歴史学と歴史解釈学




次に演壇に立たれたのが、古典研究者の加地伸行氏でした。氏は十三年前、ちょうど日中共同声明が出され中華民国と断交したその時期に、台湾に留学されたそうです。

氏は、中国や韓国は国益という立場から日本批判をしているのであるから、その行為自体は政府として当然のことなのであると語られました。ただ問題なのは、日本の外務省が国益という立場からそれに受け答えるべきはずなのに、それができないいるということであると。これはほんとうに困ったものですね。

加地伸行氏


加地氏は、中国には歴史学というものと歴史解釈学というものとがあったと述べておられます。中国古典学とは、紀元前二世紀に書かれた司馬遷の史記に代表されるものです。しかしそれは、司馬遷以降は大きくその意義が変化していったそうです。

その理由は、漢以降、多くの王朝が盛衰する中で、自国の正当性を証明するものとして歴史が書かれたことにゆえんしているそうです。王朝の交代は実は戦争によってむりやりなされたものなのですが、成立した王朝は、前の王朝が滅びるべくしてほろんだものであり、自分たちは興るべくして興ったのであるという、その正当性を述べるために、前の王朝の「滅びの歴史」を書き残すということを常としたということで、これを「正史」と呼んでいるそうです。

膨大な資料の中から、自分にとって都合の悪い物を取り除き、都合のよい物を取り上げて編纂した、それが正史です。このような、歴代王朝によって書かれた正史以外のもの、研究家が独自に編纂したようなものは、これを「野史」と呼んで、卑しんだということです。

この同じ発想が現代中国にも残されており、現在、中華民国史が編纂されていということでした。ということは、それ以外の民族、たとえば、日本人が編纂した歴史などは、正史によらないものなので、野史ということになります。野史というのはそのそもそもが間違いであるということが、彼らの大切な価値観なのですから、歴史において、彼らが妥協するということはそのそもそもにおいてあり得ないことなのだと、解説されていました。彼らの教科書はそういう意味で、いわば正史として考えられるのですね。


さらに、中国人はその歴史を尊重する上でもう一つ、歴史解釈学という物を作りました。「春秋」がそれで、歴史的な事実に対して、それが道義(礼)に基づいているものであるかどうかを問題とする学問です。つまり、事実に対して価値を与えていくわけですね。しかしこれが、歴史の勝手解釈に陥ることも多く、そのような学問的な堕落を、春秋の筆法と呼んでいるということです。

現代中国は、このように伝統的に「歴史」というものを活用する術を心得ており、その伝統に従って、他国に自身の正当性を押しつけていると考えられるわけです。

このような方法論は実は、自国の歴史家の研究を圧迫し、言論弾圧や学問の発展を歪めているのですが、中国政府はいまだにそのような方法をとらざるを得ないのであると、話を結んでおられました。


加地伸行氏の易の研究書は私も好んで読んでおりまして、その書物が明晰であるように、その語り口も明るく迫力のあるものでした。

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知一庵