第十六章 仲景傷寒方論の弁
第二節 陰症陽症




傷寒には陰症と陽症の区別があります。陽症は即病不即病にともにあり、陰症は即病だけにあって不即病にはありません。

秋冬の間、寒に感じて鬱熱を生じ、その熱邪が表裏陰陽の経に伝わったものをすべて陽症と名づけます。秋冬の間、寒に感じてその寒邪が初めから直接三陰の経に(あた)り、鬱熱に至ることなしに寒のまま発し、内外冷え抜いて寒症だけがあり一毫も熱症がないものを、直中の陰症とします。また寒邪がその初めは太陽経に中っても、鬱熱をなす間もなくすぐに三陰の経に入り、内外冷え抜いて寒症だけがあり一毫も熱症がないものを、即入の陰症とします。この直中即入の陰症の傷寒は、季秋〔訳注:秋のすえ:晩秋〕から孟春〔訳注:春の初め〕までの間あります。春夏の温熱病にはこの陰症はありません。

春夏の不即病はすべて鬱熱の邪によるもので陽症だけです。もし春夏の間にこの寒症となるものは、中寒と名づけられています。中寒という名前は丹渓から始まっています。この名前が一度出て以来、庸医は即病の直中即入の傷寒陰症を見ても名づけて中寒と誤って呼んでいます。秋冬の間にこの寒症があれば、陰症の傷寒と言うべきです。春夏の間にこの寒症があれば、中寒の症と呼ぶべきです。この呼び名は正さなければなりません。

また即病も不即病もともに陽症の熱邪が深く裏に入った時には、手足が反って厥冷し脉は沈遅で大便自利し、陰症の寒症に似ていることがあります。これは真の陰症寒症ではありません。火が極まって水に似、陽が極まって陰に似たもので、実は極熱のものが反ってこうなったものです。

私は一人の婦人の治療をしました。傷寒の正陽明症です。手足が厥冷し脉は沈遅で大便自利し、もう絶〔訳注:死〕に近いものでした。諸医はすべて辞して退いていました。病家は彷徨して私を招いて治療を頼まれました。私が蒼朮白虎湯を投じたところ、すぐに手足が温かくなり脉が出て大便自利が止まり、後調補して、完全に治りました。

このように厥冷と自利には陰陽の両症があります。陽症の厥は熱邪が裏に入った時、陽気もともに裏に閉じ込められて、手足が冷えるものです。瘧熱が裏に閉じ込められて、外寒して慄えが出るといった類のものです。また熱邪が裏に入って胃の気を攻めるので、大便自利となります。陰症の厥は、寒邪が直接陽気を撃ち、冷えと自利になります。ですから、陽症の厥冷自利と陰症の厥冷自利とでは氷と炭のように違い、その治法も大きく異なります。







近世の医師は、傷寒における陰陽二症を誤り、熱邪が三陽経にあるものを見て陽症と呼び、熱邪が三陰経にあるものを見て陰症と呼んでいます。およそ傷寒の鬱熱の邪が三陰経にあるものは重症とは言えず、必ずしも陰症とは言えません。熱邪が三陽経にあるものは表証と言うべきです。陽症と言ってはいけません。

陽症というのは、三陰経にあっても三陽経にあっても、熱邪によるものの症状を総じて名づけているものと理解してください。右に弁じた直中即入の内外ともに冷え切った寒症の他は、陰症という名前を付けてはいけません。たとえ陽症の熱邪が裏に深く入り、手足が厥冷し脉が沈遅となったとしても陰症と言ってはいけません。ただ陽症の裏症と言うべきです。

また京師の医の多くは傷寒を時疫と誤って目を付けて呼んでいます。時疫というものは四季の不正の気に感じて病むもので、傷寒とは異なり別の症です。けれどもその鬱熱の邪が陰陽の経に伝わるのは、たいていの傷寒と同じです。同じですけれども、傷寒と時疫とを一括りにして、傷寒に時疫と名づけて呼ぶことは、大きな間違いです。



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