的な課題および生命についての理解を、現時点でまとめてみたものがこの文章になります。
東洋医学といっても幅がとても広いものです。生命そのものを理解しようとして四診法を用い人間理解を通じて治療処置を定めていくという方法を私は探究し、一元流鍼灸術と名づけています。これに対して、生命そのものを理解するのではなく、対症療法としての治療効果を求める、狭義の西洋医学のようなものを、古典の文献の中に探し求め、伝統医学と称している人々もたくさん存在しています。私はそのような知識の寄せ集めではなく、人間理解の智慧の記載として伝統医学を読み込み、現代への活かし方を探究してきました。
ここでは現時点での、その成果をまとめ、これからの課題を提出してあります。生命の医学についての研究は、これからの時代の医学を担うものとなるでしょう。そこに、東洋医学の伝統鍼灸の側面から、未来を開くための提案を、私はしようとしているわけです。
【目次】
はじめに
第一章 日本医学の原点と思想的背景
第二章 言葉を越えて存在そのものに肉薄する
「いのち」と言葉
知の構造の図第三章 生命の揺らぎ
一の視点
「一」の括り第四章 身体観
はじめに
三種の身体観
脾土の身体観
腎水の身体観
肝木の身体観
天地を結び天地に養われる肝木
肝は人の生きる意志
肝の活動を支える脾腎
現代社会の病
肝鬱は邪気か
肝の化粧
肝鬱二態第五章 観るということ
視座の変化
寸口の脉診
陰陽五行で脉を診る
生命力の変化を見る
気一元の観点から観る第六章 弁証論治の土台づくり
生命があって反応がある
四診の評価はその体質によって異なる
一次資料の質
五臓の弁別第七章 生命の病因病理
生命の器
理解できる範囲で論を立てる
情報は柔らかく握る
見る前に語るなかれ
言葉の距離感:遠近法の大切さ
病因病理を書くにあたって第八章 処置する
生命の弁証論治チャート図
虚実補瀉
好循環悪循環と敏感期鈍感期
内傷病と外感病
生活提言
全身の生命力を調えることを目標とする
あるがままに診、治す第九章 未来への課題
治療目標
医学の目的
古典の読み方
生命の弁証論治
四診に根拠を求める
養生の医学
生の奇跡
鍼灸道の構築に向けて
知識を得ること知恵を得ることおわりに 生命の医学に向けて
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