第一章 三焦心包有名無形論
第六節 腎・三焦・膀胱同気の論




門人が聞いて言いました。《霊枢・本輸篇》に『三焦は中瀆(ちゅうとく)の府で、水道が出ます。膀胱に属します。』と述べられています。経脉の配合は常に心主を臓とし三焦を腑として表裏で配合されています。どうして三焦と膀胱とを合わせているのでしょうか。また《本臓篇》でも『腎は三焦膀胱と合します』と述べられています。一説に、腎に二臓あり、左腎は膀胱に合し右腎は三焦に合するので、三焦を膀胱に属させて両方とも腎に合するとしているのだという説がありますけれども、この理論は正しいのでしょうか間違っているのでしょうか。







答えて言いました。これは臓腑の配合という意味ではありません。腎と膀胱と三焦とはその気がもともと相互に依存しあっていて同類だということです。《素問・霊蘭秘典論》に『三焦は決瀆(けっとく)の官で水道が出ます』と述べられています。決というのは通じるということであり、瀆というのは水道のことです。水は上焦から入り中焦で化されて下焦から出ますから、三焦は水気が通利する道路です。もし上焦が和していなければ水は上に(あふ)れ、中焦が和していなければ水は中宮に留まり、下焦が和していなければ水は二便を乱すこととなります。ですから水の通塞〔訳注:通じるか塞がるかという水の流れ〕は三焦の気化に従っているものなのです。このため三焦を決瀆の官とし水道が出るとしているわけです。《本輸篇》の中瀆とは、決瀆という言葉の伝写の誤りとするべきです。

全身の水源は腎です。膀胱は津液の腑です。三焦は決瀆の官です。この三者はその気が同じです。ですから経に、腎膀胱三焦を並べて述べているわけです。その表裏においては心主と三焦とが合通しています。後人の右腎と三焦が合通しているという説はまったく誤りです。



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