腎間の動気





気はその存在する部位に従って、営気・衛気・宗気・元気〔注:腎間の動気〕の四種類の名称を与えられています。そこに気の濃淡や性格の違いを見ていったわけです。

営気と衛気とは一体となって身体を守るもので、営衛とも呼ばれています。

宗気は呼吸を通じて天気を身体の中に採り入れ、飲食物の精華である営衛の気と合して全身の気の大元となったものを言います。

元気は、精と結びついて生命力の大本となっているものです。意識を用いて丹田を鍛えるということは、根本の生命力を強くすることにつながります。






《霊枢・経脉》に、『人の生は、精を形成することから先づ始まります。精が形成されて脳髄が生じます。』とあり、《霊枢・決気》には、『両神が互いに出会うことによって合して形が形成されます。常に身体の生命に先んずるものを精と呼びます。』とあります。

精は基本的には先天的に生ずる生命そのものの根源となるものであるということが示されているわけです。

この精を涵養するためにはどうすればいいのでしょうか。直接的には精を出さないことが大切です。

また精は生命力のもっとも基本的な物質ですので、身心が充実していくに従って、五臓六腑の余力が腎に蓄積されていくのであると考えられます。これが腎は精を蔵するということの意味です。

このような生命力の中心としての腎の重要性について、《難経・八難》では『腎間の動気・生気の原・守邪の神』と呼んで尊崇しています。






人の身体はそのそもそもの始まりは両精の合するところからおき、それが生長するにしたがって、内に精が生じて身体を構成する大本となりました。そして、この精の充実に従って、身体は発育し、ついには、内から、精を発するほどの力を蓄えていきます。

その力の高揚によって、人は自己を越えて他者と出会い、交わり、子孫を設けることができるようになります。

そして、年をとると、『年をとって子供ができるとしても、男性は六四才を超えることはなく、女性は四九才を超えることはありません。天地の精気が尽きてしまうためです。』《素問・上古天真論》という事態となります。

精の盛衰が一生に大きな影響を与えるわけです。

このため、精を守るということが、長命久視を願う道家の大きな目標となりました。






精は、身体を支える基本的な物質ですから、これが少なくなると、器が虚すことになり、さまざまな病気の原因になります。けれども、精は生命力の余力からできているものなので、それを簡単に充実させることはできません。いわば、日々の生命活動を支えている資産のようなものです。

精の不足による病気ということを考えるとき、基本的には老化によって起こる病と慢性消耗性疾患と呼ばれているものの多くがここに入ります。老化とは、精の不足を別の言葉で述べているものです。











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