さて後世に至ると、三焦を有形とする説がいろいろあります。
《霊枢・本臓篇》に、『
このことから明の
また
また明の
右の諸説はすべて三焦には形があるとするものです。けれどもこれは《難経》の深義に至っているものではありませんし、医学の精微に到達しているものでもありません。心包三焦の無形の理について理解できなければ医療の深奥に通じることはできません。
三焦無形の理については、まず《八難》の『諸々の十二経脉はすべて、生気の原に係ります。いわゆる生気の原とは、十二経の根本のことで、腎間の動気のことを言います。これは五臓六腑の本であり、十二経脉の根であり、呼吸の門であり、三焦の原です。』と述べられている所と、《六十六難》の『臍下腎間の動気は、人の生命であり、十二経の根本です。ですからこれを名付けて原と呼んでいるわけです。三焦は原気の別使であり、三気を通行させて五臓六腑を経歴することを主ります。』と述べられていることから推し測るべきでしょう。
腎間の動気というのは両腎の間に根ざしているひとつの陽気です。【原注:坎中の陽です】これは私も人も資〔訳注:もと〕として生じた先天の元気です。天地の間では、冬至における来復の一陽が地下に根ざし、これがすべて元気〔訳注:の大本〕となって四季や万物を造化していきます。草木のようなものもその元気は根にあり、これは枝葉や果実に化していきます。人身における元気も、父から受けて臍下腎間に存在し、全身の生化の根本となります。これを名付けて原気と呼んでいるわけです。三焦はその原気の別使です。
別使とは何なのでしょうか。臍下腎間の陽気はそこにいるままでは生気の化をなすことができません。常に発して上下全身に往来運行して働かなければならないのです。その働くところを別使と呼んでいます。これが上下に往来通行して働くからこそ、血気が五十回もめぐり、一万三千百息の呼吸も出入し、水穀を飲食し、消化もし、大小便の通利もあるわけです。いやしくもこの原気の往来通行の働きに大過不及 遅速渋滞があるときは、諸病が必ずここから生じることとなります。臍下腎間の陽気が上下全身に運行しているこの気の働きを三焦と呼んでいるわけです。
三焦はただ気だけであって形がないものです。張介賓は形がないのに名前だけあるものは有り得ないと言いますけれども、夏の暑、冬の寒などは無形の気ですけれども、暑とか寒という名前があります。どうして名前があるからには形がなければならないと言うのでしょうか。心包三焦は無形の陽気の働きのことであり、形があるものではありません。
ということは、心包も三焦も同じようなものということになるわけなのですけれども、陽気が出てくる位置が異なります。膻中心の宮から出て臓腑全身に通じている陽気の徳用を心主とし、臍下腎間から出て上下全身を通行する陽気の働きを三焦と呼んでいるのです。虞天民や張介賓などは、三焦の通じる道に形があるということをみてこれを三焦の形としたわけです。たとえば、
この光は無形ですけれども、その光が映るところには形があります。虞天民や張介賓はこの光が映ったところの形をそのまま、三焦の形と見たわけです。
三焦は下部の陽気が別れて働くものだということを理解していれば、肺は
馬玄台は、《本臓篇》の『皮膚腠理を外候とします』という言葉を有形の証拠としていますけれども、これは反って無形の証拠になります。どうしてかというと、全身に布き満ちている気を三焦としているわけですから、全身の腠理がそれを候うものとなるわけです。全身が厚ければ全身の気も厚く、全身が薄ければ全身の気も薄い道理です。
馬玄台も張介賓も虞天民も、光に気がつかずにただ行灯にだけ目がいっているために有形としてしまったわけです。
天には形があるのかというと、形はないものです。ただ一つの気が地水万物を囲んでいます。天文者などが天は鶏卵のようだというのは誤りです。天地の間は一つの気が満ちて囲んでいるもので、これが天地の三焦です。天地に充満している三焦の気と人身に充満している三焦の気とが一つになっているため、この小さな耳目だけで広大な〔訳注:宇宙を〕見聞きすることができるわけです。
《三十一難》に『三焦は水穀の道路で、気の終始するところです』と述べられていますがこれも、全身に通行して充満している気を三焦としているためです。三焦の気が向【原注:みはり】に出て飲食を通じさせ、これを消化し、これを排泄させているようなものです。
《八難》では先天の三焦のことを述べ、《三十一難》では後天の三焦のことを述べ、《六十六難》では原気の別使は三焦の本根であることを明らかにしています。今現在において、水穀によって生じた気は後天の元気であり、腎間の動気の別使である三焦の気は先天の元気です。先天と後天とが一つになって全身を養っているわけです。ですから《刺節真邪篇》に、『真気とは、天から受けた気と穀気とが併さって身体を充たしているものです』と述べられているわけです。
三焦は無形の元気です。他の臓腑のように形があってひとつづつ囲いがあるようなものではありません。その気の用〔訳注:機能〕は広大で、上下全身毫毛の先までもこれが及んでいないところはありません。ですから他にこれと同輩の〔訳注:同じ格の〕ものはありません。ただ三焦だけです。ですから《霊枢・本輸篇》では、三焦を孤の腑とし、《三十八難》では外の府としているのです。他にこれと同類のものがないためです。それなのに三焦を有形であると見てしまうと、医道に大きな相違が生ずることとなります。
三焦は元気であるとだけ心得ておけば、元気には形がないため無形の理についても自然に理解できます。ただ人身において要となるものは三焦です。ですから《六十六難》では『原というのは三焦の尊号です』と述べられているのです。三焦が正常であれば全身も正常で平安です。三焦が和していなければ諸邪がこれを犯し諸病はこれによって生じます。ですからこれを名付けて守邪の神とも呼んでいるわけです。
医道は三焦を眼目とします。病因を察し治療を行うに際してすべて、三焦ひとつを相手にしていることです。越人は深く医道の奥義に達して心主 三焦が無形であるということを明らかにしました。後学を導き医源を指南する恵みの実に大きなこと、これを過ぎるものがないほどです。けれども後人はこれを反って有形として医の教えを昏くしてしまいました。後学を惑わさせる失【原注:とが】はこれより大きなものはありません。有形の説に従う学者は必ず人を殺すこととなるでしょう。謹み恐れなければなりません。
| 医学切要指南 | 前ページ | 次ページ |