附録 営衛三焦 第八節 営衛五十度




営衛の運行が相火によるものであるということは右に弁じたとおりです。営衛の二気が昼夜五十回めぐるということは、天度を三百六十五度四分の一に分けるようなものです。蒼々たる天にどうしてこの度があるのでしょうか。

二十八宿の天の麗位から、聖人がその度を観てただ分けたものです。人の経脉の長さは十六丈二尺で、これを営衛が流行して五十回身体をめぐるということもまた、聖人がその経脉の長短を察し気血が五十回流行するという法を定められたものです。手の三陽の経は、その長さが五尺で、手の三陰の経はその長さが三尺五寸で、足の三陽の経はそれぞれ長さが十八尺で、足の三陰の経はその長さがそれぞれ六尺五寸で、両足の蹻脉は長さが七尺五寸です。督脉任脉の脉はそれぞれ四尺五寸で、六陰六陽の十二経と蹻脉とは、手足の左右に流れるため、左右合わせて十五丈三尺で、これに任脉督脉の九尺を合わせると全部で十六丈二尺あります。これを五十回めぐるということは、昼夜の間に営衛が八百十丈流れるということになります。

これは聖人が生まれながらその度を理解していて定めたものです。その運行する数を察するに、毫髪の差もないものです。上古の聖人が天を仰いで天文を観、宿度〔訳注:二十八宿〕を察し、天星の分紀〔訳注:星の位置〕を定め、日月の運行の法度〔訳注:法則〕を極められ、これに従って歳月日時の暦数を作られました。それが今に至るまで差がないということと同じように、聖人が定められたるところの営衛五十回の行数もまた差が出ることはないということがわかります。







ではその五十回の行度とは、何なのでしょうか。五十は大衍の数です。大衍の数とは、五行生成の数です。五行が始めて生ずる数を生といいます。五行の気が生じてその形を地にあらわす際に、土気を得て成就するものをすべて生数といいます。天一水を生じ、地二火を生じ、天三木を生じ、地四金を生じ、天五土を生じます。これが生数です。また天地の水が土の五の数を得て六に成ります。このようにして五行の生数すべてに土の五の数を兼ねて、火は七に成り、木は八に成り、金は九に成り、土は自ら成って成数もまた五です。

そもそも土は五行を成さしむる本ですので、五を積んで重となるには及びません〔訳注:土は五行を生成する本なので、五の成数を十とする必要はないということ〕。このことを生数を合わせると全部で十五、成数を合わせると全部で三十五、〔訳注:生成の数を全部〕合わせると五十。これを大衍の数といいます。これが天地の至数であり、万物はこの数から出ることはありません。ですから人身における営がめぐる回数も自らこれに合わせて五十回身体をめぐるわけです。この度数に過不及があるときは病とします。ではこの過不及と病とはどうやって候うのでしょうか。脉息〔訳注:脉と呼吸〕の動数でこれを察します。平人は常に脉動すること五道。これより増えるものは太過とし、減るものは不及とします。

脉の大過不及は、五十度の太過不及なのです。



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