第十九章 補中加風剤の論




脾は至陰で湿土です。胃の気は陽気です。ですから胃が虚すると自然に中焦に湿ができ、胃腸の気がこれに押さえられてますます起発する〔訳注:元気にその機能を発揮する〕ことができなくなります。ですから中を補う六君子湯に半夏茯苓が入っており、四君子湯にもまた茯苓を用いているのはこのためです。

補中益気湯や四君子湯 六君子湯などを用いて、補中の効能が現れにくいときは、剤中に風剤を一二味加えてその湿を発すると、胃腸の気はよく升達します。【原注:風剤とは羌活・防風の類】







これは私の臆見ではありません。東垣の脾胃論の奥旨です。これはただ補中だけではなく、あらゆる湿を治療する際に心得るべきことです。たとえば湿のある人家で、戸や障子を開けて風を通すと、その湿が自然に除かれるようなものです。鄭中の学孟の痰火(せん)門をみると。万暦乙巳の年〔訳注:1603年〕、世の中に瘟疫が非常にはやり、一人の疫疾に、医者は薬を用いて大いに下したところ泄瀉が止まらなくなり、とうとう食が咽を下らなくなり、非常に危険な状態になりました。その舅が医者の用いていた薬を持って孟に会い、孟がその薬を開けてみたところ五苓散でした。孟はすぐにその剤の中に薬味二品を加えて投与しました。これを煎じると、一服ですぐに泄瀉が止まり、次の朝には薄い粥を食べることができるようになって、徐々に治っていきました。十日ほど後、友人がやってきてその加えた薬について聞いたところ、孟は「羌活五分と防風一銭を加えたんだ」と答えました。彼がまだわからずにいると、孟は「あなたは見たことがないのでしょうか。奥の部屋の湿地は、太陽を受けなければどうやってその湿を燥かしますか。必ず戸を開いて窓を開け、風を入れることによって初めて燥いていきます。羌活 防風は風薬です。《内経》にいうところの風は湿に勝つというのがこれです。五苓散はただよく湿を泄らすだけで燥かすことはできないのです」と言いました。その友人は拝して去り、その言葉について考え、実に医薬の切要は加減にこそあるのだ〔訳注:と思い至ったということです〕。

許学士〔訳注:許叔微:許知可:1079年~1154年〕は「私は仲景の書を(この)んで読み、その心を知りました。けれどもまだその処方のすべてを用いてはいません。」と述べています。医療の要は言葉にしにくいものです。執滞して一概に古方だけを用いてもいけませんし、古方は今には合わないということで一概に新製の剤だけを用いるのもまたいけません。古方であれ新方であれそのよろしきに従い、あれを用いこれを用いて古人の心をとり自身の心を活変たらしめて、あるいは加えあるいは減らして、その製法を詳審し〔訳注:よく理解し〕、反佐〔訳注:正治とは反する治療法:真寒仮熱 仮寒真熱などの場合に用いる:後世 攻補兼施や寒薬と熱薬とを併用して用いる場合に反佐と名付けた〕や因用〔訳注:正治の熱因寒用 寒因熱用および反佐の熱因熱用 寒因寒用を包括して因用という:病因に対する薬の用い方〕をよく理解して治療すれば、治らない病などありません。

《古今医統大全》〔訳注:徐春甫著:十六世紀中期〕に「古方に執して治療をすることを、拘泥すると言います。古方を捨てて治療することを、(さく)〔訳注:穿つ〕と言います。泥であれ鑿であれ、相方ともにいけません。ただそのよろしきに従い、活発に増減してこれを用いるのです。いわゆる変にしてこれを裁くものは通にあり、ということです。云々」と述べられています。

近世の医家には風技があり、一概に姜桂附の温補だけを用いたり、一概に参耆の海制だけを用いたり、一概に当帰地黄の滋潤だけを用いたり、一概に中を補い胃脘を順する剤だけを用いたり、一概に苦寒降沈の瀉剤だけを用いています。このようなものは右に言うところの泥するものなのではないでしょうか。寒温補瀉升降を並び用いて、一途ではない〔訳注:一方向に偏ることのない〕者を良医と言います。







 正徳四年〔訳注:1714年〕 甲午 正月吉旦

 操筆 於 洛下摂生堂 畢

 一得翁 一抱子 これを述べる

 京師姉小路通り堀川東へ入る町

   書林 中川茂兵衛 蔵板

   西村一郎右衛門



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