上焦神蔵 第七節 神用




人身における視聴臭味 手足の動き 身体における寒熱や痛痒を感じるようなことはすべて神気が主となっています。心は自ら七竅を持ち、神気はここから通明遊行して〔訳注:自由自在に出入りして全てを把握して〕全身の諸用〔訳注:諸機能〕をめぐっています。たとえば一寸の燈火であってもその光は万方を照らし出すことができるようなものです。

眼は肝の竅としますけれども、視て赤と黒とを見分け曲直〔訳注:曲がっているものかまっすぐなものか〕を知るものは、すべて神気によるものです。あるいは五味は脾の竅である口に発していますけれども、その辛い甘いを味わい分け味の濃淡を知るものは、かの神気がなすところのものです。

ですから諸々の虚の病を治療する場合は、神を兼ねて治療しなければならないわけです。



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