あとがき




右に條條弁じたところの理によると、天地万物は尽く神に従うということになります。古人は「神は生の制であり、形は生の舎です」と述べています。制とは字書に「御」とされています。物を使うという意味で、御馬〔訳注:馬を御する〕という心です。生は形の内に舎ります。その生は神を御すものです。どうしてかというと、草木に花が咲き実り、人身に視聴や言動をなす、このすべてが神から発しているものです。けれども草木が枯れて生を失ってしまうと、花や実をつけることはできません。人身も命が絶え生を失ってしまうと、視聴や言動をすることができません。ということは、生は形に舎り、神は生に制御されているものだということです。

ただ、神は生に発し、生は神に因ります。ここにまちがいはありません。

天地は神を用いて万物を造化し、人は神を用いて生を保ちます。神は、陰陽の精粋にあります。人身における血気はすなわち陰陽です。このため血気は人身における神とします。先天の血気は心腎から生じます。後天の営衛は胃から発します。まことに心胃腎の三臓は、血気の根蒂、神の本源、生の始終です。

ですから私は、医道において常にこれを弁じ、初学者を開導誘棭(かいゆうどうえき)し〔訳注:教え導いて〕、さらには営衛の気象についても弁じています。医学のもっとも枢要なところです。けれどもこれを口授だけで伝えると、長い時間がたつと、その弁を失ったり、その理を少なからず誤ることになりかねません。ですから今、梓に刻ませて〔訳注:出版して〕後世に垂れ、永くこの道が絶えないようにしたいと思います。

  元禄十三年〔注:1700年〕 庚辰 秋八月 既に望

      帝畿書舎

          西村一郎右衛門 蔵版



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