注

『難経』は仏教の身体観を包含していた
―『難経』における身体観の量的分析



【用語解説】黄老道・讖緯説・仏教



黄老道:人身を一小天地として陰陽五行の観点からみていくみかた。周の瞽史を起源とし、戦国時代の稷下学宮で成立しました。よくみるための心の姿勢である「無為自然」が、前漢初期を中心に処世術としてまた政治術として発展し流行しました。

讖緯説:陰陽五行を超えて抽象化され複雑になっているもの。孔子を予言者とし、孔子が書いたとされる『春秋』を経典としてその解釈書である緯書を作成しました。仕える王朝の正当性をそれによって証明し、来るべき未来を予言しようとしました。宗教としての儒教の根幹となる神秘思想です。前漢末、漢帝国の簒奪者と呼ばれた王莽によって利用され、後漢以降は国家規模で研究されることとなります。白虎観会議(78年~81年)とは、それまであった讖緯説の中の異説を整理するために、後漢の章帝が宮中の白虎観に諸学者を集め、解釈の異同を討議させたものです。その内容は『白虎通義』として班固(32年~92年)によってまとめられました。

仏 教:腎間の動気を中心とした気一元の身体観。前漢末に伝来し、後漢に入ると黄老道とともに道の教えとして祠られました。仏典の翻訳は100年代から始まりますが、当初は老荘思想と関連づけて理解されていたと支那仏教史では述べられています。これを格義仏教と呼びます。







【目的】『難経』の身体観の量的分析

【背景】『難経』には仏教と讖緯説という新たな身体観が包含されている

【方法】難経脉診における身体観の量的な比較

【実際】詳細は附録資料を参照のこと

【結果】黄老道の身体観を中心とし、仏教の身体観をも多く取り入れている

【考察】仏教に基づいた身体観の大いなる飛躍が『難経』の特徴

【派生的考察】『難経』が開いた仏教の身体観は日本で開花した

【用語解説】黄老道・讖緯説・仏教

  注1:『道家思想の起源と系譜』―黄老道の成立を中心として―

  注2:魏書 釈老志

  注3:後漢書 巻四十二 光武十王列伝 楚王英伝

  注4:『難経』が書かれた時期は紀元後100年前後

  注5:仏教の伝来時期とその身体観:楚王英とその周辺を中心に

  注6:左腎右命門を臍下丹田と解するのはなぜか

  注7:『不老不死の身体』

参考文献:使用している『難経』の主な版本











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