総説





さて、生命そのものを眺める、漠とした一元の気としてそれを見るという際、もっとも大切なことは、「陰陽というものが存在しているのではなく、存在しているものを陰陽という観点から注意深く把えなおそうとするのであるということ、五行というものが存在しているのではなく、存在しているものを五行という観点から注意深く把えなおそうとするのであること。」であると述べました。

この、陰陽や五行という観点によって把えなおす「存在しているもの」を、ここでは「場」あるいは「気一元の場」と呼びます。

「存在しているもの」である人は、日々、心の悩みや食の変化、外界の動揺などによって変化します。その動きを捉えるために、個々の「場」の特長を三つの観点から眺めてみようと思います。この際、外界との距離のとり方、反応の仕方、反応した上でなをしっかり自己を保てるかどうか、健康を保てるかどうかというあたりに着目して、それを、「場」の敏感さと鈍感さ(動)、大きさと小ささ(静)、粗さと緻密さ(質)という観点から考えてみます。

この言葉を使用して人の「今ある姿」を語ろうとしています。この「姿」の基礎となる構造のことを「器」と呼びます。人生という大海を航行するさまざまな船を思い浮かべていただけると、これは理解しやすいと思います。健康であるということは、順調に航海しているということであり、病気になるということは、航海に妨げを感じているということです。






この「器」は、どこから形成され、どこに到るのでしょうか。

健康に生まれて死ぬまでの時間を区切って、その特長を東洋医学に基づいて考察してみましょう。誕生・成長・成熟・老化・死。この間に性の成熟の時代があり、病となる時期があります。

個人としての「人」の肉体は、このように変化します。がしかし、人は肉体としてこの世に生まれ出る以前から、社会が形成されており、またその人の肉体が滅んだとしも、子としてその形質をつないだり、思想や生き様としてその精神が社会に影響を及ぼしますので、実際にはその肉体の状態いかんに関わらず、その生命は想像以上に長くつながれていくことになります。

そのような歴史(時間)の一時点、世界(空間)の一地点に存在している、まるで大きな四次元空間の中に織られた織物の織り目の一つにすぎない個人の、その一瞬の光芒につて、述べようとしているわけです。






一元という時に、外邪の問題がここにおいて述べられるわけではありません。

器そのものの形、気の盛衰、充実度の傾向が問題となります。

年齢によって変化していくこれは、主として、腎気の盛衰の問題として語られ、その後に、個人々々の生活習慣(食習慣と運動)の偏り、遺伝的形質、といったことが問題となります。これらは、問診で問われていくこととなります。

この器というのは、基礎構造の部分のことでありまして、患者さんとして来院される時にその主訴となる病気と、この基礎構造としての器が関連しているかどうか、関連しているのであればどのようなレベルでどのように関連しているのか、ということが次に問題となってきます。

急性のものすなわち風邪によるものや、打撲、一時的な使い痛みなどによるものは、関連していないことが多いもので、これは、症状としてたとえ強く出ていようとも、それほど時間がかからずに治ります。器の毀損に及んでいないためです。

それに対して、慢性的なものは、時間がかかり、体質の改善が必要となります。器そのものを立て直していかなければならないためです。本人がその生活習慣をどのように変えていくのかという努力も必要となります。

鍼灸は、このあらゆる場面で効果を発揮します。しかし、西洋医学で治り難い慢性病は、鍼灸でもやはり時間を掛けて定期的に治療しなければなりません。

ことに体質改善の分野(器を立て直していく分野)は、鍼灸あるいは東洋医学が、これからもっとも重視されていく分野となるでしょう。











一元流