上焦神蔵 




上焦とは、膈膜より上をいいます。神臓とは両乳の間、膻中に位置する心臓のことを言います。心は人身の(もと)〔訳注:本〕であり始まりである先天の神を蔵します。心はその神の舎で、神はその中に蔵されるところの主人です。そのためこの弁においても、心臓と言わずに神臓と呼ぶことにしました。

先天とは人身がまだ生ずる以前のことを言います。後天とはすでに生まれ落ちて後のことを言います。

では、先天の神とは何なのでしょうか。父母が交会して父の一滴の精を母の子宮に射るとき、その精の中に自然に存在しているところの一気があり、これを名づけて神といいます。この神気は、父母が交会したその泄精の時に、父の膻中に交感する一気がその精の中に存在し、これがすなわちその子の神となって、また膻中 心の位置に蔵されるものです。

ですから、人が始めて生ずるのは、神精によります。私という人の神精はすなわち父母の神精を受けてきたものです。神はもともと陽であり、精はもともと陰です。陰は下に位置し、陽は上に位置します。ですから神はすなわちその子の上焦の陽位に留まり、精はその子の下焦の陰位に留まります。







父の一滴の陰精がその胎となるわけですけれども、ただ精だけでは胎となることはありません。精はもともと陰です。陰は収蔵して生発する気ではないためです。このため精中に自然に神陽が存在して生気となります。精は陰とし水とします。坎の象です。水がよく物を生じるのは、坎中の陽によるものです。父の陰精がよく胎を生じるのは、この神陽によるものです。

精が生となるのは、神によります。神が生となるのは、精に舎る能気〔訳注:活動的な気〕があるためです。ですから神がなければ生となることはできず、精がなければ神があることは不可能なわけです。

このように、神と精との二つは、生命の根、万物の源となるわけです。



一元流
医学三蔵弁解 前ページ 次ページ