気一元の生命としてその身体を保っていた器が壊れることを、死と呼びます。陰陽の合体によって誕生した生命が、ふたたび離乖するわけです。
事故などによって突然迎える死は、臓器が直接的に破壊されたもので、そのためにそこに宿る魂が飛散してしまい、陰陽離乖の状況を起こします。
これに対して天寿を全うされて亡くなる場合には、器全体が脆く崩れやすくなり、魂がそこに宿るのを徐々に諦めるところから起こります。
病まずに死ぬことは非常に難しいですが、安らかに死を迎えることは可能です。
《易》〈繋辞伝〉本田済の注には、生命体を精と気の陰陽関係として把え、『精は官能、陰に属し、魄ともいう。気は呼吸、陽に属する。魂と言いかえられる。生きている間は、魂と魄と結合しているが、死ぬと分離する。魂は軽くて天に昇り、魄は重くて地中に降る。游魂は昇りきらずに浮游せる魂。鬼神は、宋の張載、朱子によれば、二気(陰陽)の良能(よき働き)で、分ければ魄が鬼に、魂が神に当たる。吉凶をもたらすものであるが(王夫之)、必ずしも人格を具えた神ではない。』と述べ、生と死とを俯瞰しています。ちなみに張載は朱子の理気二元論に対して気一元論を唱えていた朱子と同時代の学者です。
また、『清の王夫之は、朱子が死は無になることだとするのに反対して、生とは陰陽の変化の完成、死とは陰陽の混沌状態にもどるだけ、消滅でなく、また別の形に再生する。』とも同じ場所で引用しています。
朱子は理を中心に考える傾向があるため、死によって無に帰するとしたのでしょうが、王夫之は気を中心に考えるため、死によって生命が霧散して無くなるわけではないのだ、と考えているものでしょう。双方ともに鬼神の存在を信じているわけですから、王夫之の説のほうが説得力があります。
ちなみに、王夫之は朱子より時代を降ること500年、明末清初の人です。
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