個人としての病を論ずる場合に、対象となる患者さんの生命の状態すなわち「器」がどのようなものであるのかということを把握することがまず第一に必要となります。その器の状態を次のような観点から把握してみましょう。
1、器の敏感さ。敏感な器というものは、外界の変化に対する反応が速い。外界の変化を敏感にとらえることができるということです。外界の変化を敏感にとらえることができる時、身体がどのような反応をおこすのかということはまた別の問題となります。そこには、器の充実度が関わってきます。
この器の充実度を、その器の「大きさ」という観点と「密度」という観点からみていきます。
2、器の大きさ。器が大きい時、外界の変化を敏感に受けても、その器の大きさによってより高度な健康状態へ、それを変質させていくことができます。これは運動などのトレーニングという観点から語ることができます。
トレーニングの量が適切であれば、その気血は充実し、器が大きくなります。
適切なトレーニングを受けると、そこに必要とされる筋肉が充実し、さらなる負荷に耐えられるようになります。
それを積み重ねていくと、さらに筋肉が充実し、より大きな負荷に耐えられるようになります。これが気血が充実していくということの意味で、経絡や臓腑の場面でも同じようなことが言えます。「生活」というのはこれを日々無意識に行っているわけです。
これに対して、過度の負荷が加えられると、その器が破壊されます。運動選手における健康破壊がこの好例です。また、食べ過ぎによってお腹を壊すといったことなどもこれにあたります。
また、日々の生活の中で、偏った生活習慣や偏り疲労、偏った心の使い方が徐々に無意識のまま蓄積されていくと、ついにはさまざまな疾病が発生するという事態になります。
3、器の密度。器の密度が緊密な場合、外界からの刺激を受けてもそれに対して敏感に拒絶反応をおこして、適応することができます。
毒物を服用してもすぐに吐き出して身体を保護するとか、風邪を引いても深く脾腎にその損傷が及ぶことなく自然に治癒するといったものがこの例です。器の密度が粗いと、どのように敏感に反応しようと思っても、身体がいうことをきかないために、簡単に肺炎になったり骨折したりします。脆い状態なわけです。
基本的に、器が敏感で、密度が密で、その器の大きさが小さいものは、成長期においてよく見られる身体状況であり、器が鈍感で、密度が粗く、その器の大きさが大きいものは老年期においてよく見られる身体状況であると考えられます。
器がもっとも充実している状況とは、器が大きく敏感で密度が密であるということであり、さまざまな外界からの影響を取り込んで自己の器をさらに充実した地平へと高めていくことのできる状態のことです。
この基本的な形を頭に入れた上で、次に人生のそれぞれの時期における器の状態について考えていきましょう。
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