東条英機の闘い

東条英機の闘い




大東亜戦争を責任者として戦い抜き、敗戦後自殺するも、米軍によって助けられ生き恥をさらすこととなる。しかしその後。東京裁判の欺瞞を暴くために見事に孤高の戦いを続けた偉大なる人物、東条英機の実態はいかなるものであったのか。

彼の愚直なまでの生真面目さを見せ付けられると、国内的には平和な環境で生活することを許されている現代の平和ボケした頭で大東亜戦争を裁き、東条英機の思いを知りもせずに嫌悪していた自分自身に対して、堪えきれない恥ずかしさを覚える。

東条英機は、東京裁判に備えて多くのメモを残している。彼が裁判のために準備した想定問答集をここに収録する。父祖が大東亜戦争をいかなるものとして戦ったのかという意思が、ここに現わされている。









質問  日清・日露戦争から満州・支那事変そして太平洋戦争まで、日本は常に自衛の名を借りているのは、常套手段ではないのか

答   断じて違う。外圧によって防衛の必要上起こった結果である。日本が自衛に名を借りるのは常套手段と決めつけるのは、世界の指導者が東亜の実情を知らぬために誤った見方をしているか、東亜の民族国家に同情がない偏見である。

東亜は過去数世紀にわたってロシアを含む欧米列強の侵略と、今世紀になってソ連の東亜赤化戦略にあい、日本は日本自体と東亜の民族国家全体のため、それら侵略に対して防衛する必要があった。そのために自衛措置を頻発させたのである。よってきたる原因は外部の圧迫にあり、自ら求めたものではない。






質問  あなたは太平洋戦争の日本の責任者として、その体験に基づき世界平和の招来に関してどんな所感を持っているか。

答   人類として国家として、世界平和を強く望むのは当然である。どの国家もそれを崇高な理想とすべきである。戦争は敗者、勝者を問わず悲惨な結果に終わることは明らかで、国民の不幸はこれより大なるものはない。ゆえに為政者は極力これを避けるべきである。

そうできないのは欲、うぬぼれ、誤解である。人間にとっても国家間にとっても同じことは歴史を見るまでもなく明らかである。太平洋戦争でも同じであった。欲とうぬぼれは我々もあなた方も勇気を持って反省し、自制すべきである。誤解は虚心坦懐、円満に了解に達するよう互いに一層の努力をするべきだ。こうすることによって真の世界平和が望めると深く感じた。






質問  あなたは戦争指導上の体験から日本の敗戦の原因をどう考察するか。

  1. 総括的には、日本は物心両面の総合威力が敵に比べて劣っていた。さらに要約すれば、攻略上も戦略上も国内指導上も敵側にくらべ下手だったことが多かった。
  2. 攻略上では、支那事変の早期終結に失敗したこと。大東亜十億の民心を把握し、これを戦争完遂に結集できなかったこと。すなわち、戦局の不利が原因したことと現地軍民が原住民の人心把握に対する注意徹底を欠いたことである。日独伊の三国家間の政戦略に一致を欠き、有機的に効果を発揮できなかったこと。とくに日本から見ると独ソ開戦の結果、当初希望していたようにソ連を(三国)同盟側に抱き込むことができなかったこと。日本が戦局の有利なうちに終戦に導く機会をつかめなかったこと。
  3. 戦略上では、ミッドウェー海戦の惨敗で海軍力とくに海洋航空力に致命的な打撃をこうむったにもかかわらず、その後の作戦指導が即応して断固とした修正ができなかったこと。陸海軍ともに、昭和十七年夏、有利に展開している戦局に幻惑され、当初の戦争指導にそむいて軽挙に攻勢終末点を越え、積極追撃作戦に移ってしまい、持久態勢への転換の機会を失った。そのためその後の作戦が後手後手に陥ったこと。現代戦での航空力への正確な見通しと、果断なる改編措置を欠いていたこと。電探(レーダー)、無線、原子爆弾及び航空機などに対する技術的、生産的な劣勢の結果、前項の航空機の立ち後れとあいまって、日本特有の精神的作戦要素が封じられたこと。陸海軍の統帥において、統帥上の統一と協調を欠き、総合力を十分に発揮できなかったこと。日独伊の作戦協力が地域的にも離れており、なんら見るべきものがなかったこと。
  4. 国内指導上では、統帥が国務の圏外にあり、政治力をもってこれを統御できなかったこと。つまり、統帥と国務が不一致だったこと。統帥が陸海軍に確然と二分され、往々にして各部門の対立抗争が絶えなかったこと。政治上層部の不一致は統帥に対する不信とあいまって国民の戦争完遂に対する足並みを乱したこと。そうして戦前、戦中を通じて敵側の謀略、宣伝に災いされたところが多い。資源の不足、運輸能力の弱さ、生産設備の不統制などにより軍需生産が軍の膨大なる要求に応じられなかったこと。





質問  昭和十六年十二月に米国大統領より天皇に送られた親電によって戦争は回避できたのではないか。

答   否、回避できず。日本の政治情勢に混乱が生じることはあっても、米国の態度が緩和されない以上、戦争回避は不可能だった。とくに親電の到着は海軍の機動部隊が攻撃開始時期に入っていたと想像できるので、同じことである






東京裁判のあり方に対して、東条英機は非常に怒っている。




世界大戦が勃発するには、それ相当の歴史的に根深い原因があるのであって、戦争責任を一方の指導者にかぶせ、国際法上外交上の開戦責任を論じても、戦争の本質的原因を究明することはできない。一方の国だけが犯罪として戦争を起こすことはあり得ないし、一方が百パーセント侵略的で他方が百パーセント平和的だとする主張は問題がある。戦争の本質的原因は謙虚に歴史的に反省し、根深い歴史的矛盾まで掘り下げなければ、正しく把握することはできない。

連合国によるこの裁判が清明公正にして謙虚な自己反省を欠けば、それは単に”勝てば官軍”、”力が正義”という過ちを犯すだけであって百害あって一利なしである。

文明という人道の原則を身につけているのが自国のみだとする考え方が、思い上がった世界の警察官気取りであって、それこそが今回の大戦を惹起させた一大要因だ。

ドイツ人が民族の優越性を説き、日本が神国であることを自負することが致命的な過誤ならば、一民族が文明と人道の代表と任じることも過誤ではないのか。

欧米が人道、人権、自由、平等、法の支配などを唱え”民族主義の世紀”といっていた十九世紀は、アジア人にとって欧米による”アジア隷属化の世紀”ではなかったのか。

欧米が資本主義と世界経済によって文明と繁栄を享受したといっても、その陰には原料生産地及び製品市場として植民地もしくは半植民地としての地位を強いられ、愚民政策によって民族意識を抑圧されたアジア、アフリカの十数億の有色人種の隷属があったことを忘れてはならない。

正義、人道やキリスト教精神とは逆に、あらゆる武力征服、残虐非道、黒人奴隷、苦力の売買、阿片戦争や南ア戦争の暴挙、インドでの略奪と暴挙・・・・・・・・・・を行ったのは欧米である。






第一次大戦後の”ヴェルサイユ平和会議”で日本代表が”人種平等の原則”を唱えたとき、英、豪、米の代表がそれを抹殺した経緯を思い出してみよ。

アメリカは極めて露骨な日本人排斥運動を行ったではないか。それは明らかな人種差別であった。そして一九二四年には(日本は自発的にアメリカへの移民を抑制するという)紳士協定(一九〇七年制定)を破って一方的に日本人排斥法を成立させたことは、自ら標榜している国際協定の神聖すら蹂躙している。このような有色人種に対する”人種的帝国主義””人種的ファシズム”を改めないで、何が文明と人道の原則なのか。

文明は各民族の個性の上に繁栄する。一民族が他民族の文化を抹殺し、他民族を再教育しようとすることは、世界の警察官気質であって反感と嫌悪感を刺激するだけだ。

戦時の不法残虐行為は痛憤すべきことだが、連合国といえども無罪というわけにはいかない。日本人が犯した犯罪は裁かれるのは当然だが、文明と人道、法と正義は同時に同じ罪を犯した連合国の人への裁判を要求するものである。

かつて日本軍が南京を爆撃した際、米国は”法と人道の原則に反する言語道断の行為”と痛烈に非難した。では、その後、米空軍が日本の都市に行った絨毯爆撃、とくに原子爆弾による爆撃は、報復の範囲をはるかに超えた未曾有の暴虐行為であるといわざるを得ない。それなのに文明と人道の原則を東京裁判の法基準にすると主張することは、とうてい承服できるものではない。






大東亜戦争の根本原因は歴史的矛盾の累積ではあるが、最たる直接の原因は、世界経済の構造変化によって起こった世界恐慌のなかで、持てる国が経済的国家主義、排他主義による資源封鎖の経済戦略を行ったために、持たざる国が窮地に追い込まれ、資源獲得を実力(武力)でせざるを得なかったことにある。

ルーズベルト大統領は”ニューディール政策”で、アメリカの過剰な遊休生産設備と失業とを完全就業させ、国民の生活水準を維持しようとした。ところが、それは軍需工業を活気づけたが、同時に軍備拡張をも引き起こした。

アメリカ国民の完全就業のためには全世界をアメリカのための市場とする必要があり、とりわけ支那やアジアの意味が重要になった。ここに最も真実のある戦争目的があった。






欧米列強の無制限な世界征服時代、日本は一六三六年以来ニ世紀にわたって鎖国を続けていた。一八五四年、黒船の威圧下に開国をした。当時、露、英、仏、米などの世界征服はシベリヤ、満州、インド、東南アジア、南太平洋、支那を圧しており、やがて日本にも迫ってき、列強の野望の前に累卵の危機に瀕していた。そのような事態に直面し、日本は封建幕府政治を清算して近代統一国家になる。初めて国際社会の一員になった。列強が帝国主義的世界分割によって広大な領地ないし植民地を獲得している間に、日本は貧しき国土と資源を擁し孤立していた。日本も列強に不平等条約を強要され、治外法権を容認させられ関税自主権を否定されていた。いいかえれば、国土の安全も経済上の生存も、人種の平等も進歩した科学技術にも恵まれず国際社会の一員になったようなものだ。

日本の国際的地位における根本的難点は、日本がいち早く近代的統一国家の体制を整え、欧米列強に肩を並べようとしたのに対し、支那はなんらの自覚もなく半封建的体制のまま易々と列強の半植民地に陥ってしまったことに依存する。そのような支那を隣国に持って、支那を舞台に列強の錯雑する勢力関係の前では、日本の安全と生存をはかろうとすることは至難の業であった。不幸な日支紛争はこのような歴史的矛盾に最も深い禍根を持っていた。このことを考えずに東亜問題は理解できない。






大陸問題は日本の内外政策の出発点であり帰着点でもあった。日本にとって国土の安全と国民生存のための生命線であった。しかし、列強の半植民地で混乱と無秩序の支那を隣国とした日本の立場は宿命的な矛盾でもあった。支那の領土保全と統一、強固となった支那との和協提携は、日本の念願であった。分割され混乱している支那は、日本の安全の脅威になる。

日本が根本的に東亜の保全と日支の協力を求めていながら、欧米といっしょになって支那に対して侵略行動に出た矛盾。

列強に人種平等を要求している日本が、支那から列強とともに不平等条約を享受していた矛盾。

日本の国防上、経済上の必要から生じた大陸政策が、半植民地、半封建状態を脱却しようとしている中国の民族主義と相克したこと。

欧米列強の支那侵略は、金融経済力によって軋みを起こさずに侵略したのに、日本は金融経済力がないため軍事的政治工作を採り、軋みを立ててしまったこと。

これらは根本に日本経済の脆弱性と後進性、国際政治における経済の未熟さに基因していた。






参考 《東条英機封印された真実》佐藤早苗著  講談社

2000年3月9日

忠君愛国 遺書