上焦神蔵蔵 附 方意




心は血を生じ、肝は血を蔵し、脾は血を総ぶというのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。

心は南方の離火とします。離中の一陰が血液を生じます。これを心血といいます。肝はその心血を受け蔵します。心血は先天から受け継ぎ保たれている陰液です。脾胃は後天の穀気の発するところですので、この水穀の精気を用いて、心に生じ肝に蔵されている血液を栄養します。このことを脾は血を総べるというわけです。

人身における気虚血虚は、その原因として何種類かあります。たとえば、汗が多くて気が脱したり肥白の〔訳注:肥胖して白い〕人を気虚とするようなものは、すべて肺気の虚で黄耆の主る所です。まじめに勉強しすぎたり神気を労鬱させること〔訳注:精神を鬱滞させて疲れさせること〕によって気が虚しているものは心に属し、人参がこれを主ります。吐血 唾血 発汗が多く陰が脱しているものは心血の虚とし、当帰がこれを主ります。金瘡による出血過多や婦人の崩漏などは肝血の虚とし、芍薬がこれを主ります。便血 溺血 水道の通利過多によって血虚となるものは腎に属し、地黄がこれを主ります。

けれども気血は互いに根ざしていますので、これを気虚とするときにはすなわち血虚しているものであり、血虚とするときには気もまた虚しているものです。原因によって、治法には標本の区別があります。気虚によって血虚となっているものは、気虚を本として血虚を標とします。血虚によって気虚となっているものは、血虚を本とし気虚を標とします。

肝腎の気虚の多くは血虚から始まります。心脾の血虚の多くは気虚から始まります。ですから心脾の血虚を治療する際には、帰脾湯がこれを主ることになるわけです。



帰脾湯

帰脾湯の症治と方意〔訳注:処方の意味〕とを述べさせてください。

帰脾湯は、心脾二経の血虚を主治します。その本は気分の労傷によって始まります。ですから、脾経の失血によって 少寝 発熱 盗汗するもの、あるいは思慮過度で脾を傷り摂血できなくなって血が妄行して 健忘 怔忡 驚悸 不眠となるもの、あるいは心脾が傷られ痛んで嗜臥 少食となるもの、あるいは憂思が脾を傷って血虚して発熱したり肢体に痛みが出たり大便が不調となったり月経が不順となったり晡熱〔訳注:昼下がりの潮熱〕や内熱したり瘰癧流注して消散潰斂〔訳注:消えてなくなったり潰れて収縮することが〕できなくなったものを治します。

このうちの脾経の失血によって少寝となるというのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。血気はもともと一つであって互いに離れることのないものとします。今、脾気が疲れて血を集めることができなくなって血液が虚すと、気がますます収まらなくなります。気が収まらないとその人は寝ることができなくなります。気は陽であり血は陰です。陽は騒がしく陰は静かです。気が静かなときには横になるとよく寝ることができますが、気が騒がしくて収まらないと横になっても寝ることができません。ですから脾経の陰血が虚すると、気が騒がしくて静まらなくなるわけです。このようなとき、帰脾湯によって心脾の血が潤うと、気が自然に収まってよく寝ることができます。水が充分にあると魚が静かであるということと同じことです。

発熱盗汗はもっとも弁のあるところです。どうしてかというと、精血が直接虚損して陽気が付くところがなくなって発熱盗汗するようなものは、陰薬の涼剤が主治します。この処方の中に冷剤がないにもかかわらず発熱を治すことができるのは、この症がもともと気血の疲労によって起こる発熱だからです。盗汗には気虚と血虚とがありますけれども、ここで言っている盗汗は基本的に気虚によって生じたものです。どうしてかというと、不眠の時には人の気は表に行き、寝るときには人の気は裏に行きます。気が虚すると、表の気が弱くなります。このような人が寝ようとすると、もともと弱い表の気が裏に入るため、表の気がますます空虚になって汗が出るのです。たとえば勉強しすぎたり、謀慮大過となった〔訳注:考えすぎた〕後に身熱して盗汗が出るという理と同じです。これらはすべて気分の疲労から発しているわけです。

思慮過度で脾を傷って摂血できなくなって血が妄行するというのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。思慮は脾に属します。これを用いすぎると、ついには脾経の気分を傷ります。脾気が傷られると血を摂して集めることができなくなります、たとえば懸樋(かけひ)〔訳注:水を引くための管:(とい)〕の竹が破損して流水が漏泄し妄行するようなものです。脾気が傷られると血を摂して集めることができなくなりますので、血が妄りに流れて、吐血 衂血などの病となります。ですからこの湯で心脾二臓の気を補って血を本の部位に返すことができれば、妄行している流血も自然に止まるわけです。

健忘というのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。非常に忘れっぽい人は、心脾腎の気が浮いて収まらないことによります。人の心が外の物に移って収まらない時は物事を忘れやすくなる、ということと同じことです。心は神を蔵し、脾は意を蔵し、腎は志を蔵します。神は全身の主人であり、万事を主宰します。意は記憶して失わないということです。志は心に残って絶えることがないということです。ですから、神がよく守り、意がよく保ち、志がよく残すと、忘れるということがないわけです。今この湯で心脾両臓の気を補い、血をよく摂し血が気を収めることができるようになれば、浮いている気が収蔵され、その根本を固く内に守るので、健忘の患いとなることはありません。方中の遠志はこの主薬です。遠志は腎の志を上焦の心部という遠くまで到達させます。そのため遠志と名付けられているのです。腎の志を上焦の心部に達せさせることができると、心神と腎志とが互いに通じ合います。脾は心腎の間に位置しています。心腎の神志が互いに通達している時には、中央の意気は脾によく残るので、物事を忘れることがなくなるわけです。

怔忡驚悸と不眠とは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。この理もまた右の健忘の理と同じです。心脾腎の三臓の気が虚していると、怔忡驚悸して静かに寝ることができません。たとえば流水が不足すると魚鱉(ぎょべつ)〔訳注:魚やスッポン〕が跳ぶということと同じことです。この三臓の気が疲れて血液が散ずると、心脾腎の三気はますます収蔵することがなくなり、あるいは怔忡しあるいは心気躁動して驚悸し、寝ることができなくなります。

心脾が傷られ痛んで嗜臥 少食となるというのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。心脾の気血がひどく労傷されることを痛むといいます。この痛みは疼痛という意味ではありません。臥すとは、睡眠のことではありません。気が倦怠して身体が疲れているためただ横になることを(この)む〔訳注:このむ〕ということです。少食とは〔訳注:どういうことなのかというと〕、脾土と心下とは子母であって互いにその気を通じ合わせますので、両臓の虚実もまた通じあいます。このため、心脾の両気が労傷する時には、脾気が疲れているので、たくさんは食べられなくなるわけです。

憂思が脾を傷って血虚して発熱すというのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。これはすでに虚労の症となったもののことを言っています。七情の配分で言うと、憂いは肺に属しますけれども、憂う時は陽気が収斂して伸びず開かないため、心肺の両気が労傷されます。思う時は脾気が結び脾を傷ります。心肺脾の三気が虚し疲れると、ついには血虚の症となって発熱します。これは気虚より進んだ状態で、血虚発熱の症となります。これは本方に柴胡山梔子を加えた加味帰脾湯の主治するところにあたります。

肢体に痛みが出たり大便が不調となるとうのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。この症の原因にはいくつかあります。外邪によって四肢に痛みが出るもの、瘀血によって痛むもの、実熱によって痛むもの、気の凝滞によって痛むものなどがあります。この湯の主る所のものは、心脾の血気労傷によって気血がその四肢に順行されないために痛みが出るものです。また、泄痢の病の後のすべての脾胃の虚、気虚の病の後に四肢が疼痛するようなものなどは、すべて帰脾湯の主る所です。帰脾湯が主治すべきところの四肢の疼痛は、大便不調を中心としてこれを用います。心気が疲れるときには小腸が和さず、脾気が疲れるときは胃が和しません。腸胃が和していませんので大便が自ずから調うということがありません。調わないというのは、大便が堅くなったり緩くなったりするということを言います。

月経が不順となったり晡熱や内熱するというのは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。この症にもいくつかの原因があります。火熱によってなったもの、瘀血から生じたもの、気鬱から起こったものなどがあります。帰脾湯が主るところのものは、心脾の気血が労傷されたために、婦人の経水が少なくなったり多くなったり、月経が遅れたり早くなったりして、一定の基準がなく、晡熱し内熱するものです。晡熱とは、未申の時〔訳注:午後1時から午後5時〕に決まって発熱するもののことを言います。脾は土に属します。土は西南の未申の分を主るので、脾経の虚熱は決まって日晡に起こります。またそれが内熱であるということが重要です。内傷によって気血が労虚した〔訳注:疲れて虚した〕ために起こった熱だからです。

瘰癧流注して消散潰斂〔訳注:消えてなくなったり潰れて収縮したりすることが〕できなくなったものとは〔訳注:どういうことなのでしょうか〕。この症にもまた虚実二種類の弁別があります。瘰癧の多くは気分の鬱実によって生じます。気は須臾(しゅゆ)〔訳注:しゅゆ:一瞬〕のものとしますので、気鬱を主として生じるものはある時は消散しある時は結集して、甚だしいときには潰れ破れることがありますけれども、時間がたつと瘡口は収斂して〔訳注:治まって〕きます。もともとが虚家〔訳注:虚証の疾病〕ではないためです。心脾の気が疲労してめぐらなくなったために生ずる瘰癧は、常に結集して時間がたっても消散しません。また潰れ破れても、瘡口はなかなか収斂して〔訳注:治まって〕いかないものです。もともとが気虚に属するためです。結核の瘰癧の類で、気鬱すると集まり気が伸びると〔訳注:緩むと〕消散するものは、気が鬱積しているものに属するとします。虚によってなるものは、消えたり集まったりすることがありません。気分の鬱実に属する者が、時に消え時に集まるのは、壮人〔訳注:元気な人〕がつまずいてもまた起ってまた歩行することができるようなものです。気虚を主とする者が、消えたり集まったりすることがないのは、瘠せて弱い人が一度つまづくと、もう起って歩くことができなくなるようなものです。

薬効

病というものは顔のようなものです。幾千万人いてもまったく同じ顔の人はいません。外からの病態は同じように見えても、その病因は人それぞれ異なり、治法もまた異なります。けれども今の医家は、外の病態は理解していても内の病因は理解していないため、治ったとしてもその治った理由を理解することができません。たとえば痢病であれば下せばよいとだけ思い、発散の剤はただ発汗させるだけのものであるとだけ思っているため、治療を誤り、時には害をなすことさえあるのです。

痢疾の病は、その基本は腸胃の積滞によって生じます。ですから疏滌の薬を用いて推し下せば治るというのが常法です。けれども元気が虚弱なもののような場合には、ただ推し下していると元気を重ねて虚せしめてしまって昏倦し〔訳注:非常にだるくなり〕、これを補うと後重がますます加わる〔訳注:下痢がますます激しくなる〕こととなります。庸医〔訳注:下手な医者〕はここにいたって腕を組み考え込んでしまいます。

丹渓先生〔訳注:しゅたんけい:朱丹渓:金元の四大家の一人で滋陰降火を唱える:1281年~1358年〕は深くこの理を弁じています。このような者にはまず補剤を用いて、その元気を助けます。後重が激しくなったとしても恐れる必要はありません。慎んで脉を診て、その虚が徐々に回復してきた時点で、芍薬湯などの類を用いてその積滞を推し下すと、積がよく通じ、元気がよく回復して、すばらしい効果を発揮することができます。そもそも攻撃の薬というものは力が烈しく、積滞を下す勢いが疾いものです。元気が虚弱なものを治療する際、実の人と同じように始めから推し下す治療だけをしていると、胃の気が日々損なわれていって死に至り、死んでもその誤りを理解できる者は少ないものです。







発汗の剤の麻黄や紫蘇のようなものは、表を開いて直接汗を滲まさせるのだとだけ考えています。外邪が皮表に鬱しているようなものでも、麻黄紫蘇の類だけを用いて発散しても汗が出てこないものもあります。庸医はまたここでも謀を出すことができません。

どうしてかというと、薬を用いて汗を出させるということは、薬が直接汗を出させるわけではないからです。外邪が膚表に塞がって、鬱熱がその間に凝滞しいてる病者のようなものに、発散の薬力を運んでその凝滞している熱を皮間全体に解き充たさせるために、満ちた熱が表を蒸して汗を出させているのです。汗は熱によって出ます。熱は薬によって皮間に充てくるものです。もし薬力が直接汗を出させるのであれば、平人であってもこれを服用すれば汗が出てくるはずです。けれども平人が発散の薬剤を服用しても、汗は出ません。その理由は、薬気が皮間に向かったとしても、解き充たすべき凝熱がないため、表を蒸すこともないため、汗を出すことがないのです。

もし外邪が膚表に塞がり、鬱熱が外にあったとしても、その熱が裏に深く連なるものは、発散の薬力が皮間の凝熱を解き充たさせようとしても、根本を開くことができないため、表熱を外に蒸すことができず、汗が出ることがありません。このようなものはその軽重を量り、少し寒熱を加えてその裏に連なる内熱を解いてやると、鬱熱がよく外に充て皮表を蒸し、発汗させることができるものです。雲林の龔廷賢〔訳注:きょうていけん:16世紀〕氏はこの理に適い、発表の薬中にはいつも黄連を加えて裏に連なる熱を治していたということです。

実に医の要は意〔訳注:心や考えの用い方〕にあります。その内に連なるかどうかということを察するものは、医の意にあり、意を明らかにさせるものは学です。けれども近世の医家はわずかの薬方を授かることができると、妄りに意を用いて察するため〔訳注:浅薄な心で考えるため〕、同じようで異なることを理解できないまま、本を標にし、標を本にするような治療をしてしまいます。







医の要は蔵象にあります。次はその病を治療する薬性の理にあります。次はその病を主として治療する湯散〔訳注:湯液や散薬〕の方意にあります。この三者に(くら)い〔訳注:くらい:よく知らず、理解してもいない〕ときは、十全の効能を求めようとしても難しいものです。

方制

心家〔訳注:心の疾患の人〕の主方である帰脾湯の主症と方意〔訳注:処方の意味〕の概略を左に弁じておきます。

帰脾湯は

人参 白朮 黄耆 白茯 龍眼 遠志 酸棗 当帰 木香 甘草 姜棗 水で煎じます。

この方意の深い理を考えてみると。この処方はもともとは心脾両臓の薬だったことがわかります。先天の血は心から生じ、後天の血は脾に総べられます。天地の水と人身の営とは相応し同じものです。水は土中に湧いて土に従って流行し、土に従って溜まり集まります。脾土の気が虚し疲弊すると、営は生じることができず、行くことができず、集まることができずに、ついには血虚の端緒となります。ですから本方に白朮 茯苓 人参 甘草の四君子湯を入れています。これを用いることによって脾気がいったん盛んになると、後天の栄血がここから生じてここをめぐり、先天の心血を養うことができるわけです。

陽は陰から生じ、気は血から生じます。ですから離中に自然の一陰があり、これが陽火の根となるわけです。今、脾気がひとたび盛んになって、後天の栄血が心血を生じさせることができれば、心気もまた従って生じてきます。これが古人が方剤を制する妙道です。一つを養って二つのことをなすわけです。

陳皮ではなく木香

ある人が疑って言いました。そういうことなら方中にどうして陳皮を用いていないのでしょうか。

答えて言いました。白朮と陳皮とは合することによって脾家の要剤となることは確かです。けれども陳皮の性は辛温で散行を主ります。血は散によって減り、収によって生じます。この湯は、心脾両臓の気を助け、血を収め充実させようとするものです。かの陳皮の辛散は、補気においては佐〔訳注:助け:補佐〕となりますけれども、収血においてはおそらくは害があり、よくありません。

補剤というものは集めて泄らさないようにするものです。人参 白朮 黄耆 甘草の甘薬は、補渋するだけであれば反って気分の流行することを得にくいものです。めぐらなければ充たしにくく、充ちなければ補とは言えません。ですから木香があり、補中をしながら〔訳注:中焦を補いながら〕升降の気を通行させているわけです。升降が通じれば、心脾が旺んになり、人参 白朮 黄耆 甘草の効能がますます現れることとなります。

当帰

当帰はどのような機能を果たしているのでしょうか。先天の血は心から生じ、後天の血は脾から生じます。心血は南方陽火の陰であり、脾血は水穀消化の温用によって生じます。ということは、心脾の生血は陽から生じるものであって、極陰のものではありません。当帰は陽中の陰薬であり、味は甘く性は温です。これを用いて心脾二経の「陽から生じる血」を潤養させていくわけです。

そもそも独陰独陽は生長することができません。ですから極陽の剤は反って陽を生じることがなく、極陰の剤も反って陰を生じることがありません。ですから附子の形は陰でその性はよく陽を補い、熟地黄の陰を補う効能は反って生地黄に勝っています。これは実に陰陽互根の妙です。気薬に血薬を兼ね補陰の剤に補気を帯びさせるわけです。

この湯に当帰が入っていなければ、人参 白朮 黄耆 甘草の補気の効能はあまり大きくなりません。人参 白朮 黄耆 甘草がなければ、当帰の補血の効能もまたあまり大きくならないものです。黒雲が起こらなければ、雨も雪も降らず、川や海や池の湿の水気がなければ、雲陽が升り布く〔訳注:雲ができ空に広がる〕ことがないということと同じことです。

後天の営衛の気は、水穀の精気によって生じます。内に収まる気は営血となり、外に散行する気は衛気となります。これは(こしき)〔訳注:米を蒸すときに使う蒸し器〕にたとえられます。鍋の中の湯気が甑の中に升っていくとき、甑の蓋がしっかり閉まっていれば、湯気は甑の中に充満して、米穀は潤い熟し〔訳注:ご飯を炊くことができ〕ます。もし甑の蓋が緩んでいて湯気が外に泄れていると、甑の中は乾いてしまって米穀を潤わせ熟させることはできません。

人身における胃は鍋のようなものです。心脾の間は甑のようなものです。肺は諸臓の上に位置していて甑の蓋のようなものです。方中の四君の薬品が脾胃の気を補養し木香がこれを通行させるのは、鍋の中で出ている湯気のようなものです。ここに当帰の温潤を帯びるわけですけれども、肺という蓋がしっかりしておらず泄れがあると、その気が心脾の間に満ちて営血を潤養することはできません。そのため黄耆があって肺脾の気を泄らさないようにするわけです。〔訳注:このようにしてはじめて〕気は心脾に充ち、後天の営血がその間に生じることができるわけです。

心脾は肺の下に蔵されています。鍋の中の湯気がいったん升り、蓋の裏に注ぐと、蓋の裏には自然に露液が生じて、その露がふたたび降ってまた鍋の中に落ちるように、黄耆で肺の蓋を収める〔訳注:しっかり閉める〕と、脾気から〔訳注:営が〕肺の蓋に注いで肺の蓋が潤い、潤った肺の蓋の露がふたたび降って心脾の営血を潤養します。理の当然言えましょう。

酸棗仁

酸棗仁は生と炒とではその効能が大きく異なります。生で用いると、肝気を清することができますので、眠りにくくさせます。炒って用いると、心肝の気をめぐらしますので、眠れない人を眠れるようにする効能があるとされています。

心火と脾土とは子母であり、その気は通じ合います。肝木と心火ともまた子母であって、その気は通じ合います。心は血を生じ肝は血を蔵します。もし心脾の気血が労傷されると、肝血は受けるところが少なくなり、肝気は虚滞し〔訳注:虚すことによって滞ってしまい〕ます。肝気が虚すると心火を養うことができなくなって、心気はますます疲れます。これに炒酸棗仁を用いて、肝気が虚滞しているものを補行させる〔訳注:補ってめぐらす〕わけです。またその味の甘は肝血を潤し脾陰を兼ね養います。

遠志

遠志はどのような機能を果たしているのでしょうか。遠志は足の少陰腎に入り、腎の志を心に通達させます。

そもそも心気は降って腎に及び、腎気は升って心に通じます。これを指して升降と言います。もし心気が疲れて下に腎に移ることが少なくなると、腎気が上から受けるところが少なくなって衰弱します。心気が降らなければ腎気が不足し、腎気が升らなければ心気が不足しますので、健忘などの病を生じます。遠志を用いてこの腎の志気を上に心に到達させることができれば、心気も腎に及ぶようになります。心腎上下の二気がよく交わり通じるようになると、上下の二気が堅く張り合わさり、事にあたって忘れるということがありません。

そもそもよく忘れるのは、腎中の志気が虚弱なことによるものです。世の人が俗に言うところの志が深いというのは、朋友の類が遠く離別していたり、一時の恩を心に残して、絶えずその人のことを思い起こしているもののことです。これはその気が深く達し遠くに及んで絶えることがないことを言っているわけです。腎に蔵されている志気もまたこれと同じです。志気をよく守っているときには、遠くに及び深くに達しますから、忘れるということがありません。淫欲が盛んで日々房事につとめているような場合には、よく忘れるようになります。これは腎志が不足すると忘れやすくなるという証拠です。

陰中の気

ある人が聞いて言いました。腎は精蔵です。両腎の間は命門 陽火の地です。今腎気と言い、志気と言っていますが、これは何を指しているものなのでしょうか。

答えて言いました。生気が内に根ざしているものを神機と言います。外に根ざしているものを気が立つと言います。

そもそも天地万物の道は、気がなければ存在し得ません。水中に入ると湿気のないところはありません。天地の間に周く充満しているものは、渾然たる一気だけなのですから、その気の中に存在していながら、気がないものがあるわけがありません。気の内で、裏に属し、静に属し、寒に属し、収に属し、昧に属し、下に属し、潤に属するものは、だいたいにおいてすべて陰気とします。気の内で、表に属し、動に属し、温に属し、浮に属し、明に属し、上に属し、燥に属するものは、だいたいにおいてすべて陽気とします。

気は無形の情です。ただその属するところをもって見ることができるだけです。腎中の志気はすなわち陰中の気です。水が曲屈し順下して〔訳注:流れが折れ曲がりながら素直に流れ下り〕、その流行が長通するのは〔訳注:どこまでも長く流れ続けていくのは〕、何によるものなのでしょうか。陰中の気によってなるものです。気がなければどうして流れて窮みなく、曲屈通長するという性があるでしょうか。

人身の腎中においてもまた、気がなければどうして腎液が心に通じるという性があるでしょうか。またこれが全身を潤して営養することができるでしょうか。

気の弁は最も多いところですけれども、ただその大略だけを述べてみました。

人参

人参は心気を補い、遠志は腎中の志気を補います。心腎の二気がよく交通すると、脾気がその升降の間を保ち、三臓の気が自然に充実してきます。

竜眼肉

竜眼肉はどのような機能を果たしているのでしょうか。思うに、竜眼肉の形象も気味も心包に入って津血を保つことができるような象です。どうしてかというと、竜眼肉は外の殻の一重を破り去り中の核仁をもまた去って、穀核の間にある肉膜一片を取ってこれを用います。その外の殻は肺のようであり、中の核は真心に似ています。真心を周く裹む〔訳注:包む〕ところの膜は心包ですから、この龍眼の殻の裏 核の外を包んでいる肉膜を心包に象ることができます。また、その体は潤い粘って味が甘いことから、津血を集めて生じ養うことができることがわかります。ですから竜眼肉は、心肺の間の血を充実させることができ、またその甘味によって脾を潤すことができるわけです。この湯に竜眼肉が含まれている理由は、四物湯に芍薬があるようなものです。芍薬の散収がなければ、四物は血を生ずることはできません。帰脾湯に竜眼肉の粘潤甘味がなければ、血を心脾の間に充たすことができません。

まとめ

帰脾湯は補気を主として補血を兼ねたものです。気を補うときは芍薬の散寒はあってはいけないものです。血を補いますけれども、当帰の甘温を用い、地黄の甘寒は用いません。血を収めますけれども龍眼の甘温粘潤を用い、芍薬の酸寒は用いません。酸寒は気を補うことを碍げるためです。

ですからこの湯は、もともと心脾の二経の気分を補い、気がよく津血を生じて泄らすことがなく、血を心脾の本部に帰らせ集めるための要となる薬剤です。心を非常に深く配った妙方なのです。

補中益気湯と帰脾湯の弁別

補中益気湯と帰脾湯とは表裏となる剤です。これを燈盞(あかりうき)〔訳注:明かり皿〕の灯芯と油にたとえてその心を弁じてみましょう。

益気湯を投ずる症と帰脾湯を施す症とでは、脾陰と胃火とを弁別することが必要です。脾陰というのは脾が総べる陰血のことを言います。胃火とは何でしょうか。

胃は常に飲食を受納して水穀を消化している場所です。水穀を消化することができるのは、胃中の相火によるものです。これを指して胃火と名づけています。胃火の常のものは、水穀を消化する効能があるだけですが、もし胃火がひとたび昂ぶるときは、脾の陰血を乾かし枯れさせます。東垣(とうえん)〔訳注:李東垣:1,180年~1,251年:金元の四大家の一人で補土派の開祖〕は「火と元気とは並び立ちません」と述べています。かの益気湯の補気陽剤を用いて、疲れている元気を補助しようとすると、元気が旺んになるに従ってその虚火も自然に伏して、肺脾の両臓も安全〔訳注:安泰〕になります。胃火がまだ脾中に燃え入っておらず、脾血が乾いて枯れてはいないためです。明かり皿の油汁がまだ燥いてはいず、灯火の光がすでに弱くなっているようなものです。この時は油汁を足す必要はありません。ただその灯芯を引き出すと、灯火はふたたび輝いて全体が明るくなるようなものです。







帰脾湯の症は、心脾の元気が労〔訳注:心身の疲労〕によって傷られて、すでにその血液が損なわれているとき、胃火が盛んに脾に燃え入って、脾の陰血がますます乾き枯れるているものです。ですから帰脾湯を用いて気を補い血を養うことを兼ね、気血を二つとも充実させようとするわけです。たとえば明かり皿の油汁がすでになくなってきて、灯火の光もまた暗くなってきたような状態です。このとき、油汁を加えずにただ灯芯だけを引き出すと、火炎が反って明かり皿を焦がしてしまいます。油汁を加えて灯芯を引き出せば自然に安泰となります。

益気湯を用いるのは、油を足さずに灯芯だけを引き出すようなものです。〔訳注:帰脾湯の証のものに補中益気湯を投与すると〕胃火の邪盛に助けられて脾に燃え入り、陰血を乾燥させてしまいます。ここで帰脾湯を用いるということは、油を足して火を引き出すということと同じで、胃火の邪が脾を乾かす心配なしに元気が生じ、津血が潤って、虚火を自然に平伏させることができるわけです。

ただ薛立齊〔訳注:薛己(せつき):1486年~1558年〕だけがその妙に達し、この二方を用いて虚を助け危機を救い十全の効能をあげたのは、もっぱらここに理由があります。後世の庸医は愚かにもこの方意を理解できないまま安易に加減して、古人の方意を損なってしまうのはなぜなのでしょうか。

古方に神妙の効能〔訳注:素晴らしい効果〕があったとしても、今の世に効果があまりあがっていないのは、すべて庸医の誤りから出ており、古方の過ちなのではないということを理解しておいてください。



一元流
医学三蔵弁解 前ページ 次ページ