選鍼三要集   序




私は、生まれつき愚かな身をも省みず鍼の道を志し、多くの月日を費やした。縁あって入江先生の下で学ぶ機会を得、その講義を拝聴することができた。

先生の道は軒轅・岐伯を宗としておられた。そのため「医学書において見るべきものは《内経》である。鍼法においては表現しにくいものが多いけれども、その要点は補瀉と要穴の理解だけである。虚実を分ち補瀉を用い、井・栄・兪・経・合を中心として要穴をよく理解しなければならない。」と常に語られていた。

また「余力があるときは経穴を暗唱せよ。鍼の道はこれで終る。臨機応変に構えよ、医は意なりと言うではないか。」とも言われた。

私は、その言の精妙さに惹かれ、その大意を文章にして述べることとした。これはただ門人および初学の人々のためを思ってなしたことである。よく学問を積んでいる人々にとってはこれは余分なことであろう。







《内経》に、『一に曰く神を治め、二に曰く身を養うを知り、三に曰く毒薬の真たるところを知り、四に曰く・石の小と大との使い分けを制し、五に曰く腑臓血気の診を知るなり。この五法は倶に用いられ、各々に長所がある。』云々、とある。私はこのことについていつもよく考えている。







《霊枢・玉版》に、『黄帝が言われた、あなたが鍼について語る言葉は非常に広大である。しかし、生きている者を殺し死にかかっているものを復活させることはできないであろう、あなたはそうではないのか?岐伯は答えた、妄りに鍼を施すなら、生きている者をも殺し、死にかかっている者も復活させることはできません。黄帝は言われた、私がこれについて問うことは仁の道にもとることだろうが、よろしかったら鍼の道について御教えいただき、人に対して妄りに施すことをしないようにしたいのだが。岐伯は答えた、鍼の道は非常に明解であります。刀剣が人を殺すもでき、飲酒が人を泥酔させることもできるように、鍼で人を殺すこともできるのです。これを人に施すことはなくとも、やはり知りおかれた方がよいでしょう。』とある。

経の意味するところは非常に深い。しかるに唐の王燾はこの経の深意を悟ることができず、鍼の道を捨ててしまった。そしてその後、彼に従った愚かな人々は、王燾の言に驚いて鍼の道を捨てるようになった。

しかし、その何と愚かなことであろうか。この経の言葉は、ただ鍼についてのみ言っているわけではない。どのような治療法であっても妄りにそれを用いるときは、薬であれ灸であれ、人を殺すことになるのは当然ではないか。そのような文脉の中でさらに、鍼についてだけ《内経》で言及されているということをこそ、よく考えてみるべきではないだろうか。

《素問・宝命全形論篇》に、『深い渕に臨み手で虎を握るように意識を集中させ、他のことに惑わされてはいけない。』とある。これは王冰が言うところの、鍼を施すには巧みな技工を用いるべきであって、妄りに用いてはいけないとする基になっている。

《医統》には扁鵲の言葉として、『病が腠理にある場合は熨炳{温湿布}の及ぶところ、病が血脉にあれば鍼石の及ぶところ、病が腸胃にあれば酒醪の及ぶところ、この鍼灸薬の三種類を兼ね備える者をこそ、始めて医と言うべきである。』とある。

曩武(のうぶ)はこれを誤って理解して、活人の術はただ薬だけであるとして鍼と灸とを捨て、これについて解説することをしなかった。しかし、傷寒の熱が血室に入って引き吊るように痛むものは薬では治すことができず、鍼によってその熱が除かれることによって始めて癒すことができるものである。

張介賓はその著《類経》においてこのことを論じている、『一婦人、傷寒の熱が血室に入ったために病気となっていた。医者は誰もこれを理解できなかった。許学士が、「小柴胡湯を用いるにはもう手遅れである、肝の募穴である期門[肝募]を刺さねばなるまい。しかし私は鍼をすることはできない、誰か鍼の上手なものに頼んで、鍼をしてもらおう。」と言い、その通りにして癒えた。

これらのことは、鍼による治療がいかに重要な位置を占めるものであるかを説いているのではないだろうか。私もまた、源を澄ましその根本を整えんと思うのだが、豊蔀(ほうぶ){分厚い敷物}の上に座っているようなかんじである。

ああ、それにしても、鍼とは何と素晴らしいものではないか。これを二氏はなぜ乱暴にも捨て去ったのであろうか。







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