第十三章 五行論
第一節 相生




そもそも母が子を生じるとき、産んで捨て置くというのは母の道ではありません。これを養い育てることを母の道とします。ですから五行の相生もまた、ただ生じるだけではないわけです。生じてこれを養育し立てることが相生の道です。

一、木生火

先ず木が火を生じることでいうと〔訳注:どうでしょうか〕。

今、金石を撃ち叩くと速く火を生じ、木を揉んでいると遅く火が生じます。であれば、木が火を生じるよりも金が火を生じると言うべきなのではないでしょうか。それなのに木が火を生じると言うのはどうしてなのでしょう。

金石を撃って火を生じさせることがもっとも速いわけですけれども、その火はすぐに消滅してしまいます。これでは母が子を生み養育し立てる道とはなりません。木を揉んで生じた火は遅いですけれども、その火を草木につけておくといつまでも消えず保つことができます。世に用いられている油の灯芯はすべて草木です。まさに木から生じて木によって養われている火です。そのため、金が火を生じるとは言わずに、木が火を生じると言うわけです。

二、水生木

水が木を生じるというようなものも、土が木を生じると言うべきなのではないでしょうか。どうしてかというと、今、草木が生じる際、土に因らないものはありません。それなのに水が木を生じると言う理由はどこにあるのでしょうか。

そもそも今、草木が土に生じるものは、ただ土の力だけによるものではありません。水土は一体であって、土の中には必ず水を含み、その水によって草木が生じます。春の野辺を見ると、蒼々(あおあお)として草が生じていますけれども、人が往来している跡には草が生えません。これは土中に舎している水液が人の跡では踏み消されて、草を生じることができなくなっているものです。ということは、草木はもともと水に生じます。その草木を切って水中に浸して置くと、長いこと枯れません。これは母が子を生じて育てあげる道ではないでしょうか。

三、火生土

火が土を生じるというようなもの〔訳注:はどうでしょうか〕。

天地の間のあらゆる万物は、火によって消滅します。消滅するとすべて灰となり、灰の終わりはすべて土に帰します。

四、金生水

金が水を生じるというようなもの〔訳注:はどうでしょうか〕。

そもそも一切の始まりは終わりに帰します。水は万物の始めであり、土は万物の終わりです。ですから水土は一体であり、水は土の中に含蔵されます。けれどもその水は自ら湧き出ることはできません。必ず金石によって湧き出ます。どうしてかというと、土が堅く締まって石となり、石がまた堅く締まって金となりますので、土中に含まれている水液は金石によって堅く締められて〔訳注:はじめて〕絞り出されるものだからです。

たとえば器に水を入れ、その器の中に紙を丸めて投げ入れると、器の中の水はすべてその紙に吸い取られます。これが水土一体ということです。またその紙を取り上げて手で絞りかためると、紙の中の水は尽く流れ出します。これが金は水を生じるということです。ですから、水は金に生じるものであることは明らかです。

けれどもその水を器の中に長いこと入れ続けていると必ず穢濁して腐った水になります。もしその器の底に土石を敷いて貯めておけば、水は長いこと腐りません。このことから、水は金に生じ、金によって養われるということがわかります。

五、土生金

土が金を生じること〔訳注:はどうでしょうか〕。

右に弁じたように、土が締まって石となり、石がさらに締まって金となります。その金が土石の中にある際には、次第に蔓を伝わって生々して尽きず腐りません。これもまた母が子を生じ養いあげる道を得たものです。

門人が聞いて言いました。師が言われる相生が母子の道であることは明らかです。けれども右の、火が土を生じるということについてはまだ明確ではない気がします。今一度このことを明確に聞かせてください。

答えて言いました。あなたは、万物すべてが火によって滅ぼされるということを知らないのでしょうか。石のようなものでも火で砕け、金はもとより火で溶かされます。ただ土だけが火によって消滅させられることがないものです。これは、母は子を滋養することを道とし、母がその子を殺すことはないため、万物すべてが火によって消滅させられても、ただ土だけが火によって消滅させられないのです。このことからも火が土を生じるという母子の道の理を明確に理解できるでしょう。



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