中焦穀府 第十八節 水穀分利




飲食物が胃に入ると脾がこれを消化し、その水穀はともに小腸に下り、小腸の下口で糟は別れて大腸に入り、水は別れて膀胱の上際に溜り肺気に化されて膀胱に滲み入ります。小腸の下口は膀胱の上際です。膀胱には下口があって上口はありません。上には汗空のような腠理があり、水液はここから注いで膀胱に滲み入ります。膀胱と小腸との間には二寸の空隙があり、闌門と名づけられています。水液はここに溜って、膀胱に注ぎます。肺は諸臓のもっとも上に位置し、膀胱は諸腑のもっとも下に位置します。肺と大腸とは表裏であり、腎と膀胱とは表裏ですが、膀胱は肺臓の腑ではありません。どうして膀胱の水液は肺気の化に従うのでしょうか。







《経脉別論》に『飲が胃に入り、精気を游溢させ、上に脾にめぐらします。脾気は精を散じて、上に肺に帰して水道を通調し、下に膀胱にめぐらして水精を四布させ、五行は並び行きます。』と述べられています。

飲水が胃に入って蒸されると、その水精の気は胃で薫じられて上に脾に浮遊湧溢します。脾気もまたその水精を散じて上に肺に帰させます。肺気はその水精をめぐらして、全身を潤しついには下って闌門に溜らせるわけです。飲水が胃に入って蒸されると、その水精は脾肺に行き闌門に下ります。その胃中の濁水は、上達することができません。胃から直接小腸に入り、闌門に溜ります。けれども、濁水であるため膀胱の腠理から滲み入ることができません。蒸されて脾肺に行き、闌門に下った清水は、中に上焦の陽気が化したものを含んでいるため、膀胱の腠理から滲み入ることができます。これに引かれ導かれて胃から直接小腸闌門へと下に流れたところの濁水もまた、膀胱に滲み入り小便として出るわけです。

もし気が升って下らず、あるいは胸の気が化されることがなければ、右〔訳注:に弁じたところ〕の肺気の化を兼ねて降るところの気水も下に降らず、小便が出なくなります。

水はもともと陰であり濁です。濁飲は鬱滞し、流行することができません。水が流行することができる理由は、坎中にある一陽の気にしたがって流れているわけです。もし水中に陽がなければ、何に従って流行するのでしょうか。ですから小便を通利させる五苓散には、肉桂という辛温の陽剤を用いているわけです。夏季に暴雨が多いのもまたこの理によるものです。



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