教科書問題の歴史と展望




最後に話されたのが、本日司会もつとめられた高森明勅氏でした。


氏はまず、田中真紀子外務大臣がしきりに言われていた、「世代の問題」という発言を批判しています。この発言は、大臣よりも上の世代は「過去を美化したい」という間違った欲望にとらわれており、大臣よりも若い世代はそういったものを持っていない、という意味でしょう。しかし、それは違うということを、具体的な事例で指し示されていました。

たとえば、シンポジウムにも若い人がかなり参加している。会員の構成も、40代以下の会員の数が、年齢がわかっているだけでも3000人以上いる、ということでした。氏は、つくる会反対派として活躍している人の方がご高齢であることが多く、討論の際の論争相手で高森氏よりも若い人はいなかったと証言されていました。

また氏は、「つくる会」に対する支持の高さを、世論調査をかりて述べておられました。世論調査で「つくる会」は、20数%の支持を集めているのですが、この数字をどう見るか。これは、「マスコミの情報操作の中でこれだけの数の支持者がある。他の人々は、今までの教科書やつくる会の中身を知らない。中国や韓国の教科書の中身を知らない人が、マスコミのスキャンダラスな情報操作にのって反対の方向に票を投じているという構図があると思われる。ですから、つくる会の支持は非常に頼もしいものであるのに比較して、確信をもってつくる会に反対している人の数は実はほんの僅かなのではないか。」と述べ、「つくる会」が、多くの国民に確信を持って支持されていることを強調されました。

高森明勅氏



教科書問題をめぐる経過



次いで氏は、教科書問題の経過を以下のようにまとめられました。

【昭和51年】

教科書誤報事件:文部省の検定で、検定教科書には侵略と書いてあったものを進出に書き換える指導を受けた、という誤報事件。朝日新聞に発するその誤報で、中韓両国が抗議をしてきた。「そういう事実は全くなかったにもかかわらず」鈴木善幸内閣当時の官房長官、宮沢喜一氏によって、官房長官談話が発表された。その時、鈴木善幸首相は、中国に飛んでいってケ小平首相に謝罪までした。これが中韓に対する謝罪外交の幕開けであった。事実に立脚しない謝罪という形式が、その後も踏襲されることになった。

【昭和57年】

検定基準に、「近隣諸国条項」が追加される。これは、日本の歴史教育において、アジアの国際協調と国際理解に配慮した記述をしなければいけないという条項であり、日本の教科書への諸外国からの介入を招いて今に至っている。

【昭和61年】

「新編日本史」という、民間の発意に基づく教科書が編纂された。しかしこの教科書は、「復古調の教科書が現れた」という朝日新聞による大々的な報道と、それに引き出される形で起こった中韓からの外圧によって、すでに内部審査では合格とされていたにもかかわらず、四回にわたって記述内容の修正が強要された。

藤尾文部大臣が、文藝春秋で、「韓国併合において、日本が一方的に悪いということはないだろう」という趣旨の発言をされたことが問題となり、中曽根総理によって最終的に罷免されるにいたった。

【昭和63年】

奥野国土庁長官などの発言が、歴史認識問題ということで槍玉にあげられ、中韓の外圧によって、日本の閣僚が辞任させられるにいたる。この繰り返しの中、政府はただ謝罪を繰り返した。

【平成に入ると】

「慰安婦の問題」が急に浮上してくる。昭和四十年に結ばれた日韓基本条約の前提となった日韓の懸案処理をめぐる多くの会議では、議題としてとりあげられることもなかったこの「問題」が、日本国内発で問題となった。

【平成4年の1月】

宮沢首相は、韓国を訪問して、当時の盧泰愚大統領に植民地支配と慰安婦について謝罪した。しかしこの年の7月、当時の加藤紘一官房長官は、「政府は総力で調査したが、慰安婦について公権力が関与した証拠を見出すことはできなかった」ということを発表した。「これはいったい何を意味するのか。政府として調査も終わっていないのにお詫びをしてしまっている。しかもその調査の結果、何らの根拠もでてこなかった。ここでもまた、事実にまったく基づかないことを謝罪してしまっているという事態になっているわけです。」と、高森氏は慨嘆される。

この日本政府による調査に対して、韓国はすぐに抗議してきた。調査した「その結論が気に食わないということで、これを攻撃した」。その時、韓国の報告書で、日本軍による慰安婦の強制連行があった証拠として持ち出されたものが、吉田清二氏のいわくつきの著書だった。吉田清二氏というのは、本名はこの名前ではなく、そこに書かれていることもことごとく事実と反していることが、その後の学術的な研究や現地における取材の結果、明らかになっている。韓国政府はこのような著書を根拠として日本政府を批判しているのですね。

【平成5年】

宮沢政権辞職前日に、河野官房長官が官憲の強制連行を認める談話を発表して辞職した。その後はこの河野官房長官の談話に沿う形で、教科書が編纂されることになった。高校で慰安婦が書かれ、平成8年になると、全中学教科書に慰安婦に記述が書かれるようになった。

そこで、これはほうっておけないということで、「つくる会」が立ちあがってきた。こういう流れです。




現状分析



現在、つくる会の教科書は、四つの批判勢力にさらされている。

  1. 一つは中韓の外圧。

  2. 日本の国内の外務省を始めとする中韓両国の国益を代弁しているとしか考えられないような言動をする政治家・官僚。外務省のOBが「つくる会」の教科書を不合格にするための事前工作をしており、それがかなり進んでいたことが判明している。

  3. 中韓の外圧にさらに拍車をかける、朝日新聞を始めとする日本のマスコミ。

  4. 「つくる会」に対して執拗な攻撃を続けている「反対派」の勢力。

この四つの敵対勢力に囲まれた「つくる会」の教科書が検定合格にまで至った背景にあるものは、「森首相の政治介入はしないという姿勢や、町村文部科学大臣の、検定ルールはあくまで守るという毅然とした態度でした。政府や文部科学省のこの姿勢を支えたものは、ほかならない、国民意識の成熟であった。「もうこれ以上ぺこぺこしない」「国内のルールを外圧によってねじ曲げることはしない」という、そういうことをすることを国民は許さない、という、国民意識の成熟があったからこそ、森政権も町村大臣も、きちっと検定のルールを守りとおそうという姿勢を貫く事が出来た」んだろう、そう高森氏は分析していました。




付けられた検定意見について



我々の教科書には137ヵ所の検定意見が付けられたわけですが、新規参入の教科書に対する検定意見としては、非常に少ないものであり、その圧倒的多数はテクニカルな、技術的な修正要求に過ぎなかった。いろいろご心配をおかけしましたが、つくる会の骨格をきちんと残した教科書が、検定を通過しました。

検定意見には、どの検定基準に基づく検定意見であるかということが明記されています。その中で、近隣諸国条項に基づく検定意見が、つくる会の教科書に何ヶ所付けられたとお考えでしょうか、皆さん。

実は、ゼロでございます。

この理由は二つ考えられると思います。ひとつ。西尾会長はじめこの教科書の執筆者が、中韓両国にひじょうに配慮をして遠慮がちに教科書を書いた。これはにわかには信じ難い(笑)話でございますけれども。ふたつめは、近隣諸国条項を名目として検定意見を付けたことが明らかになったときに、国民からものすごい憤激の嵐が起こる。このことを文部科学省は恐れて、近隣諸国条項が使えなかったのではないか。このいずれかであろうと思います。

検定意見を見ると、たしかに中国や韓国に対して配慮していると見受けられる検定意見だなとうかがえるものがありますけれども、それさえも別の理由で、「専門的な事項に深入りしすぎている」とか、「基礎的基本的事項を厳選してとりあげていない」といった、わけのわからない理由で意見を付けざるを得なかった。このことは、近隣諸国条項という検定基準を、もはやむき出しの形では使うに使えなくなっていることを示している、と思います。このことも我々の大きな前進ではないかと思います。

そのような経過の中で、他社の教科書も、加害、自虐色を後退させていった。つくる会が願っているのは、「教科書を良くしよう」「教科書を突破口にして教育を再建しよう」「そこからウィークジャパンを脱却してストロングジャパンへ飛躍しよう」そういうことであります。自分たちの歴史認識を発表したければ、書物として発表出来るような理事が集まっているんですね。そうではない。教科書を良くするんだ。他社の教科書にも影響を及ぼすんだ。というわけで取組んだわけでありまして、その結果、他社の教科書もやや改善のきざしが一社を除いてみられる。そういう話も伺っておりまして、我々の取り組みが一つ現実を変えつつあるのかなということを今、感じている次第であります。(拍手)ご静聴ありがとうございました。


高森氏は、このように講演をまとめられました。私のような、「つくる会」の会員でもなく、また、なぜ「つくる会」の運動が、マスコミによってたたかれるほど大きくなったのか、マスコミを通じてしか理解できなかった者にとって、高森氏の「つくる会」の運動の経過説明は、とても参考になるものでした。戦略なき日本政府の堕落を食い止めようという危機意識が背景にあったのですね。それにしても、思いのほか、自民党議員の一部は日本を守るためにがんばっていたのですねぇ。

個人の発表形式のものはここで終わりまして、次に四人がテーブルに並んで補足説明などをされました。ここでも興味深いお話がありましたので、次のファイルでご紹介致します。

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知一庵