第一章 三焦心包有名無形論
第五節 三焦は無形




さて後世に至ると、三焦を有形とする説がいろいろあります。







《霊枢・本臓篇》に、『密理厚皮(みつりこうひ)【原注:きめこまやかあつかわ】の者は三焦も厚く、麤理薄皮(そりこうひ)【原注:きめあらくかわうすき】の者は三焦も薄く、腠理が疎の者は三焦も緩く、皮が急で〔訳注:ひきつれていて〕剛毛がない者は三焦も急で、剛毛が美しくて(あら)い者は三焦も直く、剛毛が(まれ)な者は三焦も結ぼれています』と述べられています。

このことから明の馬玄台(ばげんだい)は、「三焦にこのように厚薄緩急直結があるのですから、明らかに形があるはずです。《難経》に有名無形とあるのは間違いでしょう。陳無択(ちんむたく)の《三因方(さんいんぽう)》をみると『三焦は手の大きさのような脂膜があり、膀胱の腑と相対しています。その脂膜の中から白い脉が二筋出ていて脊を挟んで上り、頭脳を貫きます』と述べられています。このことからも三焦に形があることは明らかでしょう。一挙子除道という者は、若いときから医者として病を治療することに思いを凝らしていました。ある年、(せい)の国の大飢饉だった頃、餓死して皮肉が衰えて骨脉が全て露われている人を見ました。右腎の下に膀胱と相対して、手の大きさのような脂膜があり、その中から白い脉が二筋出ていて、脊を挟んで上り、脳を貫いていました。これこそが《三因方》に述べられていた三焦であるとしています。ですから三焦に形があることは明らかでしょう」と述べています。

また虞天民(ぐてんみん)〔訳注:虞搏(ぐたん):一四三八年~一五一七年〕がその《正伝或問(せいでんわくもん)》で「三焦とは腔子(くうし)を指して言っています。その体は脂膜が腔子の内にあって、六臓五腑の外を包羅します」と述べています。また「人身の相火もまた腔子の内を遊行し肓膜(こうまく)の間を上下します。これに三焦と名づけています。腔子というのは栗のイガと皮との間のようなもので、人身における皮と肉の間のことです。肓とは栗の皮と肉【原注:み】との間のようなもので、人身における肉と臓腑との間のことです。膜というのは栗の渋皮のようなもので、肉と臓腑との間にある脂膜【原注:あぶらかは】です。この脂膜で諸臓諸腑を包羅しています。これを三焦と名づけています。」と述べています。ということはこれもまた三焦に形があるとしているものです。

また明の張介賓(ちょうかいひん)はその《類経》で、《三焦包絡命門弁》を展開し、三焦には形があるとしています。その形は、「人身における臓腑の外にある周肉の内面の赤色のものは何でしょうか。これが三焦です。この上中下三体を総べているため三と言い、ここが赤色で陽気に薫焦されている場所であるため焦と言います。右の虞天民の説は実に理に近いわけですけれども、三焦というひとつの脂膜を立てているのがよくありません。三焦として別に脂膜があるわけではありません。人身の肉の内面総てを三焦とします。陳無択や徐道等は、膀胱の傍らにある脂膜を三焦とするとしていますけれども、どうしてこれを三焦と名付けるのでしょうか。名義においてもまた昧いと思います。また《難経》に『名前はありますけれども形はありません』と述べられていますけれども、名前は必ず形に従ってつけられているものです。どうして名前だけで形のないものがあり得るでしょうか。」と述べられています。

右の諸説はすべて三焦には形があるとするものです。けれどもこれは《難経》の深義に至っているものではありませんし、医学の精微に到達しているものでもありません。心包三焦の無形の理について理解できなければ医療の深奥に通じることはできません。







三焦無形の理については、まず《八難》の『諸々の十二経脉はすべて、生気の原に係ります。いわゆる生気の原とは、十二経の根本のことで、腎間の動気のことを言います。これは五臓六腑の本であり、十二経脉の根であり、呼吸の門であり、三焦の原です。』と述べられている所と、《六十六難》の『臍下腎間の動気は、人の生命であり、十二経の根本です。ですからこれを名付けて原と呼んでいるわけです。三焦は原気の別使であり、三気を通行させて五臓六腑を経歴することを主ります。』と述べられていることから推し測るべきでしょう。

腎間の動気というのは両腎の間に根ざしているひとつの陽気です。【原注:坎中の陽です】これは私も人も資〔訳注:もと〕として生じた先天の元気です。天地の間では、冬至における来復の一陽が地下に根ざし、これがすべて元気〔訳注:の大本〕となって四季や万物を造化していきます。草木のようなものもその元気は根にあり、これは枝葉や果実に化していきます。人身における元気も、父から受けて臍下腎間に存在し、全身の生化の根本となります。これを名付けて原気と呼んでいるわけです。三焦はその原気の別使です。

別使とは何なのでしょうか。臍下腎間の陽気はそこにいるままでは生気の化をなすことができません。常に発して上下全身に往来運行して働かなければならないのです。その働くところを別使と呼んでいます。これが上下に往来通行して働くからこそ、血気が五十回もめぐり、一万三千百息の呼吸も出入し、水穀を飲食し、消化もし、大小便の通利もあるわけです。いやしくもこの原気の往来通行の働きに大過不及 遅速渋滞があるときは、諸病が必ずここから生じることとなります。臍下腎間の陽気が上下全身に運行しているこの気の働きを三焦と呼んでいるわけです。

三焦はただ気だけであって形がないものです。張介賓は形がないのに名前だけあるものは有り得ないと言いますけれども、夏の暑、冬の寒などは無形の気ですけれども、暑とか寒という名前があります。どうして名前があるからには形がなければならないと言うのでしょうか。心包三焦は無形の陽気の働きのことであり、形があるものではありません。







ということは、心包も三焦も同じようなものということになるわけなのですけれども、陽気が出てくる位置が異なります。膻中心の宮から出て臓腑全身に通じている陽気の徳用を心主とし、臍下腎間から出て上下全身を通行する陽気の働きを三焦と呼んでいるのです。虞天民や張介賓などは、三焦の通じる道に形があるということをみてこれを三焦の形としたわけです。たとえば、行灯(あんどん)の内を三段に張り分けて、その下の一重に火をともすと、その光が三重の行灯全体に満ちていきます。その本は一重の所に立っている一つの灯火から出た光です。その灯火を臍下腎間の動気とします。三重の方の行灯全体に満ちている光を三焦とします。このことから三焦が無形であって腎間の動気の別使であるということを工夫して〔訳注:考究して〕ください。

この光は無形ですけれども、その光が映るところには形があります。虞天民や張介賓はこの光が映ったところの形をそのまま、三焦の形と見たわけです。

三焦は下部の陽気が別れて働くものだということを理解していれば、肺は相傅(そうふ)の官で治節が出るということで、肺が全身の気化の総てを司り、肺から全身それぞれに気を配り布くということも明らかとなります。どうしてかというと、全身の陽気の化はもともと腎間にあるわけですけれども、その気が薫蒸して上るところは上の肺です。香炉の煙がもともとは炉の中の火から出ていても、立ち上って上の蓋を伝ってそこから香気が部屋中に満ちていくようなものです。腎間の陽気は炉の中の火です。その煙は三焦の気です。その蓋は肺です。ですから肺は気を統べ、ここからすべての気化を全身に配り布くものだということが明白になるわけです。三焦を形があるものだと見るとこのような理においても昧くなってしまいます。

馬玄台は、《本臓篇》の『皮膚腠理を外候とします』という言葉を有形の証拠としていますけれども、これは反って無形の証拠になります。どうしてかというと、全身に布き満ちている気を三焦としているわけですから、全身の腠理がそれを候うものとなるわけです。全身が厚ければ全身の気も厚く、全身が薄ければ全身の気も薄い道理です。

馬玄台も張介賓も虞天民も、光に気がつかずにただ行灯にだけ目がいっているために有形としてしまったわけです。







天には形があるのかというと、形はないものです。ただ一つの気が地水万物を囲んでいます。天文者などが天は鶏卵のようだというのは誤りです。天地の間は一つの気が満ちて囲んでいるもので、これが天地の三焦です。天地に充満している三焦の気と人身に充満している三焦の気とが一つになっているため、この小さな耳目だけで広大な〔訳注:宇宙を〕見聞きすることができるわけです。

《三十一難》に『三焦は水穀の道路で、気の終始するところです』と述べられていますがこれも、全身に通行して充満している気を三焦としているためです。三焦の気が向【原注:みはり】に出て飲食を通じさせ、これを消化し、これを排泄させているようなものです。

《八難》では先天の三焦のことを述べ、《三十一難》では後天の三焦のことを述べ、《六十六難》では原気の別使は三焦の本根であることを明らかにしています。今現在において、水穀によって生じた気は後天の元気であり、腎間の動気の別使である三焦の気は先天の元気です。先天と後天とが一つになって全身を養っているわけです。ですから《刺節真邪篇》に、『真気とは、天から受けた気と穀気とが併さって身体を充たしているものです』と述べられているわけです。

三焦は無形の元気です。他の臓腑のように形があってひとつづつ囲いがあるようなものではありません。その気の用〔訳注:機能〕は広大で、上下全身毫毛の先までもこれが及んでいないところはありません。ですから他にこれと同輩の〔訳注:同じ格の〕ものはありません。ただ三焦だけです。ですから《霊枢・本輸篇》では、三焦を孤の腑とし、《三十八難》では外の府としているのです。他にこれと同類のものがないためです。それなのに三焦を有形であると見てしまうと、医道に大きな相違が生ずることとなります。

三焦は元気であるとだけ心得ておけば、元気には形がないため無形の理についても自然に理解できます。ただ人身において要となるものは三焦です。ですから《六十六難》では『原というのは三焦の尊号です』と述べられているのです。三焦が正常であれば全身も正常で平安です。三焦が和していなければ諸邪がこれを犯し諸病はこれによって生じます。ですからこれを名付けて守邪の神とも呼んでいるわけです。

医道は三焦を眼目とします。病因を察し治療を行うに際してすべて、三焦ひとつを相手にしていることです。越人は深く医道の奥義に達して心主 三焦が無形であるということを明らかにしました。後学を導き医源を指南する恵みの実に大きなこと、これを過ぎるものがないほどです。けれども後人はこれを反って有形として医の教えを昏くしてしまいました。後学を惑わさせる失【原注:とが】はこれより大きなものはありません。有形の説に従う学者は必ず人を殺すこととなるでしょう。謹み恐れなければなりません。



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