四方と中央





存在を規定するものは、時間と空間です。これを宇〔注:空間という意味〕宙〔注:時間という意味〕と呼びます。「四季と土用」の項目で時間の問題を語りましたが、ここでは、空間の問題を語ります。すなわち方位、東西南北ですね。東は肝・西は肺・南は心・北は腎に配当され、脾は中央に配当されています。

宇宙がそろったところでこれをどのようなイメージで把えるのかということが問題となります。




肝は、春と東に配当されています。春という季節は、若芽がうずうずと生まれ出る時期で、虫たちも活動を始めます。生命の動き始める季節であり、気持ちが明るく華やかになります。その反面、若い芽は柔らかく、繊細で、摘まれるとすぐに枯れてしまう弱さももっています。東は陽の昇る方向です。朝陽が差し込む時間帯です。この時期に、肝気が盛になるということは、身心を柔らかくしなやかに保つということが、肝気を養うポイントになるということが理解できるでしょう。

心は、夏と南に配当されています。夏という季節は万物がその存在を主張して豊かに繁茂する時期です。陽気がいよいよ盛になり生命が横溢する時期です。樹々も繁茂し強い陽射しが大地を焦がします。南は湿熱の地であり、太陽が天空にある時間帯です。この時期に心が盛になるということは、身心を元気に気持ちよく活動させるということが、心気を養うポイントになるということが理解できるでしょう。

肺は、秋と西に配当されています。秋という季節は陽気が衰えて草木が枯れ始め、生命が縮こまってくる時期です。陽が落ち行く夕暮れの寂しさがあります。大いに盛になった生命を整理して身の丈を知る時期であるとも言えるでしょう。この時期に肺が盛になるということは、身を修め、自身の器の小ささを受け入れて生きるということが、肺気を養うポイントになるということが理解できるでしょう。

腎は、冬と北に配当されています。冬という季節は大地も固くその身を閉ざし、小さな穴倉にこもるような感じです。深い夜の深い眠りが必要です。この時期に腎が盛になるということは、身心の活動を休めるということが、腎気を養うポイントになるということが理解できるでしょう。

脾は、土用と中央に配当されています。すべての季節、すべての時間帯、すべての人生において、飲食物を摂取し排泄するという基本的な作業がその生命をつないでいきます。生命ある限り、脾はその中心としての役割を担います。他の四臓が健やかに活動すること、すなわち四季の変化に寄り添うように生きることが、脾気を養うポイントになるということが理解できるでしょう。

さらに言えば、脾は他の四臓のように陰陽が偏るところがなく、まるで、四本の手を持つ秤の支点のようです。狂いなくしっかりとした脾気があれば、他の四臓のバランスが多少乱れても回復することはできますが、脾気が弱ければさまざまなアンバランスを生じやすくなります。




空間と時間に五臓を配当し、それを解釈していく中から、五臓が機械的な並列関係ではないということが理解されたと思います。五臓というものは、活き活きとした表情のあるものなのですね。

この表情について、これからいま少し掘り下げていくことにします。









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